1970年代中心の「スポ根ドラマ」と「スポ根アニメ」
テレビドラマとして「スポ根」が扱われた背景には東京オリンピックでのバレーボール全日本女子の活躍が影響を与えている。
(出典:Wikipedia「スポ根」)
青春ドラマ・東宝青春学園ドラマシリーズ「青春とは何だ」(1965年)・「これが青春だ」(1966年)・「でっかい青春」(1967年)
学園ドラマ「青春とは何だ」最終回(音声)・「これが青春だ」 予告 - YouTube
(出典:Wikipedia「青春とはなんだ」)
学園ドラマ「これが青春だ」主題歌「これが青春だ/布施明」 - YouTube
本作の主人公である大岩雷太は、乗っていたヨットが転覆した所を漁師の青年・彰に助けられたのち、田舎町・南海市にやってくる。ロンドンでの留学経験を活かして南海高校の英語教師に就任、劣等生ばかりのクラス・D組の担任を務める。そしてサッカーを通じて生徒たちに人間教育を説き、心と心のふれあいを図っていく。
当初、本作においても前作『青春とはなんだ』の夏木陽介の主演で企画が進められていた。しかし夏木が木下恵介監督作品の東宝映画『なつかしき笛や太鼓』に急遽出演することになり、軌道修正を余儀なくされた結果、当時無名の新人だった竜雷太(役名の大岩雷太にちなんで芸名が付けられた)が起用された。結果的にこれが成功を収め、竜は後継番組『でっかい青春』でも引き続き主演を務める事となる。半ば偶然の産物として生まれた「新人をドラマと共に育てる」というこの手法は同じ岡田晋吉プロデューサーが手掛けた刑事ドラマ『太陽にほえろ!』や、村野武範の出世作となった『飛び出せ!青春』、さらに中村雅俊の出世作となった『われら青春!』などにおいても受け継がれている。
主題歌「これが青春だ」 (1966年12月10日発売、キングレコード BS-567)歌:布施明 作詞:岩谷時子 作・編曲:いずみたく
2003年のテレビドラマ『ビギナー』では、北村総一朗の出演場面に流れる。
1991年にサンプラザ中野(後のサンプラザ中野くん)とパッパラー河合によるユニット「The 花びら」によってカバーされ、エースコック「スーパーカップ」のCMソングに起用された。
(出典:Wikipedia「これが青春だ」)
学園ドラマ『でっかい青春』
『これが青春だ』に続く東宝青春シリーズの第3弾。ただ、当初は主演の竜雷太の役柄は高校の教員ではなく市役所の体育振興係の職員という設定だった。
『これが青春だ』に引き続き竜雷太が主人公を務めた。本作では巌雷太役で、海東市に新設された体育振興係職員としてやってきたスポーツ万能の青年。
町の不良たちを集めてラグビーののら犬チームを作り若者たちを鍛え、海東市の体育振興に尽くしていく。放送直前の10月6日に記者会見発表があり、配布された記者会見発表資料によれば、「町中にスポーツを奨励し、そのなかで現代の世の中に欠けている連帯感や根性などを若い人たちに教え込もうと努力していくもので」、テーマは「勇敢な社会人を作れ」「肥ったブタになるな」だった。
しかし、次第に海東高校の女教師・高見の相談役として高校の生徒たちと交流していくようになり、後半には海東高校の代用教員になり体育の教師として活躍する。
『青春とはなんだ』以来のプロデューサー岡田晋吉の証言(『青春ドラマ夢伝説』日本テレビ、2003年)によれば、学園物を2作続けたためにネタ切れとマンネリを恐れて新規軸としての市役所職員としての設定だったが、中高生を中心とした視聴者には受けず、会社側からも学園物に変更するようにと厳命があり、後半の第21話から海東高校教員となり体育部長にすることにしたという。結局、視聴率も回復し手堅いヒット作となった。
メインのスポーツが青春学園シリーズ第2作『これが青春だ』のサッカーから第1作『青春とはなんだ』の時のラグビーに戻り、次作の『進め!青春』で再びサッカーに戻るなどシリーズでのラグビー、サッカーが交互に扱われるというパターンが定着した。ただし、再開したシリーズでは、『飛び出せ!青春』はサッカーで『われら青春!』がラグビーという順番になった。
(出典:Wikipedia「でっかい青春」)
スポ根アニメ『巨人の星』(1968年3月30日 - 1971年9月18日)
テレビアニメ『巨人の星』 放送期間:1968年3月30日 - 1971年9月18日(全182話)
主人公の星飛雄馬は、かつて巨人軍の三塁手だった父・一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。プロ野球の読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満や左門豊作らを相手に大リーグボールを武器に戦う。いわゆるスポ根野球漫画の走りともいえる作品。
