『もう頬づえはつかない』主演の桃井かおり
一緒に暮らしてみてから結婚を決めたり、デキちゃった結婚を授かり婚と言ったりする現在とは違い70年代はまだ同棲(婚前交渉)に対して後ろめたさを感じる時代だった。
バストが美しい!若い頃の桃井かおりのお宝ヌード♡
映画『もう頬づえはつかない』が公開された1979年(昭和54年)当時の大学進学率は男性は 33.4%、女性は30.5%、男女ほぼ同じだ。
しかし就活に関しては、女性は自宅からの通勤でないと採用をしないという条件を設ける企業があり、早稲田大学の学生とはいえ男性に比べると女性の就職は不利な時代だった。
7年後の1986年より男女雇用機会均等法が施行される。
映画『もう頬づえはつかない』の主人公のまり子も勉強では、男子に負けない成績を収めてきた。
また地方出身者の彼女には東京で頑張って、故郷に錦を飾りたい思いもあっただろう。
しかし、都会の一人暮らしは寂しい、ダメンズの男性たちとの関係はその寂しさを埋め合わせるための存在だったのか。
しかし就活に関しては、女性は自宅からの通勤でないと採用をしないという条件を設ける企業があり、早稲田大学の学生とはいえ男性に比べると女性の就職は不利な時代だった。
7年後の1986年より男女雇用機会均等法が施行される。
映画『もう頬づえはつかない』の主人公のまり子も勉強では、男子に負けない成績を収めてきた。
また地方出身者の彼女には東京で頑張って、故郷に錦を飾りたい思いもあっただろう。
しかし、都会の一人暮らしは寂しい、ダメンズの男性たちとの関係はその寂しさを埋め合わせるための存在だったのか。
ネタバレ『もう頬づえはつかない』
貧乏学生のまり子役の桃井かおりが来ているトレンチコートがカッコいい!
当時は新人女優だった彼女の個性と存在感が際立つ。
3歳の時からバレエで鍛えられた肉体と精神、そして中学生の時にひとりイギリスへ渡たったことで洗練されていった感性を感じる。
当時は新人女優だった彼女の個性と存在感が際立つ。
3歳の時からバレエで鍛えられた肉体と精神、そして中学生の時にひとりイギリスへ渡たったことで洗練されていった感性を感じる。
via www.amazon.co.jp
『もう頬づえはつかない』原作者の 見延典子
ベストセラーとなった『もう頬づえはつかない 』は、原作者の見延典子が、1978年に早稲田大学第一文学部文芸科の卒業小説として書かれた。
見延典子(みのべ のりこ )、1955年8月2日 生まれ。
見延典子自身は1981年に結婚している。
「女はクリスマスケーキと同じで、25歳までが結婚適齢期。」と言われていた時代。
見延典子も適齢期に結婚した。
見延典子(みのべ のりこ )、1955年8月2日 生まれ。
見延典子自身は1981年に結婚している。
「女はクリスマスケーキと同じで、25歳までが結婚適齢期。」と言われていた時代。
見延典子も適齢期に結婚した。
見延典子と同じ年に生まれた早稲田大学出身の女性有名人を探してみたら。元フジテレビアナウンサーの益田 由美(ますだ ゆみ)が1955年2月11日生まれ。
益田 由美は、早稲田大学第一文学部卒業後、1977年フジテレビ入社、2015年2月27日付でフジテレビを定年退職している。
フジテレビでは、初めての女性アナウンサーとして定年退職を迎えた。
益田 由美は、早稲田大学第一文学部卒業後、1977年フジテレビ入社、2015年2月27日付でフジテレビを定年退職している。
フジテレビでは、初めての女性アナウンサーとして定年退職を迎えた。
桃井かおりの現在
女優の桃井かおりは、独身をとおしてきた。
2015年1月に幼なじみの年上の音楽プロデューサーと結婚した。
米ロサンゼルスを拠点に生活している。
2015年1月に幼なじみの年上の音楽プロデューサーと結婚した。
米ロサンゼルスを拠点に生活している。
via twitter.com
もう頬づえはつかないをAmazonビデオ-プライム・ビデオで
3.8 | 早稲田大学の卒業小説として書かれた見延典子のベストセラー小説を、「サード」の東陽一監督が映画化。自ら出演を希望した桃井かおりは自然な演技が評価され、その年のキネマ旬報賞主演女優賞のほか5つの賞を受賞。女性の自立をテーマに、当時の『シラケ世代』の若者像を見事に描いたATG映画のヒット作。女子大生のまり子(桃井)はアルバイト先で知りあった同じ大学の橋本君(奥田)と大して愛情もないのに同棲生活を始めた。そのとき、以前の恋人であった、30歳過ぎの売れないルポライター・恒雄(森本)が現れた・・・。 (C)1979 あんぐる/東宝
桃井かおりはちょっとおしゃれな女子でありながらバンカラという役どころだ。
また、桃井自身は、中学の時にイギリスのロイヤルバレエアカデミーに単身でバレエ留学を経験している。