昔は大人が読むと白眼視されていた漫画
しかし、今から50年ほど前までは違いました。「漫画は子供が読むもの」それが、一般常識だったといいます。仮に、大学生が漫画でも読もうものなら、「大学生にもなって漫画なんて読んでいるのか!」と、世の大人たちから白眼視されたというから驚きです。今では大学教授ですら漫画を読み、文系大学などでは漫画についての講義すら行われているのに。
青年向けの漫画として誕生した「劇画」
劇画衰退を食い止めるべく、小池一夫が立ち上げた『劇画村塾』
これではイカン!と立ち上がったのが、劇画ブームの一翼を担った漫画家・小池一夫でした。彼は「劇画の衰退を食い止める」との大義名分のもと、1977年に吉田松陰の私塾・松下村塾から名を引用したクリエイター養成所『劇画村塾』を開講。小池は、プロットにキャラを当てはめていくのではなく、まずは魅力的なキャラを案出してからストーリーを考えていくという、「キャラクター原論」の提唱者であり、そのイズムを塾生たちへ叩き込んでいったといいます。その結果、同校は、漫画業界だけではなく、アニメ界、ゲーム業界などへ数多くの有能な人材を輩出しました。以下では、代表的な卒業生たちを紹介していきます。
劇画村塾が生んだ傑物たち
高橋留美子(1期生)
一発当てるだけでも至難の漫画家稼業において、『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』と、異なる時代で何発も当て続ける、ご存じ漫画界の女傑。劇画村塾では早くから小池に「お前はプロになれる」と目をかけられ、1年の講義の後、優秀者から選出される「特別研修生」にも選ばれています。
すっかり大御所となった今でも、小池の唱える「相手に同意するだけの受けゼリフは今すぐ削れ!前のセリフから跳ねて行くから面白いンだ!」という「受けゼリフ不要論」を忠実に守っているのだとか。
さくまあきら(1期生)
小池から「俺の一番弟子」と可愛がられ、一時期は劇画村塾同窓会会長もやっていた桃太郎電鉄シリーズの生みの親。初期の頃に存在した「編集者育成コース」に、第1期生250人中唯一在籍していたそうです。
原哲夫(3期生)
小池原作の劇画作品『I・餓男』(アイウエオボーイ)を読み、漫画家の道を志した原。作画をつとめた『北斗の拳』『花の慶次 ―雲のかなたに―』を見るに、卒業生の中でもっとも「劇画の存続」という師匠・小池の理念を受け継いでいる弟子の一人だと言えるでしょう。
堀井雄二(3期生)
もともと漫画家志望だった堀井は、大学時代に事故で満足のいく絵が描けなくなり挫折。それからライターとして活動するようになり、紆余曲折を経て『ドラゴンクエストシリーズ』のシナリオライターとして大成するに至ったのです。
今では劇画村塾屈指の出世頭として、高橋留美子、原哲夫と共に「劇画村塾ビッグ3」に数えられています。