2018年2月9日 更新
チョー・ヨンピル、キム・ヨンジャ、ケー・ウンスクなど日本で活躍した韓国人歌手列伝
去年(2017年)のNHK紅白歌合戦に出場していた「TWICE」を初め、ちょっと4~5年前までは、「少女時代」、「KARA」、「東方神起」、「BIG-BANG」などの韓流歌手(いわゆるK-POP)が隆盛を極めている日本のミュージックシーンだが、これまで来日し、日本で売れている韓国の歌手やタレントは日本語も流暢で、外国人という違和感がすっかりない感じで、日本の芸能界にすんなりと溶け込んでいるように見える。そんな日本で活躍した韓国人歌手を振り返って見ましょう!!。
戦後70年以上も月日が経ったが、日本と韓国の間にはさまざまな問題(領土問題、歴史問題、在日問題、反日・嫌韓などなど)が横たわっています。しかし、韓流やK-POPといった文化交流は、これらを超越して交流できる可能性があると期待しているのは私だけでしょうか??。そこで今回はミドルエッジをご閲覧頂いておられる方々にも韓流歌手たちの歴史を紐解くことで、今まで見えなかった日韓関係の側面を発見していきたいと思っている次第である。
韓流音楽を理解するのに必要な基礎的な知識!!
第二次大戦前
日本における韓流音楽を考えるうえで重要なのが、韓国の「トロット」音楽の存在であろう。韓国の「トロット」とは日本の「演歌」と似たり寄ったりと考えれば良い。
日本の「演歌」と韓国の「トロット」との関係はかなり古く、大正時代にまで遡らなくてはならない。
1910(明治43)年、大日本帝国が大韓帝国を併合して以降、日韓内での人的往来が活発化し、その中には芸能関係者も多数含まれていた。大正時代に日本のレコード会社は、韓国市場に向けて朝鮮語によるレコードを発売を行っている。そして、昭和に入ってから本格的に韓国市場の開拓に乗り出す。1928年にビクター、1929年にコロムビア、1931年にポリドール・タイヘイレコードが進出し、トロットのレコードが発売されていった。
ちなみに、演歌の作曲家として名声をほしいままにし、美空ひばりを始め、多くの歌手に曲を提供した古賀政男(当時は日本コロムビア所属)は、幼少期に韓国の京城で中学・高校に通っていて、古賀メロディーの原点が韓国の「トロット」ではないかとする説もある。
また、人気歌手であった日本のディック・ミネも三又悦(サムヨル)名義で韓国語のジャズナンバーを発表している。
韓国内ではさまざまなトロットのヒット曲が出ますが、張世貞(チャン・セジョン)の『連絡船の歌』のように、日本統治への反発を込めた歌などもヒットしたこともあるそうだ。
しかし、太平洋戦争の戦局が悪化する頃は、日本当局の介入が激しくなり、歌どころの騒ぎではなくなった。
第二次大戦後
1945年8月15日、日本は連合国に降伏したことにより朝鮮半島は日本の統治より開放され、1948年に38度線の南側に大韓民国が樹立されたが、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)がめちゃ反日で、『酒は涙か溜息か』のような日本ルーツの楽曲も含めて、日本文化をすべて発禁にしてしまったのだ。勿論、闇サイドでは日本製のレコードなどが高く売られていた。ただ、公式的にはしばらく日韓の文化交流は断絶しまった。
日韓国交正常化に伴い、音楽も交流再開!!
韓国で軍事クーデターを起こして李承晩政権を倒し、日本に日韓協定の締結と経済支援を働きかけた朴正煕大統領が1965年に日韓国交正常化が実現させた。これもアメリカが強く後押ししたためではないかと思われるが、とにもかくにも日本と韓国が色々なことで交流が再スタートした。
イ・ソンエ
勿論、音楽交流もそれから10年以上たった1977年、日本に渡ってきた李成愛(イ・ソンエ)が『カスマプゲ』(胸がせつない)をヒットさせ、人気歌手の一員となった。日本では人気が出た韓国人歌手第1号になった。
-
すべてのコメントを見る (1)
コメントを書く
※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。