DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」第1回-イベンター高木社長の誕生秘話 part1-
2017年11月9日 更新

DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」第1回-イベンター高木社長の誕生秘話 part1-

本コラムは人気プロレス団体「DDTプロレス」社長兼レスラーとして君臨する高木三四郎がプロレス業界に足を踏み入れる以前、名うてのイベンターとして活躍していた90年代の若き日を赤裸々に語るコラム。回想する風景にはバブル期のTV局や90年代東京のナイトライフを彩ったディスコやクラブ、そして当時の煌びやかな人間模様まで描かれる!90年代に東京のナイトライフを経験した読者のみなさん、もしかしたら高木社長と意外な接点があったかもしれませんよ!?

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DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」

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このコラムは人気プロレス団体「DDTプロレス」社長兼レスラーとして君臨する高木三四郎がプロレス業界に足を踏み入れる以前、90年代東京のディスコやクラブ界隈で名うてのイベンターとしてキラキラ輝いていた若き日を回想するコラム。

その風景にはバブル期のTV局から90年代東京のナイトライフを彩ったディスコやクラブ、そして当時の煌びやかな人間模様までが赤裸々に描かれます。

ミドルエッジ読者のみなさんで90年代の若かりし頃を東京で過ごした方、もしかしたら当時の高木社長と意外な接点があったかもしれませんよ!?

本邦初公開のネタが次々に明かされる、コラム第1回は「イベンター高木社長の誕生秘話 part1」をお届けします。
(聞き手:ミドルエッジ編集部)

イベンター高木社長の誕生秘話 part1

-さて、このコラムでは高木社長が主に学生時代に身を置いた「キラキラした世界」の四方山話を回想していただくわけですが、記念すべき第1回はDDTプロレス社長兼レスラーとして知られる高木社長がそもそもなぜ「キラキラした世界」の住人であったのか?高木社長が「キラキラした世界」に足を踏み入れていくまでの過程を振り返っていただきます。
「キラキラした世界」

「キラキラした世界」

ディスコやクラブ、イベントサークル(イベサー)など、いわゆる軟派と分類されつつもメディアや芸能界にも程近い位置に見えた、派手なアーバンライフやナイトライフを満喫する人々の世界。

関西大倉高校 -梅田・クレイジーホースでディスコ初体験-

そうそう、その辺りからですよね…。

高校生の頃は大阪で男子校だったんですよ。関西大倉高校っていう男子校で今はもう共学になりましたけど、当時はわりと頭のあまりよくない(笑、お金持ちのボンボンがいく学校で。

僕は柔道部に所属していましたが、当時は学内に2つ派閥があって、体育会系の連中と、要はチャラい連中とに別れていたんです。で、たまたまどっちとも仲よかったので、チャラいのとも一緒にいたりして、それで確か高校1年の頃にディスコに行ったのが初めてだったんです。梅田のクレイジーホースっていう、大阪のこてこてのディスコがあったんですよ。

高1でディスコ初体験、そこから始まったディスコ通い

-ということは85年に高1でディスコデビューですね!
当時のヤンチャな高校生ってビー・バップ風の学ランや暴走族のイメージが頭に浮かぶのですが、当時大阪の高校生で「チャラいファッション」ってどのような恰好でしたか?
当時は「イタカジ」が流行っていました。TRUSSARDIとかC.P.COMPANYとか、高3くらいになるとDCブランド。

そう、DCブランドブームになって僕はCOMME CA DU MODEやCOMME des GARCONSとか黒っぽいのが好きだったんですけど、まあ高かったですよ。だから僕らはバーゲンでしか買えなかった。初物シーズンには一切買えなくてバーゲンで半額になると買う、そんな感じです(笑。
-お買い物はマルイで?
いや、梅田の阪急とか。マルイはもう少し後で、しかも東京ですよね。大阪にはナビオとか阪急ファイブとかがあったんですよ。ナビオ阪急とか、ようは全部阪急。

まあ、そういうところで服を買っては梅田のクレイジーホースに着て行って。行くのは月1~2回、週末の夜10時くらいに行って朝5時までコース(笑。夏休みなどは毎週通ってましたね。
-ディスコ通いに熱心だった高木社長の高校時代が見えてきました(笑
はい。そこから色んなディスコに行きましたが、高2の時にマハラジャがオープンしたんです。そして高3の時にチャラい友達連中がパーティーやりたいって言い出して、高校生パーティーをそのマハラジャでやりまして。そこが多分パーティーとの初めての出会い。ディスコを貸切るという発想がまず驚きで「あ、貸切が出来るんだ!」って。

僕自身は高3になると部活の最後の大会や受験などもあって忙しく、パーティーには「チケット買っていくよ」っていう感じ。チケットは3,000~4,000円くらいでしたね、当時。

駒澤大学へ -TV番組研究会との出会い-

大学が駒澤大学で上京してきました。駒大だったから飲むのも渋谷で遊ぶのも渋谷、ほとんど渋谷。大体パターンとしては居酒屋で飲んでナンパして女の子がゲット出来なかったらディスコ、みたいな。あのころの大学生の定番中の定番(笑

ディスコは東京に出てきて3年くらい、当時の渋谷で人気だった「ラスカラ(LA・SCALA)」に入り浸っていた気がします。他には新宿の「ゼノン」「ニューヨーク・ニューヨーク」だったかな?
安いんですよ、2,000円くらいで入場出来て朝まで遊べたので。ほぼフリードリンク・フリーフードみたいな感じでしたし。
飲むのも渋谷、遊ぶのも渋谷

飲むのも渋谷、遊ぶのも渋谷

まさに渋谷が庭だった学生時代の高木社長。

高1からディスコ通いの高木社長、なぜかオタクなサークルへ

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