日本産まれの朱鷺(トキ)は絶滅
ペリカン目トキ科の鳥。全長77センチくらいで、淡紅色を帯びた白色。
顔と脚が赤く、頭に冠羽があり、くちばしは黒く、下方に曲がる。
水田や湿地でタニシ・ドジョウ・サワガニなどを捕食。巣は高い木の上に作る。東アジアに分布。
日本では明治中ごろまで各地に生息したが、野生のものは絶滅。
他にもカエルや小魚も捕食します。
昭和以降の生息地は、石川県や島根県、新潟県の3県のみでした。
1995年に佐渡島の保護センターにいた最後の雄が死亡し、事実上繁殖の可能性は消滅しました。
昭和以降の生息地は、石川県や島根県、新潟県の3県のみでした。
1995年に佐渡島の保護センターにいた最後の雄が死亡し、事実上繁殖の可能性は消滅しました。
2003年に完全に絶滅
雌の「キン」が日本産まれのトキ、最後の一羽となりました。
2003年10月10日保護センターのケージに激突し、死亡してしまいます。
2003年10月10日保護センターのケージに激突し、死亡してしまいます。
同一種だった中国のトキ
現在佐渡にいるのは中国から贈られたトキとその子孫になります。
日本産と中国産のトキのDNAを調べた兵庫医科大学・山本義弘教授(分子遺伝学)によりますと、遺伝子の違いは0・065%。
これは「個体差レベル」といわれ、日本人一人一人の遺伝子が少しずつ違うのと同じ程度です。
また山本教授の調査で、昭和初期の佐渡に中国トキと同一の遺伝子を持つトキがいたことも分かりました。
ちなみに日本最後のトキ「キン」や1981年に一斉捕獲された「ミドリ」「アカ」など、かつて佐渡に生息していたトキ約10羽の細胞は、国立環境研究所(茨城県つくば市)で冷凍保存されています。
via seinansky.com
トキを保護する理由
野鳥保護から地球上の生態系の保全へと展開
トキの数が減少し、日本では珍しい鳥になったころ、おもにその希少価値を守りたいという理由で、国の特別天然記念物に指定されました(1952 年)。
また、この鳥の希少性が世界中に広く知られるようになると、人間活動によって減少したこの鳥を守るべきだという野鳥保護の観点から、国際保護鳥に指定されました(1960 年)。
さらに、絶滅の恐れのある生物を調査して作成されたリスト(レッドデータブック)が、国際自然保護連合(IUCN)により発行され、トキは絶滅危惧 1A 類(危機的絶滅寸前種)に位置づけられました。
環境省はこれを参考に、国内のローカルなレッドデータブックを作成し、この中でトキを野生絶滅種 とし、種の保存法により保護してきました。
そして現在、私たちがくらす地球上の生態系の保全という観点から、生物多様性条約(1992 年)が締結され、国内では、生物多様性国家戦略が推進されています。トキの保護プロジェクトもこの活動の一環です。
深刻さを訴えかけるACのCM
[AC CM]公共広告機構 トキ - YouTube
山田五十鈴の声が深刻さを強調するCM。
深刻な情報を聞く度に、段々とトキの繁殖を応援するようになりました。
トキの保護運動は、トキを通じて日本人の動物保護への理解をも促していましたね。
深刻な情報を聞く度に、段々とトキの繁殖を応援するようになりました。
トキの保護運動は、トキを通じて日本人の動物保護への理解をも促していましたね。
via www.youtube.com
山田五十鈴(女優)
1990年(平成2年)度の「たった2羽からの提言」でナレーションを担当。
同CMは野生のトキを取り上げており、当時日本にいた野生のトキは2羽のみだった。
宇治金太郎さんと「キン」の物語
昭和43年、佐渡の真野に一羽のトキが迷い込みました。
野性のトキが減少を続ける中、環境庁の依頼により、地元「野鳥の会」会員の宇治金太郎さんが監察員に選ばれました。
以降、「コーイ、コイコイ」とトキに掛け声をかけ続け、トキの警戒心を解いていきます。
宇治金太郎さんにだけなついたトキを「トキ子」(キン)と呼び、我が子のようにかわいがりました。
しかし、トキ子も成長し、行動範囲が広がっていきました。また、野犬や農作物への農薬散布等、トキ子の生存が不安視され、ついに保護し、人工繁殖をする為に捕獲を試みる事になります。
悩んだ末に、捕獲に協力する宇治金太郎さん。
環境庁の派遣した捕獲班では、捕らえられなかったトキ子ですが、宇治金太郎さんの元に降り立ち、餌をもらいます。
大粒の涙を流しながらも、優しくトキ子を抱き上げた宇治金太郎さんでした。
野性のトキが減少を続ける中、環境庁の依頼により、地元「野鳥の会」会員の宇治金太郎さんが監察員に選ばれました。
以降、「コーイ、コイコイ」とトキに掛け声をかけ続け、トキの警戒心を解いていきます。
宇治金太郎さんにだけなついたトキを「トキ子」(キン)と呼び、我が子のようにかわいがりました。
しかし、トキ子も成長し、行動範囲が広がっていきました。また、野犬や農作物への農薬散布等、トキ子の生存が不安視され、ついに保護し、人工繁殖をする為に捕獲を試みる事になります。
悩んだ末に、捕獲に協力する宇治金太郎さん。
環境庁の派遣した捕獲班では、捕らえられなかったトキ子ですが、宇治金太郎さんの元に降り立ち、餌をもらいます。
大粒の涙を流しながらも、優しくトキ子を抱き上げた宇治金太郎さんでした。
「俺は世界一の裏切り者」
当時、トキの人工飼育技術はまだ確率されておらず、保護センターで飼育し始めたトキが次々に死んでしまう状況が続いていました。
宇治さんは「トキ子」を保護した直後、保護センターのトキが1羽死んだという知らせを聞かされます。
この段階で、人工飼育されたトキ5羽のうち4羽が死んだのです。宇治さんは「車の窓を開けて「トキ子」を逃がしてやろうか」と思ったそうです。
宇治さんは、自身の手で「トキ子」の自由を奪ってしまった事を生涯悔やみ続けました。
あまりに落ち込んでいる宇治さんを見かねて「もし捕獲しなかったら、今頃野犬に襲われて死んでしまってたかもしれんちゃ」と励ますも、「・・・自分は世界一の裏切り者ですっちゃ・・・」と答える事しかできなかったのです。
歳老いた体に鞭を打つように、毎月、宇賀神様の593段ある石段を登り、泊りがけで「トキ子」の長寿と子孫繁栄を祈願し続けました。
亡くなる直前のうわ言でも、「トキ子」の事を気にかけていたと言われています。
via niigata-repo.com
学名は「ニッポニア・ニッポン」