185系はこの車両です。
via www.uraken.net
185系は、東北(なすの)・上越(水上・草津・あかぎ)そして伊豆(踊り子)方面と、主に関東圏での運用のみであったため、西日本の方々にはなじみのない電車かもしれません。
西日本方面へは、現在、「ムーンライトながら」として、373系の跡を継ぎ大垣まで運用されています。
西日本方面へは、現在、「ムーンライトながら」として、373系の跡を継ぎ大垣まで運用されています。
特急「踊り子」から185系が引退へ。後継のE257系転属による車両動向の予測 | ゆけむりミルキーウェイ
JR東日本が特急「踊り子」から185系を引退させることが明らかになりました。JR発足30周年を迎えたところで国鉄からの特急形電車引退のニュースは寂しい限りですが、ここでは185系引退に伴う車両の動きについて考えてみました。
185系の引退について、レポートされているブログがありましたので、ご紹介します。
185系の歴史
国鉄185系電車(こくてつ185けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1981年に運用を開始した特急形直流電車である。国鉄で最後に製造した優等列車用車両でもある。
特急形車両でありながら通勤通学輸送にも対応させるという、それまでの国鉄にはなかった新しい試みのもとに設計・製造されたことが特徴で、首都圏の東海道本線で普通列車と急行列車に使用されていた153系電車の置き換えのために登場した車両である。1982年には高崎線などで使用されていた165系電車を置き換えるために、耐寒耐雪装備や横軽対策を施した車両が増備され、1982年までに合計227両が製造された。
1987年の分割民営化時には全車両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継され、1995年から2002年にかけて全車両が車内外のリニューアルを施され、特急列車や湘南ライナー等を中心に運用されているが、製造後30年あまり経過した2014年から編成単位で淘汰が開始されている。
185系は、現在の主な活躍先は東京と伊豆とを結ぶ特急「踊り子」号です。
当時、伊豆急には、100系という名車が走っていました。
伊豆は、高級な観光地というブランドがありますので、それに見合う特急電車車両として、
新型の特急電車車両が使用されることになりました。
当時、伊豆急には、100系という名車が走っていました。
伊豆は、高級な観光地というブランドがありますので、それに見合う特急電車車両として、
新型の特急電車車両が使用されることになりました。
via ja.wikipedia.org
伊豆急行線は、開業時より多くの列車が伊東駅から伊東線を経由して東海道本線と直通している。そのため、グリーン車を連結している東京方面からの普通列車と合わせる必要があったことと、沿線に別荘地が多く、需要が見込めることから普通車だけではなく、グリーン車も保有していた。
特急「踊り子」号の歴史
特急「踊り子」は1981年10月に、特急形車両183系で運行されていた特急「あまぎ」と急行形車両153系で運行されていた急行「伊豆」を統合し、特急形の新形式185系を充当して運転を開始した。その後1990年4月には、251系を導入して新宿駅・池袋駅・東京駅 - 伊豆急下田駅間で「スーパービュー踊り子」の運転が始まっている。
「踊り子」の列車名の由来は、川端康成作の小説『伊豆の踊子』にちなんでおり、一般公募により決定した。
via ja.wikipedia.org
「夢の超特急」「緑の疾風」東北・上越新幹線と上野を結んだ
そして、東北・上越地方の人たちには忘れられない、「新幹線リレー号」としての活躍。
1982年6月23日、東北新幹線が大宮まで開業。同年11月15日に、上越新幹線も大宮まで開業しました。
しかし、大宮から先、東京に行くルートは、用地買収の困難から、開業は1985年(上野)1991年(東京)まで待たなければなりませんでした。
そのために、大宮から上野まで、新幹線の乗客を運んだのが、伝説の「新幹線リレー号」。
この新幹線リレー号に、185系が運用されました。
憧れの東京に連れて行ってくれる、新型特急車両。
窓が開く特急としても、話題になりました。
1982年6月23日、東北新幹線が大宮まで開業。同年11月15日に、上越新幹線も大宮まで開業しました。
しかし、大宮から先、東京に行くルートは、用地買収の困難から、開業は1985年(上野)1991年(東京)まで待たなければなりませんでした。
そのために、大宮から上野まで、新幹線の乗客を運んだのが、伝説の「新幹線リレー号」。
この新幹線リレー号に、185系が運用されました。
憧れの東京に連れて行ってくれる、新型特急車両。
窓が開く特急としても、話題になりました。
「新特急」としての活躍
新特急(しんとっきゅう)とは、日本国有鉄道(国鉄)が運転を始めた特急列車(L特急)のうち、上野駅を始発・終着とする東北本線・高崎線を中心とした線区で、1985年3月14日ダイヤ改正以前より運転されていた急行列車を格上げする形で185系電車を運用上用いた列車を指していた呼称。2002年以降、「特急」に呼称が統一されたため「新特急」の呼び名は使用されなくなった。なお、市販の時刻表では「新特急○○」と列車愛称の一部として表記されていた。書籍によっては列車種別として扱われることもあるが、列車愛称の一部であり、正式な列車種別ではない。
新特急は、「新幹線に乗り、接続駅で乗り換えるには距離が短すぎる」区間に、都心から直接乗り換えなしで行ける特急として、便利な存在でした。
例えば、水上や草津温泉(長野原草津口・万座・鹿沢口)に新幹線を使うと、高崎駅で新幹線を降りて乗り換えることになりますが、高崎ではまだ半分ほどしか新幹線では連れていってくれません。それでは乗り換えが面倒です。
そういった場所へのニーズを満たすため、185系は活躍しました。
そう考えると、伊豆という土地も、基本、東海道新幹線の優等列車は通過する「熱海駅」で降りて伊東線・伊豆急行線へ乗り換えるのは面倒というニーズに応える必要がある観光地です。
185系は、非常に、「かゆい所に手が届く」存在なのですね。
例えば、水上や草津温泉(長野原草津口・万座・鹿沢口)に新幹線を使うと、高崎駅で新幹線を降りて乗り換えることになりますが、高崎ではまだ半分ほどしか新幹線では連れていってくれません。それでは乗り換えが面倒です。
そういった場所へのニーズを満たすため、185系は活躍しました。
そう考えると、伊豆という土地も、基本、東海道新幹線の優等列車は通過する「熱海駅」で降りて伊東線・伊豆急行線へ乗り換えるのは面倒というニーズに応える必要がある観光地です。
185系は、非常に、「かゆい所に手が届く」存在なのですね。