DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」第1回-イベンター高木社長の誕生秘話 part1-
2017年11月9日 更新

DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」第1回-イベンター高木社長の誕生秘話 part1-

本コラムは人気プロレス団体「DDTプロレス」社長兼レスラーとして君臨する高木三四郎がプロレス業界に足を踏み入れる以前、名うてのイベンターとして活躍していた90年代の若き日を赤裸々に語るコラム。回想する風景にはバブル期のTV局や90年代東京のナイトライフを彩ったディスコやクラブ、そして当時の煌びやかな人間模様まで描かれる!90年代に東京のナイトライフを経験した読者のみなさん、もしかしたら高木社長と意外な接点があったかもしれませんよ!?

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大学入学時、とくに部活に入ろうとは考えてなかったんです。ただ父親の仕事の関係で子どもの頃からテレビが身近な存在だったこともあり、漠然とですが将来はTV局に就職したいなって気持ちがあって。それで何かテレビと繋がって出演したり観覧に行けるような、そんなサークルがないかなと思って探しました。

そしたらナント「TV番組研究会」っていうサークルがあるじゃないですか、なかなかなネーミングだと思いません?で、ここに入ればテレビと繋がれそうな気がして入部しました。

でもいざ入ってみると、なんかオタクな人しか居なくて…。「あれ、やっちゃったかも?」なんて思いましたよ。全然オタク系でノリが違うしもう幽霊部員になろうかなって思ったんですけど、サークルに熱い先輩がいて「お前たちの代でこのサークル盛り上げろよ!」みたいな熱い先輩がいたんですよね。

フジの第2制作 -葉書から生まれたTV局との接点-

-「TV番組研究会」は主にどんな活動をされていたんですか?
僕らの時代はとにかくテレビ局に葉書を出しまくりました。「駒大のTV番組研究会です!」って伝えて、TV番組を観覧したり出演したいって売り込んでいくんです。

1年生の頃から5人くらいが中心になって、各TV局各番組に100枚くらい葉書送ってました。
文面には「僕らはTV番組研究会といってTV番組を観覧したり出演したりとか出来ます、何かあったら連絡下さい!」と連絡先を書いてね。

連絡先といっても当時は家電ですよね。で、たまたま僕の家だけ「留守電機能」がついていたので連絡先は僕の家電。
サークル部員の状況は独り暮らしでも風呂なしトイレなし、電話も共同の下宿とかが多かった。1年生はみんなお金なかったし。僕はたまたま風呂付トイレありのワンルームで家電もあって、しかも「留守電機能」がついてるってことで僕の家が連絡先に(笑。

そしたらね、不思議なことに電話がかかって来始めたんですよ。「実はこんな仕事があって」みたいなのが。まず最初にフジテレビの第2制作から電話が来ました。
-第2制作というと?

フジのバラエティ班「第2制作」

今でいうところのバラエティ班で、後にフジクリエイティブコーポレーションっていう会社になったのが第2制作です。ここが「夕やけニャンニャン」とか手掛けていて。僕ももちろん観てましたけど「夕やけニャンニャン」は高3で終わっちゃったんですよ。

葉書送りまくってたときは、とにかくフジテレビ行きたくて仕方なかった。で、一番先に来た話がフジテレビの深夜番組だったんですけど、もう嬉しくて。
僕の留守電に「フジテレビ第2制作の某ですけど、〇〇って番組があるのでもしよかったら5~10名で観覧に来て下さい」って。そこがスタートです。

で、観覧に行くとその時のディレクターさんと仲良くなって「君たち良いね~、また何かあったら仕事回すから」って。結局フジ、日テレ、TBS、テレ朝、テレ東・・・ほぼ全局から返事が返ってきて。当時学生でそういう活動している集団が珍しかったようで、2年くらいやっていましたね。観客やエキストラを現場に送り込む「仕出し」と呼ばれる領域の活動になっていきました。
-オタクの雰囲気漂うサークルが、急にキラキラした世界とリンクして来ました(笑

珍しかった学生の「仕出し」

当時は本当に珍しい存在だったようです。エキストラの専門会社はあったようですが、学生でそういうことをやる集団が少なくて。僕ら以外に明治大学のTV放送研究会というのがありましてそこも仕出しをしていましたが、彼らの場合は落研(落語研究会)所属の人が多いんです。

割と多くの現場で彼らの仕出しと被りましたが、僕らの場合はTV観覧や出演の声がかかると、候補者を街中で集めて送り込んでいました。

当時は曙橋にフジテレビがあって、麹町に日テレ。それで大体平日のお昼に新宿アルタ前で「笑っていいとも!」収録の観覧に来ている女性に片っ端から声掛けして、そのまま曙橋や麹町の現場に連れて行くみたいなこともやってました、まあナンパです(笑。
現在は湾岸に拠点を据える「フジ」「日テレ」

現在は湾岸に拠点を据える「フジ」「日テレ」

90年代当時は、いずれも新宿から程近い曙橋や麹町に居を構えていた。
現場ではエキストラとか仕込みの出演者(サクラ)って、ちょっと面白みがあるほうがウケるんですよ。それで次第に「高木に連絡すると、いい感じに動員かけて観客や出演者を送り込んでくれる」みたいな評判が立ち始めまして。

例えばフジテレビで「いたずらウォッチング!!」なんて番組があって、女の子が1人いて、その子にいきなり5人くらいの男が告白する企画がありましたが、出演者は僕たちでした(笑。その頃の学生の仕込みは僕らが担当していたので、年に4~5回の放送で2回に1回は「あれ、この人こないだも出てたよね?」みたいになるんです。今では難しいかもしれませんね(笑。
-先輩に期待された通り、高木社長の代でTV番組研究会は盛り上がっていきましたね。

「TV番組研究会」勢力の拡大

そうですね。
といっても1、2年生の間はそれでもおとなしかった方で、3年生になると実権を握りますよね。そうすると駒大のサークルではあるのですが他大学、短大などにもメンバーを拡げたいってことになってきます。

まずは駒大の近くにあった東横短大に赴いて女子学生10人くらいに入部してもらって(笑、そんなことを繰り返してメンバーを拡充し、一時期は登録人数100人くらいにはなっていたと思います。そうなると街中で声かけずとも、メンバーだけで仕出しがこなせるようになってきます。学内でも駒大の落研と連携して仕事をまわし始めました。
-駒大の落研ですか?
そう、面白い人材がたくさんいましたよ。例えば番組名は忘れましたが、とある番組企画で「高須クリニックで包茎手術をやってくれる人いない?」と言われました。すると落研の某君、彼はたまたま童貞で包茎だったんで、話をしたら「やる!」って言うんで紹介したり。ちなみに彼は真性包茎だったんですけど。
-(笑。まさに「学生集めは高木に聞け」状態ですね。ちなみに当時の仕出しは番組側からお金が出ていたのですか?
はい。例えば日テレで11PMの後に放送されたEXテレビ。あの番組などは僕らがレギュラーで観覧していましたが、いいお金を頂けました。ちょっと遅い時間ではありましたけど、1時間番組の観覧で1人あたり5,000円でしたよ。それで大体いつも20人くらい集めて、実際メンバーには一人当たり2,000~3,000円を渡して…。
-えっ、凄い儲かるじゃないですか!?
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