ロス疑惑とは何だったのか?ロスに始まりロスに終わった三浦和義氏の生涯について。
2018年2月4日 更新

ロス疑惑とは何だったのか?ロスに始まりロスに終わった三浦和義氏の生涯について。

「ロス疑惑」私たちが子どものころ、マスコミで大きく取り上げられた事件でしたね。子どものころはよく分かりませんでしたが、その後三浦和義氏はバラエティ番組などにも普通に出演していました。2008年に自殺、真相はついぞ明らかになりませんでしたが、そんな彼の生涯を振り返ります。

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ロス疑惑

私たちの世代、ワイドショーで大きく取り上げられたこの事件のことを憶えている人は多いのではないでしょうか。
ロス疑惑の渦中の人、三浦和義

ロス疑惑の渦中の人、三浦和義

ロス疑惑(ロスぎわく)とは、1981年から1982年にかけて、アメリカ合衆国(米国)ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件に関して日本国籍の男性にかけられた一連の疑惑。報道の過熱化(被疑者に対する人権侵害)や一事不再理の原則などの問題を投げかけた。

別名ロス事件(ロスじけん)、三浦事件(みうらじけん)、三浦和義事件(みうらかずよしじけん)、疑惑の銃弾事件(ぎわくのじゅうだんじけん)。
その「疑惑」は保険金目当ての殺人でした

その「疑惑」は保険金目当ての殺人でした

1981年、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで起こった殺人事件に関して、当初被害者の夫と見られていた日本人男性が「保険金殺人の犯人」ではないかと日本マスメディアによって嫌疑がかけられ、過熱した報道合戦となり結果として劇場型犯罪となった。殺人事件に対する科学的な考察よりもその男性にまつわる疑惑について盛んに報じられた。

その男性は、日本で行われた裁判で2003年、無期懲役から一転して無罪が確定したが、その後の2008年、米国領土内において一事不再理の原則むなしく共謀罪容疑で米国捜査当局に逮捕され、ロサンゼルスに移送後遺体で発見された。

三浦和義氏を振り返る

ニュースとワイドショーが別枠だった時代に、この事件はどちらでも報道されていたことが印象的でした。
一時はバラエティ番組に出演するなども

一時はバラエティ番組に出演するなども

三浦 和義(みうら かずよし、1947年7月27日 - 2008年10月11日)は、山梨県出身の元実業家、随筆家、タレント、俳優。タレント事務所のアルファ・ジャパンプロモーションに所属し、株式会社エヌジーユー代表取締役であった。

身長181cm、体重78kg。父方の叔母に元女優・映画プロデューサーの水の江瀧子がいる。いわゆる「ロス疑惑」が取り沙汰された。

生い立ち

父は建築会社に勤める土木技師、母は料亭の娘。母の疎開先の山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市)で生まれ、幼い時期を北海道で過ごしたのち千葉県市川市で育つ。

小学生当時、映画プロデューサーだった叔母の水の江瀧子の家へ遊びに行くと俳優たちから多額のお年玉をもらい、その額が30万~40万円に達していたという。このことについて三浦自身は「嬉しかったけど、大人を見くびることにはなったよね。どうしても歪むだろうね」と語っている。

瀧子は石原裕次郎を育てた日活のプロデューサーでもあり、三浦自身も裕次郎宛の何万枚という年賀状のお年玉くじの整理を頼まれ、当選品を裕次郎からプレゼントされるなど、裕次郎とは当時接触があった。

子役時代

瀧子から俳優になることを勧められ、瀧子のプロデュースする映画で石原裕次郎の少年時代を演じる子役として出演したことがある。

ただし瀧子によると瀧子が勧めたのではなく、三浦が自分から出演を求め、瀧子はそれを受け流したが、三浦に直談判された監督から改めて出演可否を問われ「監督がいいなら出してやってよ」と許可したのだとしている。

子役時代、撮影所のスチール担当者から「水の江さんの子供なんだから、やっぱり大きくなったら役者になるんだろう」と話しかけられたことがあり、三浦自身もこの実子説を信じていた時期があったが、1985年には「水の江滝子の実子説というのはなんの根拠もありませんよ」とはっきり否定するようになった。

その他、岸信介の子という説が取り沙汰されたこともある。日立市へロケに行ったとき、芸能界の嫌らしさに愛想が尽きて勝手に帰宅、そのまま芸能界から引退した。

青年時代

神奈川県大和市立渋谷中学校在学中、複数回の家出を経験。教師と喧嘩して窓から飛び出し、そのまま家から数十万円を持ち出して大阪に行ったこともある。このころ、精神病院に入れられたこともあるという。

ミッキー安川の『ふうらい坊留学記』に影響されて海外に出ることを志し、中学卒業後は技術を身につけるために陸上自衛隊少年工科学校を受験するも失敗し、整備工となる。左利きであるため、整備工としては重宝されていたという。

やがて学歴の必要性を感じ、横浜市立戸塚高等学校に進学。同校では生徒会長でありながら副会長の女子生徒と共に授業をサボタージュして箱根で一泊し停学処分を受けた他、強盗傷害やオートバイ泥棒や日本刀不法所持で逮捕されるなどの問題行動を起こしていたという。

1966年、放火などの容疑で逮捕され水戸少年刑務所で7年間服役した。この間、横浜少年鑑別所からの脱走歴があるが、その動機は「アニマルズの公演のチケットを買っていたから」というものだった。

実業家

実業家としての顔

実業家としての顔

出所後はビニ本の制作や『土曜漫画』編集部に入り、高井研一郎やはらたいらといった漫画家の原稿を取りに行き、家に泊まりこんでいたこともある。1974年には『週刊漫画』編集部に入り、主に雑用係を務めていた。

