元大洋エース斉藤明雄、大洋復刻ユニで始球式!
5月10日から始まったの中日との3連戦で、大洋ホエールズ時代のユニホームが蘇った。
「We☆YOKOHAMA DAY」として大洋ホエールズ時代の復刻ユニホームを着るシリーズ。
その企画の一つで、大洋ホエールズ時代のエース斉藤明雄が始球式を務めた。
「We☆YOKOHAMA DAY」として大洋ホエールズ時代の復刻ユニホームを着るシリーズ。
その企画の一つで、大洋ホエールズ時代のエース斉藤明雄が始球式を務めた。
1977年から1993年まで在籍した斉藤。
始球式の投球内容は、捕手に高城、打席に桑原を相手に内角をえぐる死球すれすれのボールを投じた。
桑原がのけぞる程の内角攻めにスタンドが湧いた。
「インサイドに抜けたのが気になりましたが、それなりに投げられて良かったです。今のユニホームは当時のものと比べて投げやすいですね。DeNAベイスターズはスタートは苦戦していましたが、主力が戻ってきたので、これからの巻き返しが楽しみです。ファンの皆さんも期待してくださいね」とコメント。
ユニホームは1978年から1992年にかけて着用されたもの。
始球式の投球内容は、捕手に高城、打席に桑原を相手に内角をえぐる死球すれすれのボールを投じた。
桑原がのけぞる程の内角攻めにスタンドが湧いた。
「インサイドに抜けたのが気になりましたが、それなりに投げられて良かったです。今のユニホームは当時のものと比べて投げやすいですね。DeNAベイスターズはスタートは苦戦していましたが、主力が戻ってきたので、これからの巻き返しが楽しみです。ファンの皆さんも期待してくださいね」とコメント。
ユニホームは1978年から1992年にかけて着用されたもの。
先発からリリーフまで務めた斉藤明雄
1955年2月23日生まれ。
京都府出身。
花園高校から大阪商業大学に進み、卒業後にドラフト1位で「大洋ホエールズ」入団。
1977年には8勝9敗の好成績で新人王を獲得。
先発からリリーフまでフル回転で、17年間に渡り601試合に登板した。
1989年7月3日、中日ドラゴンズ戦で100勝100セーブを達成。これは江夏豊、山本和行に続き史上三人目の快挙だった(右腕としては初)。
1993年、現役引退。
「大洋ホエールズ」、「横浜大洋ホエールズ」、「横浜ベイスターズ」を通じて在籍した唯一の選手。
京都府出身。
花園高校から大阪商業大学に進み、卒業後にドラフト1位で「大洋ホエールズ」入団。
1977年には8勝9敗の好成績で新人王を獲得。
先発からリリーフまでフル回転で、17年間に渡り601試合に登板した。
1989年7月3日、中日ドラゴンズ戦で100勝100セーブを達成。これは江夏豊、山本和行に続き史上三人目の快挙だった(右腕としては初)。
1993年、現役引退。
「大洋ホエールズ」、「横浜大洋ホエールズ」、「横浜ベイスターズ」を通じて在籍した唯一の選手。
性格は短気!?
via d.hatena.ne.jp
短気な一面がり、乱闘シーンではよく参加していた。
また、新人王を取った年のオフに小学校のクラス会の通知がきた。それまで一度も誘ってこなかったのに、プロで活躍した途端に誘いがきた事に怒りを覚え、「欠席」とだけ書いてポストに投函したというエピソードがある。
また、新人王を取った年のオフに小学校のクラス会の通知がきた。それまで一度も誘ってこなかったのに、プロで活躍した途端に誘いがきた事に怒りを覚え、「欠席」とだけ書いてポストに投函したというエピソードがある。
現在は解説者として活躍中
現役引退後からフジテレビ、ニッポン放送、テレビ神奈川等で解説者として活躍。
また、横浜ベイスターズに投手コーチとして就任(1996年~1999年)し、優勝に貢献する等、指導者としても実績がある。
近年では、2013年に千葉ロッテマリーンズの投手コーチに就任(2014年に退団)した。
また、横浜ベイスターズに投手コーチとして就任(1996年~1999年)し、優勝に貢献する等、指導者としても実績がある。
近年では、2013年に千葉ロッテマリーンズの投手コーチに就任(2014年に退団)した。
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