親の再婚、不良少女がスナックのママになる
清水 節子(11月3日 - 生年は非公開) は、神奈川県横浜市出身。現在は歌手として活動しています。
中学、高校時代は、ちょい悪女子だったそうです。父親が再婚したこともあり、何度も家出や補導を繰り返し、ジャズ喫茶やクラブでアルバイトをしていました。
中学、高校時代は、ちょい悪女子だったそうです。父親が再婚したこともあり、何度も家出や補導を繰り返し、ジャズ喫茶やクラブでアルバイトをしていました。
スナックのママ業と同時にダイヤルQ2を利用して人生相談を始める
高校時代からのバイト経験を活かし、22歳のとき横浜市内福富町でスナックを開店。この頃から、清水節子は、店で客の悩みを聞いたり、客からの電話で相談にのったりしていました。
via pixabay.com
スナック時代に客の悩みを電話で聞いていた経験をいかし、ダイヤルQ2を利用して人生相談を始めます。
ダイヤルQ2とは、「0990」で始まる番号で知られる、有料情報サービス。利用者は、電話代とともにNTTに有料の料金を支払います。2014年(平成26年)2月28日でサービスは終了しました。
ダイヤルQ2とは、「0990」で始まる番号で知られる、有料情報サービス。利用者は、電話代とともにNTTに有料の料金を支払います。2014年(平成26年)2月28日でサービスは終了しました。
清水節子の「テレフォンセックス」が、若者たちの間で話題になる!
昭和49年にスタートした、「清水節子のテレホン・セックス相談」の多くは10代から20代の若者で、自らの性や本音を語る相談件数は約2万2000件、今で言うセックスカウンセラーのような相談は、記憶では10年以上の長期にわたり続けられました。
ダイヤルQ2の番号に電話をかけると、留守電が流れ「清水節子でございます」の音声ではじまり、本人の声で「節子の汚れたパンティー3000円。ラブジュースは5000円で販売します。テレホンセックスは~円です」など、エロい声で話しかけてくれるのでした。
バックに流れる清水節子の刺激的な声が人気でした。なぜか、思春期の子供もその存在を知り、面白がって電話をする者が続出。「ラブジュース」などのエロい言葉の意味は、まだ知らない中学生も何度も電話をしました。今でも電話番号を覚えている方もいるかと思います。
バックに流れる清水節子の刺激的な声が人気でした。なぜか、思春期の子供もその存在を知り、面白がって電話をする者が続出。「ラブジュース」などのエロい言葉の意味は、まだ知らない中学生も何度も電話をしました。今でも電話番号を覚えている方もいるかと思います。
横浜市中区山元町でポスター発見!
— ガッデム鎌田 a.k.a NUDEMAN (@nudeman_1031) November 5, 2015
ネッ、姐さん!まだ現役でいらしたんですね!
その昔、興味津々でした!
求愛、、リスペクト!!#清水節子 #テレフォンセックス #とある番号でセクシーな姐さんの声の音声が聞けた #昭和52年生まれ https://t.co/aTr2zkFRQO
しかし、「清水節子」という名前は、強烈に脳裏に刻まれているものの、その存在は謎のまま「どんな女性なんだろう」と妄想と興奮をかきたてられたものです。
映画では「ヨコハマメリー」にインタビュー
そして、清水節子が実在することを知ったのが、1993年のドキュメント映画「ヨコハマメリー」です。
スナック時代に本物の横浜メリーと出会ったことがある清水が、インタビュアーとして登場します。画面に映る、初めて見る清水節子の姿に妙な感動を覚えました。
スナック時代に本物の横浜メリーと出会ったことがある清水が、インタビュアーとして登場します。画面に映る、初めて見る清水節子の姿に妙な感動を覚えました。
via www.amazon.co.jp
深夜番組『11PM』にレポーターとして登場
清水節子が、『11PM』に出演したきっかけは、ある時、夕刊紙の記者がスナックに取材にきました。電話相談のことが記事になり、日本テレビのディレクターから、レポーターの誘い受け出演が決まりました。『11PM』では、レポーターとして、ホストクラブやゲイバーなどの取材を担当しました。