【ゾーンプレス】周りに翻弄された悲劇の日本代表監督「加茂周」監督の功績
2019年5月19日 更新

【ゾーンプレス】周りに翻弄された悲劇の日本代表監督「加茂周」監督の功績

日本人初のプロ契約監督として日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)の監督に就任し、日産を強豪チームにまで押し上げた手腕。「ゾーンプレス」を用いて、横浜フリューゲルスで天皇杯を制覇。満を持しての日本代表監督就任から悲劇が始まった。名将「加茂周」の足跡をたどる。

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「ゾーンプレス」
流行語ともなったサッカーの戦術で「ゾーンプレス」という用語自体は、「ゾーンディフェンス」と「プレスディフェンス」を掛け合わせた造語である。

この戦術を駆使して1990年代に横浜フリューゲルスを強豪チームへと押し上げ、戦術とその胆力を買われて日本代表の監督となった、加茂周。
ドーハの悲劇を経験していた日本サッカー界にとって、待ち望まれていた日本人の代表監督であったが、志半ばでその任務を解かれてしまう。ワールドカップ予選途中での監督解任は、日本代表の歴史上初めてのことだったが、その後指揮を執った岡田監督の下で日本代表はワールドカップへの切符を手にする。

マスコミに踊らされた悲劇の名将「加茂周」の足跡ーーー

生まれ~サッカー選手時代

ヤンマーディーゼルサッカー部

ヤンマーディーゼルサッカー部

1939年、大阪府豊中市に4人兄弟の三男として生まれる。
長男は、ゴールキーパーとして1958年のアジアカップに出場した経験がある加茂豊。弟の加茂豊は、サッカーショップKAMOなどを展開している加茂商事の社長となっている。

長兄の豊はすでに日本代表にも選ばれる選手であったが、加茂周本人は、高校入学後にサッカー部に入部する。関西学院大学に入学し、2年生からサッカー部に入る。

大学卒業後は、1964年にヤンマーディーゼルサッカー部(現在のセレッソ大阪)に入団。主にFWとして活躍し、日本サッカーリーグでは14試合出場1ゴールの記録が残っている。

ヤンマーディーゼルサッカー部でのコーチ時代

ヤンマーのスター選手だった釜本邦茂

ヤンマーのスター選手だった釜本邦茂

1967年にヤンマーディーゼルサッカー部は大改革を行う。それは、早稲田大学を率いて天皇杯制覇、関東リーグ4年連続得点王と言う実績をひっさげたスタープレイヤー釜本邦茂を迎え入れるためであった。

主力選手だった鬼武健二が選手兼監督、加茂がコーチ、安達貞至がマネージャーに転じることになった。1969年にFIFAコーチングスクールに派遣されたり、加茂の部署が東京に移転したにもかかわらず、大阪に残されたりとある程度は優遇されていたが、1972年のヤンマーJSL1部優勝をもってヤンマーを離れることとなる。

日本の指導者として初となるプロ契約監督の誕生

1972年にヤンマーを離れた後、1974年に日産自動車サッカー部の監督に就任。
日産自動車ではテストドライバーや医師が一年契約の嘱託契約として仕事をしており、比較的簡単に契約出来たことから、加茂は初のプロ指導者となった。

就任直後は、神奈川県リーグに所属していたチームだったが、加茂の就任5年目となる1978年シーズンに富士通との入替戦を連勝で制し、シーズンからのJSL1部昇格を果たすこととなる。1983年、1984年と2年連続でJSL1部を準優勝、1983年の天皇杯を制するなど、日産自動車サッカー部を強豪チームへの変貌させた。

1984年に加茂周を日本代表監督にする案が浮上するが、一転してまとまらなかった。1988-89年のしーずんを最後に日産を離れる。
日産自動車の主力だった木村和司

日産自動車の主力だった木村和司

全日空/横浜フリューゲルスでの「ゾーンプレス」戦術

1990年に全日空サッカークラブの顧問となり、翌年の1991-92年シーズンから監督へと就任する。当時の世界のサッカー界でも取り入れられていたプレッシングディフェンスとオフサイドトラップを使った戦術を「ゾーンプレス」と名付け、積極的に取り入れたことがマスコミにも取り上げられるようになる。

全日空に就任後にJリーグが発足、全日空サッカークラブを母体とした横浜フリューゲルスでも引き続き監督を務め、第73回天皇杯全日本サッカー選手権で優勝するなどの実績を残した。
サッカー戦術とは何か?が誰でも簡単に分かるようになる本

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ファルカンの後を受け、日本代表の監督へ

モダンサッカーへの挑戦

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1994年にハンス・オフトの後任として日本代表監督に就任したパウロ・ファルカン。選手としての実績と監督としての修羅場をくぐったことが評価されての事だった。ファルカンは数年後を睨んで積極的に小倉や前園、岩本輝など若手を起用したが、広島で行われたアジア大会で準々決勝で敗れたため解任されてしまう。

その後を受けて、日本代表の監督を求められたタイミングで白羽の矢が立ったのが、加茂周であった。任期は、11カ月と短いものであったが、ベテランを呼び戻した結果、ワールドカップ予選も加茂が続投することとなる。しかし、1996年に行われたアジアカップでは、準々決勝でクウェートに敗れてしまい、教会内部でも更迭する空気が流れ、マスコミでも監督解任論が浮上するようになっていく。

始まった1998ワールドカップ・アジア最終予選では、初戦のウズベキスタンには勝ったものの、アラブ首長国連邦にアウェイで引き分け、3試合目のホームでの韓国戦で1-2で敗れてしまい、メディアでの監督解任論が高まっていく。

運命のカザフスタン戦。1-0でリードしながらも、後半ロスタイムに同点ゴールを喫し、勝利を逃してしまう。その試合後に日本協会の首脳が現地で緊急会議を開き、加茂監督の解任を決定した。

監督交代の準備は、韓国戦で敗れた後から進められていたというから驚きである。信ずべき協会の人間が既に交代を予感しているのである。当時の大仁強化委員長は「カザフスタン戦で流れが変わらなかったら、岡田コーチで行こうと決めていた。」と述べており、協会と監督の信頼関係も無くなっていたのである。

予選途中での監督解任は、日本代表の歴史上初めてだった。

日本代表監督解任、その後

加茂周

加茂周

日本代表監督を解任されてから2年後にアルビレックス新潟のアドバイザーに就任し、サッカー界の表舞台へと復帰する。

1997年に京都パープルサンガの監督に就任するが、思ったような成績は残せずに1年弱で解任されてしまう。

2001年からは尚美学園大学の総監督、2003年には大阪学院大学の総監督、2007年からは母校でもある関西学院大学の監督に就任し、2009年には関西学院大学を11年ぶりの関西学生リーグ優勝に導くなど、その手腕が衰えていないことを見せつけてくれた。

2017年8月には、

「クラブチーム監督として天皇杯優勝4回、JSL優勝1回、日本代表監督としてキリンカップ優勝3回、ダイナスティカップ優勝1回。半世紀にわたり指導者として日本サッカーの第一線に立ち、「世界に通じるサッカー」を模索してきたその功績は大きい。」

として、日本サッカー殿堂入りを果たした。
殿堂入りを記念した祝賀会には、ヤンマーのOBや関学大OBなど120名が集まり、その人柄を慕った後輩などが多く駆け付けた。

以前はNHKのサッカー中継での解説が多かったため、よく姿を見かけたが、現在では登場頻度は低く、関西地方のローカル中継担当がほとんどとなっており、寂しい限りである。

次のワールドカップ予選では、是非解説をお願いしたい1人である。
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