1980年代に「大金を拾った」と景気の良いニュースが続きました。
東京のど真ん中「銀座」と川崎市の「竹やぶ」の中で、億超えのお金が一般人に拾われた事件。
川崎の事件時には、我先にと竹やぶへ出掛けた方も多かったですね。まるで日本のゴールドラッシュです。
休日まで待てずに、平日に学校や会社を休んで行ったよなんて方も、実はいたりして(^0^)
そんな二つの大金取得事件の特集です!
東京のど真ん中「銀座」と川崎市の「竹やぶ」の中で、億超えのお金が一般人に拾われた事件。
川崎の事件時には、我先にと竹やぶへ出掛けた方も多かったですね。まるで日本のゴールドラッシュです。
休日まで待てずに、平日に学校や会社を休んで行ったよなんて方も、実はいたりして(^0^)
そんな二つの大金取得事件の特集です!
銀座 一億円拾得事件
一億円拾得事件(いちおくえんしゅうとくじけん)は、1980年4月25日に東京都中央区銀座で一般人が1億円を拾った事件。現在も未解決となっている。
拾い主・大貫久男さん
トラック運転手・大貫久男さん。その後、大貫さんを主人公にしたドラマが制作されるなど、一躍時の人となりました。ちなみに、大貫さんの孫は、お笑いコンビ「タカダ・コーポレーション」の大貫幹枝さんです。
発見当日
いつものようにトラックを運転していた大貫さんは銀座のガードレール脇に置かれた風呂敷包みを見つけた。
日ごろから町内会で使うため古新聞を拾っていた為、この時も風呂敷の中身を古新聞だろう、と思い気軽に持ち帰った。
家に帰り風呂敷の中身を見てみると、大量の一万円札が入っていた。
すぐに警察へ届け、一万円札の枚数を数えてみると、その枚数は...10000枚、つまり、1億円。
一躍時の人となるが・・・
当初は取材にも得意げに答えていたが、自宅に報道陣が押し寄せ、嫌がらせの無言電話は一日中鳴り響き、脅迫状が次々に届く状況に次第に身の危険を感じるようになった。
そして、警備員を自腹で雇い、模造刀を購入、防弾チョッキも自分で作るほどになり、ついには報道陣のカメラからも顔を隠すようになる。
妻や子どもにも危険が及ぶかもしれない不安や、先行きが全く見えない恐怖の中疲れ果てていた。
精神的に参った大貫さんは16年間勤めていた会社を辞めてしまう。1億円を拾ってから上司や同僚の目が変わったことに耐えられなかった。
事件から6カ月後
落とし主が現れなかったため旧遺失物法にもとづき6ヶ月(当時。2007年12月以降は原則3ヶ月)の届け出期間を経て同年11月9日、全額の所有権を取得。11月11日、1億円を受け取った。うち所得税法第34条による一時所得として所得税約3,400万円を納付した。当時脅迫やいやがらせを受けており、受理の際は日課の早朝ジョギングを装って自宅を出発し、防弾チョッキで身を固めていた。
大貫さんの資産運用
「平凡だが、家内安全、無病息災。それ以上のものは望まない」といい、税金約3400万円を支払った後、3690万円でマンションを購入。残りは老後に備えて貯蓄や生命保険にした。1億円を手にした時の記者会見では「自分の幸せにつながるかどうかは、僕の人生が終わった時に初めてわかる」と語っていたそうだ。
最期まで大貫さんらしい生き方
大貫さんは20年後の2000年12月に62歳という、長寿国日本にあっては早すぎる死を迎えた。
大貫さんの思い出には「1億円を拾った後も質素な生活は崩さず、『人に迷惑をかけるな』『思いやりのある人間になれ』と教えられた。
上記は、告別式での長男の言葉。
大貫さんの素朴で実直な人柄が偲ばれます。
銀座で1億円を拾った日から人生が一変した大貫さん。
しかし、金に狂わずに、ご自身に合った生活を続けました。
宝くじ等で手にした大金は身を滅ぼすと言いますが、マイペースを保った稀有な例かも知れませんね。
ちなみに1980年、宝くじ「ドリームジャンボ」の1等賞金は3,000万円でした。
この情報からも、当時の1億円の莫大さが計り知れますね。
しかし、気になるのは一体誰が落としたかって事です。
私の前で落としてくれれば良かったのに(^^)
大貫さんの素朴で実直な人柄が偲ばれます。
銀座で1億円を拾った日から人生が一変した大貫さん。
しかし、金に狂わずに、ご自身に合った生活を続けました。
宝くじ等で手にした大金は身を滅ぼすと言いますが、マイペースを保った稀有な例かも知れませんね。
ちなみに1980年、宝くじ「ドリームジャンボ」の1等賞金は3,000万円でした。
この情報からも、当時の1億円の莫大さが計り知れますね。
しかし、気になるのは一体誰が落としたかって事です。
私の前で落としてくれれば良かったのに(^^)