映画『もう頬づえはつかない』の時代
映画『もう頬づえはつかない』あらすじ
二人の男性の反応とまり子の選択を通し、ひとりの女性の自立を描く。
1970年代の四畳半フォークに代表される若者の貧しい暮らしは、アパートに風呂は無い。
銭湯を利用した。
電話は10円玉を沢山持って、公衆電話へ。
1982年(昭和57年)12月にテレホンカードが発売された。
『もう頬づえはつかない』
— 蔵臼 金助 (@klaus_kinske) November 14, 2016
東陽一はATGの中でも比較的咀嚼し易い作風だったが、本作で興行的成功と“女性映画”を作れる作家としての評価を得、以降急速に堕落していく。時代の空気感を切り取る嗅覚は本作がダントツで優れていて、桃井かおりが持つ虚無感が実にフィット。#1日1本オススメ映画 pic.twitter.com/NMhdllyv56
映画『もう頬づえはつかない』主題歌
『もう頬づえはつかない』荒井沙知
歌:荒井沙知
作詞:寺山修司、作曲:田中未知、編曲:J・A・シーザー
この曲は1983年に日吉ミミによりカバーされている。
もう頬づえはつかない 歌詞 荒井沙知 ※ Mojim.com Mojim 歌詞
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映画『もう頬づえはつかない』登場人物ダメンズ(駄目な男)3人
奥田瑛二(橋本クン)
まり子の歯ブラシではを磨き、自分の物を使うように言われる。
当然のことながら、まり子は自己主張する女性だ。
30代でブレイクするまえの奥田瑛二のちょっとだらしないくて、たよりない役柄が好きだ。
恒雄(森本レオ)
どこかへいってしまい1年、まり子が住むアパートに帰ってくる。
恒雄はインテリ崩れのダメンズ。魅力は自由に生きていること。
しかし、まり子はそんな恒雄のことが橋本クンより好きなのだ。
『もう頬づえはつかない』のまり子が目指していたのは、吉田ルイ子のような日本の社会の枠とらわれない自由に生きる女性だったのかもしれない。
もう頬づえはつかない、まり子の選択
「よう!日本一!」橋本クン偉い!さすが鹿児島出身の九州男児!などと思ってしまう。
しかし、まり子は中絶を選択する。
バンカラ早稲田の女子大学生だ。花嫁候補生の女子大生なら結婚を選ぶであろう。
待つだけの女から、男に頼らず自分の人生を歩き始めるのだ!
自立したまり子は、もう頬づえはつかない!
フェミニズム、バンザイのハッピーエンドだ。
主役は桃井かおりが演じ無名だった 奥田瑛二や村上弘明が出演していることでも有名な映画だ。
映画『もう頬づえはつかない』が公開された1979年はインベーダーゲームの全盛期であり、初代ウォークマンが販売された昭和の時代だ。