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人物
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クラブ
【経歴】
1970年生まれスペイン出身の元サッカー選手。
1989年に地元スポルティング・ヒホンでプロデビュー。
1991年レアル・マドリードに移籍。リーグ優勝などに大きく貢献した。
1996年FCバルセロナに移籍。
1996-97シーズンではリーグ2位になる。
1997-98シーズンではリーガ・エスパニョーラ2連覇の中心として活躍。
2004年8月34歳で現役引退。晩年はキャプテンも務めた。
リーグ戦通算400試合に出場して102得点を挙げ、ペレが選ぶ『偉大なサッカー選手100人』(FIFA100)に選出された。
代表
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スペイン代表としても94、98、02年と3度のW杯出場を果たした。
1992年に行われた「バルセロナオリンピック」ではレギュラーとして出場。地元・スペイン代表の金メダル獲得に貢献していました。
所属クラブ
1989~1991年
「スポルティング・デ・ヒホン」
1991~1996年
「レアル・マドリード」
1996~2004年
「FCバルセロナ」
「スポルティング・デ・ヒホン」
1991~1996年
「レアル・マドリード」
1996~2004年
「FCバルセロナ」
禁断の移籍
サポーターの反感を買う移籍を成立させると“裏切り者”の烙印を押されてしまうなんてことがサッカー界ではたびたび起こっています。
禁断の移籍とは、特定の地域間でそのライバルクラブへ移籍した場合に総称されるもの。
バルセロナで公式戦300試合を達成し、サポーターから愛されたルイス・エンリケも“禁断の移籍”を果たした1人。
ルイス・エンリケは、(数々の)タイトルをクラブ(レアル・マドリー)にもたらした。
だが、ボランチという守備的なポジションでのプレーを強いられている現状に不満を募らせていた。
ルイス・エンリケは本来、攻撃的な選手であったからだ。
その結果、1996年、ルイス・エンリケは攻撃的なスタイルを掲げるバルセロナへの移籍を決意する。
だが、レアル・マドリー側から激しい非難に晒され、移籍先のバルセロナでも“ライバルからやって来た選手”ということで批判の目を向けられていた。
それでも、ルイス・エンリケは加入後1年目にしてリーグ戦で17ゴールをあげる活躍を見せて結果を残す。
以降も“エル・クラシコ”で何度もゴールを奪い、さらにはカタルーニャ語を学ぶなどしてサポーターの信頼を勝ち取り、クラブでの存在を確固たるものとしていった。
「自分がバルセロニスタであると実感できる最高の場所はベルナベウだ」と言い放ったことも、バルセロナサポーターの心を鷲づかみにした。
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選手としての特徴
ルイス・エンリケのプレーの特徴は大きく分けて2つ。
複数のポジションをこなせることと、ゴール前に飛び込むプレーだと思う。
FWからDFまでどのポジションでも、高いレベルでプレーすることが出来る。
チームの台所事情が苦しい時、1人の選手のおかげで、その都度穴埋めが出来てしまうのだから、監督にとってはこんなに有り難い選手はいないはず。
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全ての能力を高い水準で備え、中盤の全てのポジションからFWまでこなす驚異のオールラウンダー。
スペインを代表するプレーヤーとして62試合もの国際Aマッチに出場し、鋭い2列目からの飛び出しで代表通算12得点を記録した。