盛田昭夫氏は1921年生まれ。ダイエー創業者の中内功氏が1922年生まれなので年齢的にはひとつ違いである。
生家は伝統ある造り酒屋で父親は14代目。
母親がすごい。
生家は伝統ある造り酒屋で父親は14代目。
母親がすごい。
母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘であり、元仙台市長・早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三のいとこにあたる。また、敷島製パン創業家とは親戚、三省堂創業家・亀井家とも姻戚関係にある。
この時代で経営に関わっている人物であればよくあると言えばよくある家系図だが、このまま政治家になっても文化人になっても成功できるのではないかと思わせる環境である。
盛田氏自身の経歴もすごいものがあり、大阪帝国大学理学部で物理学を学ぶのに前後して海軍に所属している。
この《海軍》というのはひとつの鍵であろう。
当時の日本海軍というのは科学技術と合理の最先端である。
潜水艦もつくるし電探もつくるし零戦は開発するし数々の戦艦も手がけている。規模が大きすぎるのでなんとも言えないが現代でも通用するような、あるいは現代ではもはや無理であろうという開発、研究、運用を実践していたはずである。
これを善として見るか悪として見るかは人によるのだろう。
成果も事故も事件も資料も山ほどある。どの情報を取捨選択しどういった感覚を抱くか、各位の歴史家としての素質が問われているかもしれない。
盛田氏自身の経歴もすごいものがあり、大阪帝国大学理学部で物理学を学ぶのに前後して海軍に所属している。
この《海軍》というのはひとつの鍵であろう。
当時の日本海軍というのは科学技術と合理の最先端である。
潜水艦もつくるし電探もつくるし零戦は開発するし数々の戦艦も手がけている。規模が大きすぎるのでなんとも言えないが現代でも通用するような、あるいは現代ではもはや無理であろうという開発、研究、運用を実践していたはずである。
これを善として見るか悪として見るかは人によるのだろう。
成果も事故も事件も資料も山ほどある。どの情報を取捨選択しどういった感覚を抱くか、各位の歴史家としての素質が問われているかもしれない。
via ja.wikipedia.org
もちろん問われているのは後世の人間だけではない。
盛田氏はこれらの体験の後に、海軍で出会った井深大氏と《ソニー》を設立している。そしてテープレコーダー、ラジオ、ウォークマンなどをもってくる――というのがよく知られた人物像だろうが。その後、経団連副会長、勲一等瑞宝章、名誉大英勲章とナイト爵、フランスからレジオンドヌール勲章を贈られるなどしている。
彼はいったいどんな価値観をもって他人を眺めていたのか?
それについての重要な資料が「学歴無用論」であると言える。
タイトルはどこか経営書的な匂いを発している。
だがこの時代の会社経営とは、往々にして人間の経営と同義ではなかったか。
古代中国の「論語」「孫子兵法」は経営の資料として扱われることも珍しくないが、逆に当時の経営書が自己と他者の探求における頼もしい資料として扱われることも珍しくないわけである。
「学歴無用論」において盛田氏は国際的、米国的な視点を往々にして取りあげているが、両手をあげて彼らに倣えと言っているわけではない。
それらは《学歴》を最重視していた当時の社会に対する反論のようなものである。ここで彼自身の《造り酒屋》という出身がおもしろいヒントを与えてくれる。
彼は最先端の科学を学校と軍で叩き込まれた最新鋭の人材であると同時に、典型的で伝統的な家父長制度の家の出身なのである。
夏目漱石作品あたりによく出てくる、西欧かぶれで他人をすぐ見下すイヤな奴がいる。
彼をそういう人物にしなかったのはもしかしたらこの《造り酒屋》の存在があったからかもしれない――というのはちょっとおもしろすぎる解釈であり、邪推だと言って酒の席の笑い話にしてしまった方が良いのかもしれない。
盛田氏はこれらの体験の後に、海軍で出会った井深大氏と《ソニー》を設立している。そしてテープレコーダー、ラジオ、ウォークマンなどをもってくる――というのがよく知られた人物像だろうが。その後、経団連副会長、勲一等瑞宝章、名誉大英勲章とナイト爵、フランスからレジオンドヌール勲章を贈られるなどしている。
彼はいったいどんな価値観をもって他人を眺めていたのか?
それについての重要な資料が「学歴無用論」であると言える。
タイトルはどこか経営書的な匂いを発している。
だがこの時代の会社経営とは、往々にして人間の経営と同義ではなかったか。
古代中国の「論語」「孫子兵法」は経営の資料として扱われることも珍しくないが、逆に当時の経営書が自己と他者の探求における頼もしい資料として扱われることも珍しくないわけである。
「学歴無用論」において盛田氏は国際的、米国的な視点を往々にして取りあげているが、両手をあげて彼らに倣えと言っているわけではない。
それらは《学歴》を最重視していた当時の社会に対する反論のようなものである。ここで彼自身の《造り酒屋》という出身がおもしろいヒントを与えてくれる。
彼は最先端の科学を学校と軍で叩き込まれた最新鋭の人材であると同時に、典型的で伝統的な家父長制度の家の出身なのである。
夏目漱石作品あたりによく出てくる、西欧かぶれで他人をすぐ見下すイヤな奴がいる。
彼をそういう人物にしなかったのはもしかしたらこの《造り酒屋》の存在があったからかもしれない――というのはちょっとおもしろすぎる解釈であり、邪推だと言って酒の席の笑い話にしてしまった方が良いのかもしれない。