引退する都はるみを「ミソ…」と昭和の歌姫と言い間違えて干された?事件
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演歌歌手として大きな評価を得て、紅白歌合戦の常連でもあった都はるみさんが「普通のおばさんになりたい」と引退を表明したのは、1984年のことです。
その年の大晦日の紅白歌合戦への出場を最後に引退ですから、その年の紅白歌合戦の主役は間違いなく都はるみさんでした。
都はるみさんが代表曲でもある「夫婦坂」を歌い終わると、会場から沸き起こるアンコール…。
白組司会の鈴木健二アナウンサーが「1分間時間をください。私が説得してみます」という名アナウンスをした後、紅白史上初のアンコールが披露されました。
アンコール曲の「好きになった人」を歌い終わったときに、事件は起こってしまいます。
総合司会の生方恵一アナウンサーが「もっともっとたくさんの拍手をミソ…」と言い間違えてしまったのでした。
「ミソ…」はもちろん、昭和の歌姫美空ひばりさんです。
その年の大晦日の紅白歌合戦への出場を最後に引退ですから、その年の紅白歌合戦の主役は間違いなく都はるみさんでした。
都はるみさんが代表曲でもある「夫婦坂」を歌い終わると、会場から沸き起こるアンコール…。
白組司会の鈴木健二アナウンサーが「1分間時間をください。私が説得してみます」という名アナウンスをした後、紅白史上初のアンコールが披露されました。
アンコール曲の「好きになった人」を歌い終わったときに、事件は起こってしまいます。
総合司会の生方恵一アナウンサーが「もっともっとたくさんの拍手をミソ…」と言い間違えてしまったのでした。
「ミソ…」はもちろん、昭和の歌姫美空ひばりさんです。
生方アナは後に女性誌のインタビューで〈出演者もみんな涙していて、ステージ上はかつてない異常な熱気でした。これほど鬼気迫るシーンが戦後歌謡史のなかであっただろうか……あの美空ひばりでさえ……とふと脳裏をよぎったのがあの間違いの原因でしょうか〉と語っている。
この時の瞬間視聴率は80%を超えていたそうで、大きな波紋を広げてしまいました。
緊張もあったからの間違いでしょうし、生方恵一アナウンサーもさぞや青くなったことでしょう…。
年明けに謝罪し、その後大阪支局に移動になったことが左遷と報じられています。
それにしても瞬間とはいえ、最高視聴率が80%超えとは今では考えられません。
紅白歌合戦にどれだけの影響力があったのかが、わかるエピソードです。
緊張もあったからの間違いでしょうし、生方恵一アナウンサーもさぞや青くなったことでしょう…。
年明けに謝罪し、その後大阪支局に移動になったことが左遷と報じられています。
それにしても瞬間とはいえ、最高視聴率が80%超えとは今では考えられません。
紅白歌合戦にどれだけの影響力があったのかが、わかるエピソードです。
都はるみ ラストコンサート 3/3 アンコール
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暴走した吉川晃司
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1984年3月に映画「すかんぴんウォーク」の主題歌「モニカ」でデビューした吉川晃司さん。
学生時代は水球部に所属し、逆三角形の体型にキレキレのダンスで一躍人気者になりました。
そんな吉川晃司さんは、1985年の紅白歌合戦に初出場しています。
男性シンガーですから、もちろん紅組だった吉川晃司さん。
しょっぱなから真っ赤な衣装で登場し、視聴者の度肝を抜いてくれました。
そして『にくまれそうなNEWフェイス』を歌唱しているときに、ギター1人とベース以外は登場させない約束だったのに、もう1人のキーボードまで登場させてしまったのです。
学生時代は水球部に所属し、逆三角形の体型にキレキレのダンスで一躍人気者になりました。
そんな吉川晃司さんは、1985年の紅白歌合戦に初出場しています。
男性シンガーですから、もちろん紅組だった吉川晃司さん。
しょっぱなから真っ赤な衣装で登場し、視聴者の度肝を抜いてくれました。
そして『にくまれそうなNEWフェイス』を歌唱しているときに、ギター1人とベース以外は登場させない約束だったのに、もう1人のキーボードまで登場させてしまったのです。
にくまれそうなNEW FACE / 吉川晃司
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吉川晃司さんの暴挙は、まだまだ序の口でした。
