はい、ちゃんとビジネスとしてやってました(笑。フジの第2制作からは色んな仕事をもらいましたよ。「週刊スタミナ天国」とか「パラダイスGoGo!!」でレギュラーもらったり。思えば大学1~3年生の間で一気に世界が広がったというか。
-ええ、もう十分にキラキラしております(笑
ですよね。当時は結構簡単だった。やはりTV番組の観覧や出演ってちょっと日常とは異なる世界で、声かけるとみんな「観たい!行きたい!!」となりましたから。
請け負った人数が自分たちで確保できなくても、先ほどお話しした通りお昼の新宿アルタ前で女の子に「テレビ出れるよ、出ない?」みたいに声かけて。ちょうどバラエティ番組の収録って4時や5時だったので、お昼過ぎのアルタ前で声かけても夕方の収録に間に合うんですよ。
で、番組側からはお金ももらいましたが非売品のグッズ等ももらえるので、女の子たちは大満足ですよね。
で、そうして街中で声かけた女の子にもメンバー登録してもらって「またあったら声かけるね~」なんてやってたので。一時期は500人くらい連絡先交換して連絡とりあってました(笑、ちょうどポケベルが流行り始めたころです。
請け負った人数が自分たちで確保できなくても、先ほどお話しした通りお昼の新宿アルタ前で女の子に「テレビ出れるよ、出ない?」みたいに声かけて。ちょうどバラエティ番組の収録って4時や5時だったので、お昼過ぎのアルタ前で声かけても夕方の収録に間に合うんですよ。
で、番組側からはお金ももらいましたが非売品のグッズ等ももらえるので、女の子たちは大満足ですよね。
で、そうして街中で声かけた女の子にもメンバー登録してもらって「またあったら声かけるね~」なんてやってたので。一時期は500人くらい連絡先交換して連絡とりあってました(笑、ちょうどポケベルが流行り始めたころです。
【次回】学生仕出しから学生イベンターへ
コラム第1回「イベンター高木社長の誕生秘話 part1」いかがでしたか。
大阪での高校時代、ディスコとの出会いから大学時代、TV局との接点が生まれるまで。「キラキラした世界」がどんどん近づいてきました。
次回コラムでは「学生仕出し」として知名度を上げていった高木社長が「学生イベンター」に進んでいった過程を回想していただきます。
11月上旬の次回コラムをお楽しみに!
大阪での高校時代、ディスコとの出会いから大学時代、TV局との接点が生まれるまで。「キラキラした世界」がどんどん近づいてきました。
次回コラムでは「学生仕出し」として知名度を上げていった高木社長が「学生イベンター」に進んでいった過程を回想していただきます。
11月上旬の次回コラムをお楽しみに!