スポ根野球漫画『巨人の星』、『新巨人の星』を原作として制作された一連のアニメシリーズ。
『巨人の星』、『新・巨人の星』、『新・巨人の星II』いずれも毎週土曜日の19時00分から19時30分までの30分のテレビアニメ番組として、よみうりテレビ制作、日本テレビ系列で全国放送された。アニメーション制作は東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)。第1作目の『巨人の星』のみが大塚製薬グループの単独提供番組で、旭通信社が広告代理店を務めていた。
『巨人の星』の放送開始に当たって、まずTBSにアニメ化の話が持ち込まれるが、交渉は不調に終わる。続いて日本テレビ、フジテレビと続けて企画を持ち込むものの、いずれも話がまとまらずアニメ化は暗礁に乗り上げる。そして最後に回ってきたのが、よみうりテレビであり、ここでようやくアニメ化が実現する。
一徹と飛雄馬の父子特訓から、ライバル達と出逢い甲子園での激闘、巨人入団後に大リーグボールを開発して更なる激闘、左腕が崩壊し完全試合を達成、父子の闘いの終焉までが描かれている。本作のメインストーリー。本作のアニメ化にさいして梶原一騎が楠部大吉郎に「この作品をなんとか世に出してください!」と頭を下げたという。
原作の最終回は、父・一徹との最後の勝負に勝ち完全試合を達成してから後日、飛雄馬以外の主要な登場人物がみな出席している左門と京子の結婚式を、飛雄馬が一人、教会の窓の外から見届け、何処ともなく去って行く〜そのバックに十字架がかぶるという暗めのラストシーンで終わる。アニメ版のラストは完全試合を終え傷つき倒れた飛雄馬を一徹が背負って、満場の拍手に送られてグランドを去って行くという感動的なシーンに変わっている。最後は太陽に向かって飛雄馬がしっかりとした足取りで歩いて行くイメージシーンで物語は幕を閉じる。
さらに最終回ではエンドマークの後に、飛雄馬、明子、一徹、伴、花形、左門が登場、飛雄馬が代表して視聴者に「3年半に渡りご好評をいただきました『巨人の星』は、今回で終了させていただきます。長い間ご覧いただきまして、ありがとうございました。」と挨拶して番組の終了を告げた後、画面に次作『天才バカボン』のバカボン一家が現れ、飛雄馬がバカボンのパパと握手しながら「バカボン君、僕に代わって来週からよろしく頼みますよ。」と述べるシーンが存在した。これは本放送の時のみで、再放送では一部地域を除いて放送されていない(仮に放送してもバカボン一家との共演シーンは抜き)。このシーンは後年、『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ)を初め、様々な番組で紹介された(いずれもバカボン一家との共演シーンは抜き)。
放送期間:1968年3月30日 - 1971年9月18日(全182話)
(出典:Wikipedia「巨人の星 (アニメ)」)
テレビアニメ「巨人の星」オープニング「ゆけゆけ飛雄馬」【ささきいさお】 - YouTube
作詞:東京ムービー企画部/作曲:渡辺岳夫/歌:アンサンブル・ボッカ
『巨人の星』のレコードとソノシートは1969年6月までに計42万枚のセールスを記録。
「ゆけゆけ飛雄馬」を収録したレコードは数社から発売され、イントロの違い(テレビ版と同じ効果音・歓声が入っているもの、子どもの掛け声が入っているもの、イントロなしでいきなり前奏が始まるもの)によって3種類あるが、歌と演奏そのものは3種類とも同音源が使われた。
(出典:Wikipedia「巨人の星 (アニメ)」)
漫画やドラマにおけるスポ根人気と東京オリンピック開催の影響もありアニメの世界でもスポ根が扱われることになった。
その最初の作品として既に原作の漫画が人気を獲得していた『巨人の星』のアニメ版が企画されたが、当時のアニメ作品で描かれていた登場人物のキャラクターデザインの多くはデフォルメされたものであり劇画調の登場人物を取り扱った経験が不足していたことから「『巨人の星』のアニメ化は不可能」「アニメ化には相応しくない」と評されていた。
『巨人の星』では原作と同様に過剰な表現が多用されたが、これは監督を務めた長浜忠夫が「演劇において役者が演じる大仰な演技」そのものをアニメの世界にも求めたためであり、長浜自身は「オーバーリアリズム」と称していた。
テレビアニメ「巨人の星」の主な登場人物
本作の主人公「星飛雄馬(ほし ひゅうま)」が大リーグボール養成ギブスを付けてトレーニング中
