吉田敬  NSCに入るまで
2025年1月4日 更新

吉田敬 NSCに入るまで

ブラックマヨネーズ吉田敬。飲んで、打って、買って、どケチで女性に超アグレッシブ。本当にどうかしてるぜ。

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お笑いコンビ「ブラックマヨネーズ」のボケ担当、吉田敬は、ドラマ「スクール☆ウォーズ」や映画「パッチギ」の舞台にもなった、少しガラの悪い街、京都市伏見区で育った。
ちなみにブラックマヨネーズの相方、薄毛で悩む小杉竜一は、京都市右京区桂(かつら)出身。
父:肇、母:てる子、9歳下の弟という4人家族だったが、なぜか吉田敬だけ、中学校に入るまで、母方の祖父、祖母、叔父と4人暮らし。
住まいは、1階建て、風呂なし、汲み取り式ボットン便所の長屋だった。
両親は、車で1時間ほど離れた宇治市に住み、伏見の病院で看護師をしている母親は、毎朝、長屋に寄って息子の顔を見てから出勤。
しかし母親より7歳上で京阪電鉄の運転士をしていた父親が吉田敬と会うのは月1~2度だった。
「なんでそんなややこしいスタイルをとっていたのか、理由は今でも知らない」
(吉田敬)
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だから吉田敬は、おばあちゃんっ子。
朝も夜もおばあちゃんがつくってくれたものを食べ、おばあちゃんと一緒にテレビを観て、前屈みに正座するおばあちゃんの背中に乗り、ポテトチップスを食べて、指をおばあちゃんの耳で拭いた。
ある日、夜中、目覚めると、横で寝ていたおばあちゃんが上に乗っていた。
子供ながらに
(性的なことか?)
と思ったが、おばあちゃんの後ろの電球が揺れており、地震が起こったことを把握した。
「まあ何ていうか、欲求を俺に?とか一瞬思ったんですけど、上落ちてきても当たらへんようにしてくれたんです」
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遠足などでお弁当は、周りは全員、赤いタコさんウインナーなのに、吉田敬だけ肌色をした細いのソーセージなので
「あれ、どこで売ってんねん?」
周りはレコードプレーヤーとラジカセをつないでカセットテープに流行りの歌を録音していたが、吉田敬は、テレビの前にラジカセを置いて「ザ・ベストテン」など歌番組で好きな歌手が歌い出すと録音ボタンを押した。
しかし録音中、必ずおばあちゃんが
「よっこらしょ」
などといってしまい、きれいに録音できたことはなかった。
それでも吉田敬は、おばあちゃんが大好きで、寝る前、おばあちゃんが死んだときのことを想像すると泣いた。
ちなみに吉田敬は、強度のアレルギー体質。
一般成人の基準値が170以下、190超えたらアレルギーと判断されるアレルギー数値が、2000と異常に高い。
金属に触れると反応が起き、イカとタコ以外を魚介類を食べると蕁麻疹が出て唇が腫れ、そばアレルギーもあり、年越しそばを食べて2年連続でで大みそかに救急車で運ばれ、そばがらの枕も駄目。
大人になっても普段、収録などで出される弁当も決死の思いで食べ、ファミレスにいくとカツカレー、目玉焼き乗せハンバーグ、エビフライをローテーション。
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そんなばあちゃんとの暮らしは、小学校を卒業後に終わる。
宇治市に住んでいた両親が、伏見区のマンションに引っ越してきて、父、母、長男、次男という家族4人暮らしが始まった。
マンションは、中学校まで5分という好位置。
しかしおばあちゃんの家までは、少し遠かった。
それでも
「なんか、いきなりおばあちゃんの家に行かなくなるというのは違うという感覚があった」
という吉田敬は中学校が終わった後、おばあちゃんの家にいって一緒に過ごし、マンションに戻るとき
『ほな、帰るわ』
といわず
「ほな、いってくるわ」
逆にマンションから、おばあちゃんの家にいくときは
「ちょっと帰るわ」
といった。
おばあちゃん家通いは、数ヵ月間続いたが、夜遅くまで遊ぶようになるといく回数が減った。
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さらに塾に通い始めると、中学校が終わるとダウンタウンが出演する「4時ですよ〜だ」をみるために走って帰り、自転車の乗っておばあちゃんの家の近くにある塾にいき、それが終わると一刻も早くマンションに戻ってゲームやマンガという生活となり、まったくおばあちゃんの家にはいかなくなった。

ちなみにゲームでは特にRPG(ロールプレイングゲーム)の「ドラゴンクエスト」が大好き。
ドラゴンクエストはシリーズ化し、吉田敬は、

シリーズ第1作目「ドラゴンクエスト」
シリーズ第2作目「ドラゴンクエストII」
シリーズ第3作目「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」
シリーズ第4作目「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」
シリーズ第5作目「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」
シリーズ第6作目「ドラゴンクエストVI 幻の大地」
シリーズ第7作目「「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」
シリーズ第8作目「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」
シリーズ第9作目「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」

