「西の蒸気機関車達 ~ 京都鉄 道博物館との友好協定書調印記念企画 ~」展
平成31年1月26日(土)~3月25日(月)の期間、原鉄道模型博物館で「西の蒸気機関車達 ~ 京都鉄 道博物館との友好協定書調印記念企画 ~」展が開催されます。
《原鉄道模型博物館の告知文》
この度、西日本旅客鉄道株式会社様のご協力により、京都鉄道博物館様と友好協定書を締結させていただくことと なりました。互いに鉄道文化、鉄道技術を大切にし、その素晴らしさを後世に伝えるために協力し合うことを目的と するものです。
また、京都鉄道博物館様は前身より蒸気機関車を大切にしてこられました。その歩みに敬意を表し、 このたびの友好協定書調印を記念し「西の蒸気機関車達」展を開催いたします。
企画展初日の平成31年1月26日(土)には、開館前の9時15分よりプレス・関係者向け内覧会、9時35分より京都鉄 道博物館様との友好協定書調印式並びにオープニングセレモニーを行いますので、ぜひご参加ください。
【協力】京都鉄道博物館、西日本旅客鉄道株式会社
「西の蒸気機関車達」
原信太郎は16mmによる貴重な記録映像を残しています。12 作品もの蒸気機関車の映像に映し出されるかつての京都府・大阪府・兵庫県・岡山県・広島県。
これらには歴史的な資料として、現役の蒸気機関車はもとより、復活運転や記念運転を行ったものが含まれています。
映像は、5つのブースでそれぞれ約20~25分程度にまとめたものが上映されます。ブースがブルートレイン客車のように演出されるなど、蒸気機関車ファンや歴史好きの方々に、きっと共感と感動をしてもらえる内容となっています。
これらには歴史的な資料として、現役の蒸気機関車はもとより、復活運転や記念運転を行ったものが含まれています。
映像は、5つのブースでそれぞれ約20~25分程度にまとめたものが上映されます。ブースがブルートレイン客車のように演出されるなど、蒸気機関車ファンや歴史好きの方々に、きっと共感と感動をしてもらえる内容となっています。
公開予定映像のご紹介:原信太郎撮影による西日本での蒸気機関車映像
①片上鉄道・別府鉄道 1965年、66年、84年 (約25分)
●片上鉄道 約 10 分
片上鉄道は硫化鉄を産出する柵原鉱山から山陽本線の和気駅を経由して片上港に至る 33.8 ㎞の鉄道でした。創業以来、蒸機が活躍しましたが、1966 年に無煙化されることになり、鉄道友の会でお別れの撮影会が催されました。
片上鉄道には国鉄C11、C12の同形機のほか自社独自のC13が在籍していました。
映像は沿線を走行する木造客車ホハフ301を連結したC11列車を撮影したもので、貴重な映像です。現在、終点近くの吉ヶ原駅で車両が動態保存されており、特定日には公開運転も行なわれています。
●別府鉄道(べふてつどう) 約 15 分
別府鉄道は播磨灘の別府港から山陽本線土山駅に至る土山線 4.0 ㎞と高砂線野口駅までの 3.6 ㎞の小さな鉄道でしたが、京阪神から近郊にあったため、多くの鉄道ファンが訪れました。
映像は同社の 1921 年日本車輌製のCタンク6号機が小形客車を牽く土山線列車と野口線の気動車です。野口駅で出会う国鉄高砂線も今は廃止されてありません。1984 年に廃止された土山線のお別れシーンも撮影されています。
片上鉄道は硫化鉄を産出する柵原鉱山から山陽本線の和気駅を経由して片上港に至る 33.8 ㎞の鉄道でした。創業以来、蒸機が活躍しましたが、1966 年に無煙化されることになり、鉄道友の会でお別れの撮影会が催されました。
片上鉄道には国鉄C11、C12の同形機のほか自社独自のC13が在籍していました。
映像は沿線を走行する木造客車ホハフ301を連結したC11列車を撮影したもので、貴重な映像です。現在、終点近くの吉ヶ原駅で車両が動態保存されており、特定日には公開運転も行なわれています。
●別府鉄道(べふてつどう) 約 15 分
別府鉄道は播磨灘の別府港から山陽本線土山駅に至る土山線 4.0 ㎞と高砂線野口駅までの 3.6 ㎞の小さな鉄道でしたが、京阪神から近郊にあったため、多くの鉄道ファンが訪れました。
映像は同社の 1921 年日本車輌製のCタンク6号機が小形客車を牽く土山線列車と野口線の気動車です。野口駅で出会う国鉄高砂線も今は廃止されてありません。1984 年に廃止された土山線のお別れシーンも撮影されています。