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)
野球漫画『巨人の星』では主人公・星飛雄馬が筋力増強のために「大リーグ養成ギプス」を日常生活においても装着する場面や、少年時代に毎晩のように父の星一徹から「千本ノック」を受ける場面が描かれている。
(出典:Wikipedia「スポ根」)
星飛雄馬(ほし ひゅうま)の父「星一徹(ほし いってつ)」は鬼コーチの存在
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)
スポ根作品における「鬼コーチ」の存在
スポ根作品では登場人物を育成するために過酷なトレーニングを課す指導者の姿が描かれている。代表例としては『巨人の星』の星一徹、『柔道一直線』の車周作、『サインはV』の牧圭介、『エースをねらえ!』の宗方仁などが挙げられるが、彼らはしばしば「鬼」「鬼コーチ」と形容される。
鬼コーチの指導について2013年3月13日付けの『朝日新聞』は「スポ根作品ではカリスマ指導者の指示による過度の練習と体罰が肝要だった」と評しているが、漫画評論家の紙屋高雪は「過度の練習による酷使はあっても体罰はスポ根作品の絶対条件ではない」と指摘している。
中でも『巨人の星』の星一徹については「激高し卓袱台をひっくり返す」「竹刀で叩く」といった狂信的な指導者としてのイメージが定着しているが、こうした「卓袱台返し」「竹刀での制裁」といった行為は原作漫画においては全く描かれておらずテレビアニメでの過剰な演出によって視聴者に狂信的なイメージが固定化したのではないかと指摘されている。
(出典:Wikipedia「スポ根」)
「星明子(ほし あきこ)」は心優しき飛雄馬の姉
巨人の投手となった飛雄馬と中日の打撃コーチとなった一徹が対立した際、家を出てガソリンスタンドで働く。この時花形満と出会い、後に彼と結婚するきっかけとなった。伴宙太も告白したがフラれている。
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)
「花形満(はながた みつる)」は飛雄馬の生涯のライバルだが、後に義理の兄になる。
後に(星)明子と結婚し、飛雄馬の義理の兄になる。新巨人の星では飛雄馬の復活を助けるも、本格的に投手として復活した後はかつての熱い思いが甦り、ヤクルトに入団。再びライバルとなった。
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)
星飛雄馬の魔球「大リーグボール」大リーグボール1号はバットを狙う魔球。大リーグボール2号は消える魔球。大リーグボール3号はバットをよける魔球。
【動画】テレビアニメ「巨人の星」 大リーグボール - YouTube
「大リーグボール1号」
バットを狙う魔球。巨人に入団した飛雄馬が「自分の球質が軽い」というプロとしては致命的な欠点を克服するため、漁師や禅僧の言葉をヒントに伴と特訓を積み重ねて完成させた。当時大リーグの専売特許だった変化球の新発明を、日本人が最初にやったという意味で大リーグボール1号と名づけられた。ボクシングや剣道を体験して磨いた洞察力でバッターの動きを予測し、バットにボールを命中させ凡打に打ち取り、ランナーがいれば併殺を狙う。投球ごとに集中を要するため、疲労の激しいのが弱点。
「大リーグボール2号」
消える魔球。原理は要約すれば「グラウンドの土ぼこりをまとったボールが自身が巻き上げる土煙の中に保護色によって消える」というものである。反則投球ではないのかという指摘は、作中では慎重に退けられている。
飛雄馬が自宅マンションの屋上で美奈という少女の鞠(まり)つきを見たのがヒントとなっている。
弱点は土煙を利用するために風や水に弱く、強風や雨天での試合では使えないことである。
「大リーグボール3号」
バットをよける魔球。人差し指一本でボールを押し出すような、独特のアンダースローから投じられる超スローボール。ホームベース上で推進力がほとんどゼロとなり、プロ選手のスイングの起こす風圧によってボールが浮き沈みして正確なミートが出来ないという原理。張本勲いわく「大リーグボール1号の逆」。
弱点として、ボールを浮沈させるほどの強振をしないローパワーヒッターには弱い、という点がある。そのために、ほかをノーヒットにおさえながら投手に安打を許すようなケースが多かった。完成までに特訓を積み重ねたものの、ライバル達に次々と攻略された1号・2号と比較して、短期間で完成した3号は左腕の崩壊という犠牲を払った。3号は、中日に移籍した星一徹の策で攻略されているが、体力自慢の伴ですら疲労困憊して一塁走塁がやっとという有様で、実質的には相打ちに(一徹は敗北を認めている)終わった。
