定番のナショナル
昭和25年(1950)に勃発した朝鮮動乱の特需で活気を得た業界では、外国メーカーとの技術提携が盛んであった。松下電器でも検討されたが、“あくまでも独自の技術で世界的水準の製品を開発する”との方針を堅持し、原材料・部品を自社内部でつくり、一貫した生産を開始した。昭和29年(1954)4月、日本で初めての完全金属外装裸式乾電池「ナショナルハイパー」の開発に成功。これによってナショナル乾電池の地歩を固めた。
ハイパー開発後間もなく、トップから「今の性能では応用範囲が限られている。従来の2倍長持ちする電池をつくるように」という指示が出た。電池は国際規格において縦、横、高さの厳しい寸法規制があり、さらに化学製品がもつ種々の技術的難関がある。液もれがしにくく、使わずに放置していても容量が減らず、しかも寒さ、暑さ、多湿という悪条件でも完全にその性能を発揮する電池の開発に挑戦し、昭和38年、従来の2倍の寿命がある“ハイトップ”の開発に成功した。
ハイトップの開発直後、ハイパーの3倍、ハイトップの1・5倍の容量を持つ新しい超高性能乾電池の研究に着手した。高さ6センチ、直径3.3センチという国際規格のもと、ハイパーの2倍にまで高めた性能を、さらに5割も向上させるという目標を掲げたのである。そして昭和44年(1969)7月、世界最高寿命を誇る「ナショナル ネオハイトップ」の開発に成功する。
工程でも全工程の自動化とスピードアップをはかり、毎分600個以上を生産する高速ラインを導入した。販売面では、雑貨、医薬、文具、模型、釣り具、園芸など、多くの業界に進出し、各業界に適合した商品の開発がすすむ。