1986年から87年にかけて、「フリージアの少年」「青い涙」「ひこうき雲」「Rainy Day Hello」の4枚のシングルを発表。「フリージアの少年」はオリコンで最高位48位となり、志賀真理子唯一のオリコン週間チャート100位以内ランクイン曲となっています。
1986年6月、唯一のアルバム「mariko」を発表しました。セールス的には芳しくなかったものの、後年の志賀真理子の再評価により価値が上昇し、CDには高額のプレミアがついていることでコレクターの間では有名です。シール帯のオリジナル盤の完品ですと2万円は下りませんでした。何度か再発が行われているものの、廃盤になるたびにプレミア化する現象が起こっています。
1988年に大学に進学した志賀真理子。1989年、スタジオぴえろ10周年記念イベントでの司会をもって、芸能界を引退しました。そして、同年8月からカリフォルニア大学リバーサイド校へと留学します。同年9月にスタジオぴえろのファンクラブ会報に寄せたコメントがこちらです。
今日は、志賀真理子です。
この間は、スタジオぴえろの10周年イベントで、みなさんに会う事が出来てとてもうれしいかったです。パステルユーミは、もう終わってから随分たつのに、こんなにたくさんの人が、まだ覚えていてくれて、ファンでいてくれるんだなぁと思って、とても感激しちゃいました。それに、他の魔法少女シリーズの『クリーミィマミ』の太田貴子さんや富永みーなさんにも久し振りに会えたし、あの頃の事をいろいろと思い出してしまいました。
いま、改めて思うと、パステルユーミをやって本当によかったなぁって思います。
このイベントの仕事を最後として、私は、2年間、海外で、ジャズが好きなのでいろいろ勉強して来ようと思います。このぴえろ新聞が出る頃には、私はもう日本には、いないわけですけど、帰って来たら、また、みなさんに会えたらいいなぁと思っています。
その時まで、さようなら。
1989年11月23日、アリゾナ州フラッグスタッフ近郊にて発生した交通事故に遭遇し、帰らぬ人となりました。12月3日に日本への帰国を予定しており、20歳の誕生日を一ヶ月前にしての悲劇でした。遺体は現地で荼毘に付され、遺骨は1990年に日本に帰国しています。
彼女の死により、彼女は元より声優としての代表作であった「パステルユーミ」も長らく語られることが少なくなっていたものの、21世紀に入り再評価の流れが加速しています。唯一のアルバムは2回再発が行われ、パステルユーミもDVD化されました。この機会に、今一度志賀真理子の魅力を再確認してみませんか?