その後ロサンゼルスの先鋭的カルチャー誌『WET』の日本駐在員を経て、1976年に、雑貨輸入会社「フルハムロード」を設立した。

「ロス疑惑」

当初「悲劇の夫」とされたが。。。

当初「悲劇の夫」とされたが。。。

1981年に当時の妻がカリフォルニア州ロサンゼルスで何者かに銃撃されて意識不明の重体となる事件が発生し、自らも足を撃たれて負傷した。当初マスコミは「悲劇の夫」として三浦を扱い、アメリカ軍の協力を取り付けて妻を日本の病院に移送する際に、妻を乗せた上空のヘリコプターに対して地上から発炎筒で誘導する場面を好意的に報道していた。その後1982年11月に、妻が死亡したことで、この事件の報道は収束することになった。

しかし、1984年に『週刊文春』をはじめとするマスコミにより『保険金目当ての殺人であり、その黒幕である』との報道がなされ(いわゆる「ロス疑惑」)、また三浦自身もテレビなどのメディアに積極的に露出し(逮捕時はテレビ朝日の「独占密着取材」中であった)、ミッキー安川やジミー佐古田などと丁々発止のやりとりを行うなど、その特異なキャラクターが視聴者(読者)の興味を引いたことも相まって、ワイドショーや雑誌、全国紙など日本中のマスコミによる過熱報道が行われた。

前後して1979年から行方不明になっていたフルハムロードの元・取締役だった女性が失踪後、ロサンゼルス郊外で遺体として発見されていた事実が判明。失踪直後に三浦が本人の銀行口座から400万円もの現金を引き出していたことも判明した。

その結果、マスコミによる三浦の報道がエスカレートし、現在よりも「プライバシーの尊重」の概念が発達していなかった当時の日本のマスコミによって、三浦本人のプライバシーが著しく侵害されただけでなく、マスコミによる住居不法侵入や私信の無断開封などの行為が公然と行われていた。

銃撃事件の無罪判決

有罪から一転、無罪が確定

有罪から一転、無罪が確定

過剰報道騒動の最中の1985年、三浦夫人銃撃事件の4カ月前に起こった三浦夫人殴打事件(知人の元ポルノ女優に、宿泊先のニューオータニホテルで妻をハンマーで殴打させた事件)での殺人未遂容疑で逮捕され、後に銃撃事件での殺人と詐欺で再逮捕された。

殴打事件では懲役6年の有罪が確定したが、銃撃事件の裁判では検察側は実行犯の証明がネックとなり三浦の関与の事実を立証する事ができず、1994年には東京地裁は氏名不詳者との殺人の共謀として有罪判決、1998年の東京高裁で無罪判決となり、2003年には最高裁も無罪判決となった。

この事件に絡み三浦が拘置所や刑務所にいたのは13年間にものぼる。この事件を機に報道被害の問題などでも積極的に発言を行っていた。

アメリカ捜査当局に逮捕

アメリカ当局による逮捕

アメリカ当局による逮捕

2008年2月22日に、旅行中の三浦がサイパン島(アメリカ自治領)にてアメリカ捜査当局に殺人罪及び殺人の共謀罪の容疑で逮捕された。

弁護側は一事不再理を根拠に逮捕状の無効を主張して争っていたが、ロサンゼルス郡上級裁判所が殺人罪を無効、共謀罪を有効とする判決を下した。サイパン・北マリアナ上級裁判所は身柄をロサンゼルスに移送することを決定した。

なお、一部マスコミは三浦のことを「三浦容疑者」ではなく、「三浦元社長」と呼称した。

死亡

ロサンゼルスの留置所内で自殺

ロサンゼルスの留置所内で自殺

出典 kunyon.com
ロサンゼルスに到着した2008年10月10日(現地日時)に三浦はロサンゼルス市警の留置施設にてシャツを用い、首をつって自殺した。

なお、三浦の死亡が確認された搬送先の病院は偶然にも1981年11月の銃撃事件で三浦と妻が搬送された病院と同じであった。遺体はロサンゼルスで荼毘に付され、2008年10月25日、妻らとともに日本に「帰国」した。

身柄移送当時に被っていたベースボールキャップには、「PEACE POT MICRODOT」(多幸、大麻、LSDなどの幻覚剤のこと。PPMDは、ヒッピーのスラングで「あばよ」)の刺繍がされていたため、これが何かのメッセージだったのではないかと評されている。

日本語の「あばよ」は死に際のメッセージとも受け取れるが、英語のPPMDは「See you later. (じゃあまたね)」程度のニュアンスである。

もう一つのロス疑惑の起訴予定

アメリカ捜査当局は、1979年に腐乱死体で発見された三浦の交際相手であったD子の殺人容疑(ジェーン・ドゥ・88事件)で訴追、再逮捕する方針を固めていたことを現地日時2009年1月10日に元捜査官が明らかにした。

元捜査担当者によると、死因や殺害の状況の詳細は不明だが、被害者の銀行口座から426万円が引き出された状況証拠に基づき、三浦による単独犯行と断定。三浦が死亡する直前の段階で死刑求刑が可能な第1級殺人と窃盗容疑で近く逮捕状を請求する方針を固めており、捜査トップにも報告していた。

三浦の弁護側はロサンゼルス・タイムズ紙に「死人に鞭打つとは滅多にない話だ」とコメントしている。

いまも残る様々な事件・人物検証

イチロー氏がロス事件を分析・推理 - YouTube

のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 三浦和義物語 - YouTube

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