まですべてプレイしたが、シリーズ第10作目「ドラゴンクエストX」は、オンライン(大規模多人数同時参加型)化したため、
「俺が何とかしてあげないと世界が滅ぼされてしまうという状況でないと楽しめない。
俺だけを頼ってほしい」
という理由でやらなかった。
またゲーム内には、カジノなどの楽しめるイベントもあったが、
「早く世界を救わないといけない」
という切迫感を失わないように、まったく行わなかった。
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それはマンションで暮らし始めて1年後に起こった。
「不良だらけの中学校では目立つ存在ではなかったが、塾ではバリバリの存在感を示すことができた」
という吉田敬は、塾で大学生の先生をイジってガンガン笑いをとっていた。
そして童顔の先生に
「先生、幼い顔してるなあ。
俺ら幼稚園児に教えられてるみたいや」
といってウケを狙ったとき、先生に
「何いうとんねん。
お前が老けすぎとるんや」
と返され、この言葉が思春期の胸にグサリと突き刺さった。
(先生は、ずっと僕をそんな風に思ってたんや)
(先生のあのいい方は、以前から俺に恨みを持っていたのが丸出しや)
(他の生徒は、ウワッ、アイツいわれよったと思ったに違いない)
(俺、カッコ悪いやん!)
心に致命傷を負い、どうしようもない気持ちになった吉田敬は、塾が終わるとおばあちゃんの家へ急行。
(おばあちゃんに会いたい)
(優しいおばあちゃんと話したい)
という一心で自転車でダッシュ。
おばあちゃんの家に着き、玄関の戸を開け
「おばあちゃん、帰ったで‼」
というと、おばあちゃんが出てきた。
しかし、
「ああ久しぶりやなぁ、ゆうじ・・・
ああ、ゆうじはアンタの弟や。
ああ、あの、アンタ名前なんやったかの?」
約13年間一緒に過ごしたおばあちゃんの信じられない言葉に、吉田敬の目にはアッという間に目に涙があふれ、、
「2度と来るか、こんな家‼」
といってたたきつけるように戸を閉め、泣きながら自転車を漕いでマンションへ帰った。
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中学生だった吉田敬は、母親に
「・・さんの子はできるのに、アンタは全然でけへん」
といわれると
「うるさいんじゃ‼
俺かて松坂慶子の子供に生まれたかったわ」
といい返していた。
そして5歳の弟を背中に乗せて部屋を這って、お馬さんごっこをしていたとき、
「もうエエやろ」
というと弟は手の指で丸をつくってお金のマーク。
馬を続け、しばらくして
「もうエエやろ」
というと、弟は冷蔵庫の前へ行くよう指示。
従うと弟は冷蔵庫からニンジンを取り出した。
本当の馬のように扱われた吉田敬が、
金ちゃうやないか‼」
とツッコむと、弟は
「どうかしてるぜ」
と返答。
これが数十年後、
「日本中を震撼させたギャグ」
となった。
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また吉田敬は、中学時代から、夏休みに新聞配達や居酒屋のアルバイト。
その目的はギャンブルだった。
「1日3時間弱で1ヵ月8万円程度。
時給でいうとそこそこ良いが、キツかった。
起きて雪なんか降ってたら絶望ですよ」
その8万円は、競馬、パチンコ、パチスロに使い、最短で給料日の夕方にすべてなくなったこともあった。
中学生からギャンブルを始め、大人になると
「トータルでとんでもない額負けてて、小さなマンションくらい」
といういる吉田敬。
やるのは「運や流れだけのあまりに目にみえないもの頼りのギャンブルやなく、公営ギャンブルやパチンコなど、自分の力で何とかなりそうな気がする方のギャンブル」
で、勝ったときの興奮はすさまじく、
「これが俺だ
今ならどんな女優、グラビアアイドルにも「お前」と呼ぶことができる」
という。
またそんな脳を焼くような興奮を覚えるだけでなく
「ギャンブルには色んなことを学ばせてもらった」
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特に無類のパチンコ好きで
「人生はパチンコで教わった」
という。
「自分が2500発出してても、友達が1万発出してたら負けた気がするんです。
逆に自分が1万円ツッコんでも、友達が僕の倍、2万ツッコんでたら、なんか救われた気になったりして。
だから『エエなあ、あいつだけうまくいってるやん』、『よしよし、あいつ飲まれてるな』とか、自分の出玉よりも友達の台を気にしてたりする自分がいましたね」
しかしそんなことを気にしていて良い成果が出せるわけがない。
吉田敬は、パチンコを通して
「周囲を気にしすぎる自分」
に気付き、
「自分の目の前の台と向き合うことが大事ちゃうんか?」
と考え方を切り替えた。
これは芸の道にも役立ち、かなり後輩でもあるキングコングが先に売れると常に彼らがスベることを祈っていたが
「他人、関係ないやろ。
まず俺やろ」
と他人を気にせずに自分の芸に打ち込んだ。
「パチンコは人生のリトルリーグ。
大人として仕事をする前に、人間として成長する場。、
高い授業料を払ってるんやから学ばんと損ですわ」
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小学生のときに京都で1位の少年野球チームのレギュラー(5番バッター)になり、中学校でも野球部だった吉田敬は、高校に入ると
「恋愛がしたい」
と理由で、
「かわいい女の子が何人かいて、カッコいい男がいない」
という弓道部へと入部。
ニキビに悩み、通信販売で、「ニキビを消すローラー」を購入。
ローラーを押し当てて顔中のニキビを潰したが、逆に炎症が悪化して肌がクレーター化。
ブツブツ顔になってしまった吉田敬は、弓の弦でニキビを潰し、血まみれの顔で練習.。
最終的に顔面の吹き出物の跡に小石がはさまって、なかなか取れなくなるほど皮膚が悪化した吉田敬は、6人の男子部員の中で唯一の補欠となった。
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