まだテレビ放送が白黒で、プロレスが国民的娯楽だった時代に繰り広げた、あの力道山との名勝負。
更には、その後の全日本プロレスでのジャイアント馬場との死闘など、今も我々日本人の記憶に深く残る名レスラー、ザ・デストロイヤー!
更には、その後の全日本プロレスでのジャイアント馬場との死闘など、今も我々日本人の記憶に深く残る名レスラー、ザ・デストロイヤー!
その大人気振りはリングの上だけに留まらず、当時の人気バラエティ番組「うわさのチャンネル」への出演で披露した、彼の名コメディアン振りにも良く現れていた。
うわさのチャンネル動画
via www.youtube.com
金曜夜8時は新日本プロレス中継、そこから10時は日テレでうわさのチャンネル!これが定番だった家庭も多かった当時、ミドルエッジ世代の中には、毎週楽しみに見ていた方も多かったのでは?
そんなデストロイヤーが、なんと日本の旭日双光章を受賞したとのニュースが、先頃日本中を駆け巡ったのは記憶に新しいところ!
既に現役を退いた外国人レスラーが受賞するのは、正に異例中の異例と言えるのだが、やはりそれだけ日本人に愛されたことの証明だと言える。
そこで今回の「昭和有名人伝記マンガ劇場」は、彼の旭日双光章受章を記念して、マンガ「デストロイヤー物語」を紹介することにしよう。
既に現役を退いた外国人レスラーが受賞するのは、正に異例中の異例と言えるのだが、やはりそれだけ日本人に愛されたことの証明だと言える。
そこで今回の「昭和有名人伝記マンガ劇場」は、彼の旭日双光章受章を記念して、マンガ「デストロイヤー物語」を紹介することにしよう。
そもそも、ザ・デストロイヤーとは?
実力派レスラーとして、日本のマット上でも力道山を始め数々の名勝負を繰り広げた、白覆面のマスクマン。
1963年(昭和38年)の初来日以来、日米通算の試合数は実に約8500試合!ミドルエッジ世代の記憶に残る覆面レスラーとしては、あのミルマスカラスと双璧を成す男、それがザ・デストロイヤーその人なのだ!
1963年(昭和38年)の初来日以来、日米通算の試合数は実に約8500試合!ミドルエッジ世代の記憶に残る覆面レスラーとしては、あのミルマスカラスと双璧を成す男、それがザ・デストロイヤーその人なのだ!
サ・デストロイヤー対ミル・マスカラス
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彼のトレードマークとなっていたのが、必殺技の「4の字固め」。一見地味な寝技なのだが、かけられた側は地獄の苦しみを味わうことになる!しかもこの技、なかなか外せない!学校の休み時間にプロレスごっこをして、どちらが先にこの必殺技を掛けるかが勝負の分かれ目だった、そんな経験をしたミドルエッジ世代も多いはず。
更にザ・デストロイヤーについて知りたいと思った方は、以下のリンクからどうぞ。
更にザ・デストロイヤーについて知りたいと思った方は、以下のリンクからどうぞ。
マンガ「デストロイヤー物語」概略
本作が掲載されたのは、別冊少年チャンピオン1974年6月号。作者は週刊少年マガジンで、「愛の戦士レインボーマン」のコミカライズ版を連載されていた、小島利明先生。
うわさのチャンネル放送時期にも関わらず、デストロイヤーの本名や実年齢に出身地やレスラーになったきっかけはおろか、4の字固めの誕生秘話まで明らかにされるという、サービス満点のその内容!
当時の小学生にとっては、これこそ正に貴重な情報源だったのだ。
うわさのチャンネル放送時期にも関わらず、デストロイヤーの本名や実年齢に出身地やレスラーになったきっかけはおろか、4の字固めの誕生秘話まで明らかにされるという、サービス満点のその内容!
当時の小学生にとっては、これこそ正に貴重な情報源だったのだ。