②山陰本線の旅と加悦鉄道 1971年 (約20分)
●「蒸気列車の旅号」
鉄道友の会と国鉄の共催で 1970 年に催行されました。C57に牽かれて大阪を出発し、京都で列車の向きを変えて山陰本線に入ります。今は嵯峨野トロッコ鉄道となる山陰本線旧線の保津峡の景勝を車窓に眺めて進んで行きます。
綾部と西舞鶴で再度列車方向を変えて宮津線に入線して行きます。現在、京都丹後鉄道(KTR)の京丹後大宮駅は当時国鉄丹後山田駅で、地方鉄道である加悦鉄道が分岐しており、一行は乗り換えました。
●加悦鉄道
加悦鉄道は酒呑童子の逸話で有名な大江山の麓、国鉄宮津線丹後山田から加悦に至る 5.7 ㎞の小さな私鉄であり、大江山から産出するニッケル鉱石運搬を目的として 1926 年に開業しました。
加悦鉄道は現在、保存鉄道として存在しますが、素晴らしいことは明治時代の蒸気機関車、1873 年ロバートスティブンソン製2号機と 1889・1893 年製の木造客車を残していることで、映像は 1971 年に両車が走っていることを写し出しています。
鉄道友の会と国鉄の共催で 1970 年に催行されました。C57に牽かれて大阪を出発し、京都で列車の向きを変えて山陰本線に入ります。今は嵯峨野トロッコ鉄道となる山陰本線旧線の保津峡の景勝を車窓に眺めて進んで行きます。
綾部と西舞鶴で再度列車方向を変えて宮津線に入線して行きます。現在、京都丹後鉄道(KTR)の京丹後大宮駅は当時国鉄丹後山田駅で、地方鉄道である加悦鉄道が分岐しており、一行は乗り換えました。
●加悦鉄道
加悦鉄道は酒呑童子の逸話で有名な大江山の麓、国鉄宮津線丹後山田から加悦に至る 5.7 ㎞の小さな私鉄であり、大江山から産出するニッケル鉱石運搬を目的として 1926 年に開業しました。
加悦鉄道は現在、保存鉄道として存在しますが、素晴らしいことは明治時代の蒸気機関車、1873 年ロバートスティブンソン製2号機と 1889・1893 年製の木造客車を残していることで、映像は 1971 年に両車が走っていることを写し出しています。
③京阪神を走る蒸機 1961年、72年、74年、76年 (約25分)
●C53蒸気機関車復活運転 約12分
C53は 1928 年から 1930 年に製造された戦前を代表する急行列車用蒸気機関車で、東海道・山陽本線に配属され ました。通常 2 つのシリンダが 3 つ備えており、排気音はボッ、ボッではなく、ボッ、ボッ、ボッの 3 拍子でした。
中央シリンダは保守が難しく、戦後は荒廃が進み1950年までに淘汰されましたが、教材として残されていたC534 5号を 1961年に大阪交通科学館に保存展示することになり、鷹取工場で動態復元が行われ、鷹取-吹田間で記念運転 されました。映像は 3軸ボギーの優等客車を従えて東海道本線を走った姿を記録した貴重なものです。
●鉄道 100 周年記念イベント 約13分
鉄道開業100年となる 1972年は、各地で様々なイベントが開催されましたが、関西地区の大阪駅、大阪交通科学館 の模様を記録しました。
また、京都―姫路間ではC62 2号機の牽引する「SLしらさぎ号」が運転されました。 1974 年 5 月には大阪―神戸間開通100年を記念して、大阪―姫路間でC61 2号機の牽引する「白鷺号」が運転さ れました。さらに、1976年9月には京都―大阪間開通100年を記念して「京阪100年号」がC57 1 号機の牽引で 京都―大阪間で運転されました。
C53は 1928 年から 1930 年に製造された戦前を代表する急行列車用蒸気機関車で、東海道・山陽本線に配属され ました。通常 2 つのシリンダが 3 つ備えており、排気音はボッ、ボッではなく、ボッ、ボッ、ボッの 3 拍子でした。
中央シリンダは保守が難しく、戦後は荒廃が進み1950年までに淘汰されましたが、教材として残されていたC534 5号を 1961年に大阪交通科学館に保存展示することになり、鷹取工場で動態復元が行われ、鷹取-吹田間で記念運転 されました。映像は 3軸ボギーの優等客車を従えて東海道本線を走った姿を記録した貴重なものです。
●鉄道 100 周年記念イベント 約13分
