有名な方にはドラゴンスレイヤーシリーズを作った木屋善夫、ハイドライドシリーズを作った内藤時浩という方がいました。
このゲームにハマった方は多かったと思います。
かくゆう私もハマった一人です。特にザナドゥにはハマり、まさに寝食を忘れてやり続けたものです。しかし難しいゲームでした。
当時はインターネットなど無く、情報と言えばパソコン雑誌しかありませんでした。次の雑誌が出るのを楽しみに待っていた記憶があります。
今このゲームをクリアしろと言われたら難しすぎて投げ出してしまうかもしれません。当時のゲームを知っている方にとって今のゲームはとても親切にできており、反対にぬる過ぎではないかと思ってしまうのではないのでしょうか。
シブサワコウ氏が作った信長の野望も大変な人気を博しました。現在でも同シリーズが出ているほどの人気ゲームです。今ではメインは家庭用ゲーム機に移ってしまいましたが、このゲームは昔はパソコンでしかできなくこのゲームの為にパソコンを購入した方も多いはずです。
ゲームクリエイター【木屋善夫】
木屋善夫さんのインタビューがあったり、ゲームの開発作業(おそらくソーサリアン)の様子があったりと、日本ファルコムの名前は出てないけど、NHKいい仕事してるな! pic.twitter.com/fcWr47cZCi
— キュアまこぴー (@Cure_makopi) November 1, 2016
専門学校卒業後、自動車整備士をしていたが、PC-6001と出会い、趣味でプログラミングを始める。そして、制作したソフトを当時アップルの販売代理店だった日本ファルコムへ持ち込み、その中のいくつかが商品化されて発売された。その後、日本ファルコムへ入社し、主力プログラマとなった。
[PC-88] Dragon Slayer II - Xanadu (1985) (Nihon Falcom)
ゲームクリエイター【内藤時浩】
Hydlide creator Tokihiro Naito / 内藤時浩 + some Hydlide 3 / ハイドライド3 design doc.
— VGDensetsu (@VGDensetsu) October 20, 2016
(MSX Magazine - March 1988)https://t.co/fVPdVef4cm pic.twitter.com/rFzMtelzR9
高校卒業後はコンピュータと全く関係ない鉄工所に就職してシャフトの研磨や穴あけなどの仕事をしていたが 1983年に上司とケンカして「やめたるがやぁ」と辞表を出したその日のうちにT&E SOFTへ電話をかけた。T&E SOFTを選んだのは、名古屋でプログラマーを募集していた会社がT&E SOFTしか無かったからである。
[PC-88] Hydlide III: The Space Memories (1987) (T&E Soft)
このゲームには持ち物に重さがあり、この重さ制限と戦うゲームでした。お金が重いんです。敵を倒してお金を手に入れても、重すぎて動けない。なんだこれはと思っていましたが、両替機の存在を知って、一気に楽になりました。初めからくれてもいいのに!
当時の信じられないゲームの難しさ
「ミル ミチ」「ハナス ヒト」とかこんな言葉を考えて入力したものです。変な言葉を入力すると「ソレハデキマセン」とかよく言われたものです。
こんなゲームを当時の私はよくクリア出来たと今思います。
カラー8色で描かれる世界。
— カジコム / kazzycom (@kazzykazycom) December 12, 2017
何故こんなに惹かれるのだろう…
ウイングマンSpecialの描き込みが素晴らしいからだろうか。#PC88 pic.twitter.com/1unsfBmku6