アニメ『新・〜II』の最終回では亡くなる運命にあった一徹への手向けに、本来左の大リーグボール1号から3号を一球ずつ右で投げており、精神的疲労の著しい大リーグボールを次々と繰り出して(一球だけなら腕に負担のかかる3号も投げられる模様)飛雄馬の成長を表していた。
(出典:Wikipedia「巨人の星」)
スポ根ドラマ『柔道一直線』(1969年6月22日)
スポ根ドラマ『柔道一直線』(1969年6月22日)
斉藤仁ら当時少年だった柔道家の多くがこの作品のブームで柔道を始めた。柔道の知名度アップなどで当時の柔道界に果たした貢献度は大きいが、その反面「地獄車」など荒唐無稽な技が多く出てくるので増田俊也は『七帝柔道記』の中で「この作品が世間に歪んだ柔道観を持たせてしまった」と指摘している。
『柔道一直線』のあらすじ
主人公・一条直也の父親は1964年の東京オリンピックの柔道で敗れ、命を落とす。直也は車周作の指導のもと、「地獄車」、「海老車」などの技を駆使して外国人柔道家や日本のライバルたちと戦う。
最後は師匠・周作が直也に「地獄車からの脱皮」と新たな飛躍が必要と見て、敢えて敵の外国人柔道家に「地獄車攻略法」をさずける。直也は試合でも相手の誘いに乗らず、冷静に普通の投げ技で破り、最後は日本人のライバルを地獄車で下して優勝する。周作は負けを認め、直也の活躍がテレビ中継されている料理店で酒を飲みながら息を引き取る。
テレビドラマ『柔道一直線』
1969年6月22日から1971年4月4日までTBS系列で毎週日曜日午後7時から30分間放送された。東映制作のテレビ映画。全92話。大ブームとなった「スポ根ドラマ」の端緒となった人気ドラマであり、アクションシーンの特殊効果は後に一部の同じスタッフで制作される『仮面ライダー』のアクションにつながることとなる。オープニングで投げられた人物の髪形が途中で変わっている。
(出典:Wikipedia「柔道一直線」)
狭義のスポ根とは、1960年代から1970年代の日本の高度経済成長期に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり、メキシコ五輪が開催された1968年前後に人気のピークを迎えた。定義としては以下のものが挙げられる。
1.努力型の主人公と天才型のライバルの対比
2.血のにじむ様な特訓を繰り返し、その成果として人間離れした必殺技を生み出す
3.努力型主人公の最終的な勝利
主人公が努力と根性でひたむきに競技に取り組み、特訓を重ね、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて成長を遂げてライバルとの勝負に打ち勝っていくのだが、主人公が背負った苦労を強調させるために、スポーツ選手としての天性の素質を持ち容易く主人公を打ち破ることが出来るライバルの存在は必須であり、貧困層出身の主人公に対し富裕層出身のライバル、といった対比構図も盛り込まれた。
こうした弱者が強者に努力と根性で立ち向かうストーリー構成は高度成長期に一般大衆が抱いていた「欧米諸国に追いつき追い越せ」という価値観と一致するものであり、当時の読者に支持された。
スポ根漫画の誕生と前後して日本テレビ系列ではラグビーやサッカーといった集団スポーツを通じた教師と生徒たちの交流を描いた『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』などの青春ドラマ(全て東宝が制作したので、一部で「東宝青春学園ドラマシリーズ」と呼ばれる)が放送された。
この背景には、1964年に行われた東京オリンピックにおいてバレーボール全日本女子を優勝に導いた大松博文の影響があるとされている。
1960年代後半から1970年代初頭にかけてスポ根漫画を原作としたテレビドラマが登場し、TBS系列で放送された柔道を題材とした『柔道一直線』やバレーボールを題材とした『サインはV』や水泳を題材とした『金メダルへのターン!』などが人気作品となるなどのスポ根番組ブームとなった。その中で、『サインはV』は原作と同様に特訓による根性的要素が描かれたが、番組収録時には出演者に対して長時間に渡る練習を課しリハーサルを経て消耗し切った所で撮影に挑んだという。
日本国内でスポ根番組ブームが終息していた1970年代後半にテレビ朝日系列でバレーボールを題材とした『燃えろアタック』(原作:石ノ森章太郎)が放送された。スポ根の要素を前面に出したこの作品は後に中華人民共和国でも放送され人気を獲得した。
(出典:Wikipedia「スポ根」)