鉄道開業100年となる 1972年は、各地で様々なイベントが開催されましたが、関西地区の大阪駅、大阪交通科学館 の模様を記録しました。
また、京都―姫路間ではC62 2号機の牽引する「SLしらさぎ号」が運転されました。 1974 年 5 月には大阪―神戸間開通100年を記念して、大阪―姫路間でC61 2号機の牽引する「白鷺号」が運転さ れました。さらに、1976年9月には京都―大阪間開通100年を記念して「京阪100年号」がC57 1 号機の牽引で 京都―大阪間で運転されました。
④呉線・井笠鉄道・播但線 1970年、71年 (約22分)
●呉線での大型蒸気機関車 約15分
山陽本線三原と海田市をバイパスする呉線は、C59、C62の大型蒸機が活躍していたことで鉄道ファンに人気 が高い路線でした。 映像は電化直前の1970年で、沿線のほか、糸崎機関区が写されています。一部は電気機関車が運転訓練で蒸気機関 車の前に連結されています。 ヘッドマークを付けた寝台急行「安芸」は人気がありましたが、お別れイベントではC62・C59重連の列車も 運転されました。
●井笠鉄道 約2分
井笠鉄道は山陽本線笠岡駅を起点とする762 ㎜軌間の非電化軽便鉄道で、井原までの本線と福塩線神辺に至る神辺 線、矢掛支線 3線の延長は37㎞に及ぶ重要な地方交通の足でした。
撮影は1970年で、車庫のある鬮場(くじば)で 1号機と気動車、笠岡市内に保存されていた9号機を撮影しています。
●播但線 3 重連の咆哮
約5分 播但線は山陽本線姫路と山陰本線和田山を結ぶ 65.7㎞の路線で、冬期には沿線の鉢伏・神鍋スキー場への輸送で臨 時列車が運転され、C57蒸機の3重連が行なわれて鉄道ファンの人気を集めました。 貴婦人と呼ばれたC57の冬景色の活躍も素晴らしいものでした。
山陽本線三原と海田市をバイパスする呉線は、C59、C62の大型蒸機が活躍していたことで鉄道ファンに人気 が高い路線でした。 映像は電化直前の1970年で、沿線のほか、糸崎機関区が写されています。一部は電気機関車が運転訓練で蒸気機関 車の前に連結されています。 ヘッドマークを付けた寝台急行「安芸」は人気がありましたが、お別れイベントではC62・C59重連の列車も 運転されました。
●井笠鉄道 約2分
井笠鉄道は山陽本線笠岡駅を起点とする762 ㎜軌間の非電化軽便鉄道で、井原までの本線と福塩線神辺に至る神辺 線、矢掛支線 3線の延長は37㎞に及ぶ重要な地方交通の足でした。
撮影は1970年で、車庫のある鬮場(くじば)で 1号機と気動車、笠岡市内に保存されていた9号機を撮影しています。
●播但線 3 重連の咆哮
約5分 播但線は山陽本線姫路と山陰本線和田山を結ぶ 65.7㎞の路線で、冬期には沿線の鉢伏・神鍋スキー場への輸送で臨 時列車が運転され、C57蒸機の3重連が行なわれて鉄道ファンの人気を集めました。 貴婦人と呼ばれたC57の冬景色の活躍も素晴らしいものでした。
⑤山陰本線・宮津線 1968年 (約20分)
●山陰本線の蒸気機関車 約18分
山陰本線は近代化が遅れており、1968年には多くの蒸機列車が残っていました。 C57、C58、D51に加えてC12、9600といった機関車が活躍しており、映像は山陰本線、舞鶴線、小浜 線、宮津線の客車列車と貨物列車、それに西舞鶴機関区を撮影しています。
山陰本線は近代化が遅れており、1968年には多くの蒸機列車が残っていました。 C57、C58、D51に加えてC12、9600といった機関車が活躍しており、映像は山陰本線、舞鶴線、小浜 線、宮津線の客車列車と貨物列車、それに西舞鶴機関区を撮影しています。
「はしだてビーチ号」
「はしだてビーチ号」は夏の海水浴臨時急行列車で、寝台急行「音戸号」が昼間は使われていないことから、これを活用して運転された全席指定の冷房付客車列車でした。 山陰本線はC57が牽きましたが、宮津線内は大正期の古豪9600が牽引し、ブルー塗装の軽量寝台客車との組 み合わせが人気を呼びました。
「はしだてビーチ号」は夏の海水浴臨時急行列車で、寝台急行「音戸号」が昼間は使われていないことから、これを活用して運転された全席指定の冷房付客車列車でした。 山陰本線はC57が牽きましたが、宮津線内は大正期の古豪9600が牽引し、ブルー塗装の軽量寝台客車との組 み合わせが人気を呼びました。