映画「TATTOO<刺青>あり」は実際に遭った事件だった
TATTOO[刺青]あり
— 更紗 (@sarasara_ogawa3) July 7, 2020
昭和54年日本を震撼させた三菱銀行人質事件の犯人をモデルにした作品。少年時代から凶暴な男。保護観察が解ける年、決意か虚勢を張る為か胸に彫り物をする。その後キャバレーのボーイから店長となり、心底愛する女もできるのだが…
強くなりたかった男の末路。息子を盲愛する母の罪責 pic.twitter.com/zJAlD3Cw3B
そしてこの映画は事件後に明らかになった事実として山口組の“3代目“として超大物・田岡組長を狙撃しその後、惨殺された鳴海清の愛人と三菱銀行人質事件の犯人・梅川の愛人が同じ女性だったというところから生まれた映画と言うことです。
主人公・竹田明夫の人物像
明夫が生まれた昭和の日本は貧しい生活を生まれが貧しく、ろくに教育も受けていないという生い立ちがあります。
お手本となる大人も近くにいなかったために獣の様に育ったと言っても言い過ぎではない主人公が描かれています。映画の中で母親だけは明夫に期待を持っていたという設定です。
口癖の様に「どでかいこと」をいつかやってやろうというそのイキっている姿を宇崎竜童さんがうまく表現しています。
竹田明夫は威嚇のためにいれた刺青だが実は小心者でそれを隠すために逆に大口を叩く、そして暴力衝動に駆られ理不尽に女性に暴力を振るうその狂暴な性格は実際の事件の全容を知るとあまりに合致するキャラなことに嫌悪感を持つ人も少なくないかもしれませんね。
映画では人質立てこもり事件を起こすまでの竹田明夫を追った作品になっています。
自ら生きづらくしていったような人生であるとも言えるでしょう。誰かに認めてもらいたい、愛されたいという感情をまるで暴力でそう仕向けるしか手立てがないというか、術を知らない....それが主人公の竹田明夫です。
映画の評判
大阪で実際に起きた三菱銀行たてこもり事件を、ピンク映画界で活躍してきた高橋番明が監督し一般映画デビュー。
破滅的にしか生きられない主人公を宇崎竜童が熱演し、高い評価を得た。
少年院上がりの明夫は「30歳までに何かドでかいことをしてやる」と決意して、胸に刺青を入れ、キャバレーのボーイとなる。
店の売れっ子ホステス・三千代を強引に口説くがやがて逃げられ、明夫は31歳を目の前に銀行強盗を計画する....。
出演:宇崎竜童、関根恵子、渡辺美佐子
余談ではありますが、この映画がキッカケで高橋伴明監督と当時関根恵子さんがのちに結婚します。
そして関根恵子から高橋恵子に改名しています。
結局、マザコン男なんだなぁ。あの時代の凶悪犯は。と納得。
思い通りにならないと暴力に走る。その暴力の描き方もかなりどきつかった。
関根恵子。美しすぎる。それだけ見てもいい感じ。
この映画が面白いのは1978年秋に起きた「山口組三代目組長襲撃事件」の実行犯と主人公の出逢いという“if”があるという点ですね。
美化とは言わないまでもその半生は余りにも生き辛そうで、思わず抱きしめてあげたくなります。
1979年三菱銀行人質事件を起こした梅川昭美
【今日の墓碑銘】
— 義視💸 (@kamo1868) January 27, 2020
1979年1月28日。梅川昭美が死去。昭和の殺人犯。少年時代から荒んだ生活を送り15歳のとき強盗殺人で逮捕される。1979年1月26日に三菱銀行人質事件を起こし銀行員2名と警察官2名を殺害。42時間にわたり籠城するが最期は特殊部隊の銃撃を受けて死亡した
(30歳・射殺) #生寄死帰 pic.twitter.com/8ZeWEy7T1J
事件の犯人・梅川昭美が15歳の時に強盗殺人の罪を犯し、逮捕されたときに言った言葉です。
映画で描かれた竹田明夫の虚栄(みえ)と劣等感(いじけ)の塊だという人物像はまさに梅川昭実そのままだったのです。
自分の生い立ちを恨んでいたのでしょう。
梅川昭美少年時代の殺人事件
一応高校に進学しますが4か月で退学します。
そしてすてに一人暮らしをしていた梅川昭美。15歳の時に元アルバイト先の社長宅に強盗目的で入り、社長の義妹(当時21歳)をメッタ刺し状態で殺害し、金庫を奪うという事件を起こします。
強盗殺人事件として逮捕されますが梅川が15歳という未成年だったため少年法の元、1年半中等少年院送致のみで終わっています。
本来なら死刑、または無期懲役の判決が少年法に守られた形です。
少年院送致で済んでしまったとはいえ殺人を犯したものがのち起こした人質立てこもり事件の際になぜ銃を持っていられたのか疑問にでるところです。
15歳の殺人事件の時に少年法第60条によって15歳の時の殺人歴が『銃刀法第5条の不許可条項に該当しなかった』と言う理由で梅川の猟銃所持許可が出てしまっていたのでした。
梅川が15歳の時の強盗殺人事件で広島家庭裁判所により少年院行きを命じるわけですが広島家庭裁判所は、審判の最後に次のようにつけくわえています。
「少年の病質的人格は既に根深く形成されていて、容易に矯正しえないものである。少年が今後、社会に出れば同様の多種の非行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性があると思料される。だが少年であるがゆえに処罰しえない」
事件から3年足らずでの公開だったので、まだ世間の記憶では実際の事件が起こったあの日のテレビ中継の様子が生々しく記憶にあったであろう時期でした。
実際に遭った事件とは1979年の三菱銀行人質事件です。
事件は梅川昭美により1月26日銀行の閉店時間間近の15時前に起こります。
猟銃をもった梅川昭美が三菱銀行北畠支店に押し入り、客や行員30人以上を人質に取り立てこもった事件です。