ファンサービスのためか、客席まで降りていきカメラにぶつかってしまったり、ステージにシャンペンをぶちまけたり…。
更にはセットまで、めちゃめちゃに壊してしまいました。
更に演奏時間が過ぎてもステージに居続け、ギターに火をつけてさらにそのギターを叩きつけて破壊するという暴れっぷり。
次に登場予定の紅組の河合奈保子さんは、出て行くタイミングが掴めずに、曲の途中から歌う羽目になってしまいました。
その後10年以上、NHKに出入り禁止になってしまったのです。
持ち歌の「にくまれそうなNEWフェイス」を演出したかったのでしょうか…。
ファンサービスのためか、客席まで降りていきカメラにぶつかってしまったり、ステージにシャンペンをぶちまけたり…。
更にはセットまで、めちゃめちゃに壊してしまいました。
更に演奏時間が過ぎてもステージに居続け、ギターに火をつけてさらにそのギターを叩きつけて破壊するという暴れっぷり。
次に登場予定の紅組の河合奈保子さんは、出て行くタイミングが掴めずに、曲の途中から歌う羽目になってしまいました。
その後10年以上、NHKに出入り禁止になってしまったのです。
持ち歌の「にくまれそうなNEWフェイス」を演出したかったのでしょうか…。
なぜ?避妊具だらけの衣装を着た!?本木雅弘
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花の1982年組として、アイドル全盛期を謳歌した元シブがき隊の本木雅弘さん。
シブがき隊解散後は、その美形ぶりを活かして映画やソロ歌手としても大活躍しました。
そんな本木雅弘さんは、1992年の紅白歌合戦に出場したときに、お茶の間を凍りつかせるトンデモナイ衣装をまとい登場したのです。
その年の本木雅弘さんは、井上陽水さんの楽曲「東へ西へ」をカバーしてヒットしました。
ヒット曲を引っ提げて登場した本木雅弘さんは、なんと首の周りに白い液体を入れたコンドームのような物をいくつも巻き付けて登場し、家族で視聴するお茶の間を凍りつかせます。
「パパーあの風船な~に?」という無邪気な子供の質問と、答えあぐねるお父さんの様子が目に浮かぶような光景が、全国で繰り広げられたことでしょう。
シブがき隊解散後は、その美形ぶりを活かして映画やソロ歌手としても大活躍しました。
そんな本木雅弘さんは、1992年の紅白歌合戦に出場したときに、お茶の間を凍りつかせるトンデモナイ衣装をまとい登場したのです。
その年の本木雅弘さんは、井上陽水さんの楽曲「東へ西へ」をカバーしてヒットしました。
ヒット曲を引っ提げて登場した本木雅弘さんは、なんと首の周りに白い液体を入れたコンドームのような物をいくつも巻き付けて登場し、家族で視聴するお茶の間を凍りつかせます。
「パパーあの風船な~に?」という無邪気な子供の質問と、答えあぐねるお父さんの様子が目に浮かぶような光景が、全国で繰り広げられたことでしょう。
本木雅弘 「東へ西へ」 【1992年 紅白歌合戦】
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チャックが全開だった!?森進一
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1974年の紅白で、弱冠27歳にして大トリを務めたのは森進一さんです。
この年の曲目は「襟裳岬」でした。
いつにもまして力強く、熱唱する森進一さん…。
ただそのズボンのチャックは、全開だったのです…。
あわてた村田英雄さんや三波春夫さんたちが白組歌手を引き連れ、森さんを取り囲みました。
そして応援と見せかけながら、『チャック、チャック』と伝えて事なきを得たのです。
さすがは演歌の大御所たち。
アドリブも大物ですね。
事なきを得て本当に良かったです。
この年の曲目は「襟裳岬」でした。
いつにもまして力強く、熱唱する森進一さん…。
ただそのズボンのチャックは、全開だったのです…。
あわてた村田英雄さんや三波春夫さんたちが白組歌手を引き連れ、森さんを取り囲みました。
そして応援と見せかけながら、『チャック、チャック』と伝えて事なきを得たのです。
さすがは演歌の大御所たち。
アドリブも大物ですね。
事なきを得て本当に良かったです。
森進一
— ホイップ王子 (@qYDm1S1e0mEBXaC) November 23, 2017
紅白歌合戦において
チャック 全開事件 pic.twitter.com/NzshIKXZFt