2018年2月11日 更新

【創業した者、されたモノ】ソニーをつくりだした男、盛田昭夫たちの出会いと

電化製品に囲まれた家。10歳で重役会議に出席。うまくいかない学業。そして、出会い。ソニーをつくりだした男はいかなる経歴の持ち主だったのか。【創業した者、されたモノ】第3弾。

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はじめに

MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―...

MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略

 日本で電子工業と言えば、で浮かぶ会社はいくつかあるだろう。
 ソニーもそのひとつである。

 そのソニーの創業者が盛田昭夫という人物である。
 (もちろん井深大の話も欠かすことはできないが、これについては後述)

 今でこそSONY創業者として知られる彼だが、元々は造り酒屋の長男であった。
 そんな盛田がいかにして《SONY》を設立する人間になっていったのか?
 いかにして社長である父親を説得したのか?

 今回はそのあたりにピントをあわせてご紹介しよう。

出生とその周辺

盛田昭夫

盛田昭夫

 手元にいくつかの資料があるが、盛田の出生についてどこをクローズアップするかは資料によって異なっているのが興味深い。
 まずは最もアプローチしやすい資料、Wikipediaから引用してみよう。
 wikiは盛田が愛知県名古屋市出身であることに触れてから、
生家は、代々続いた造り酒屋で父・久左衛門は盛田家第14代当主。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘であり、元仙台市長・早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三のいとこにあたる。また、敷島製パン創業家とは親戚、三省堂創業家・亀井家とも姻戚関係にある。
 と続けている。
 たしかに盛田が会社設立時に縁故親戚の協力を得たことは事実であろう。だがここだけピックアップするとまるで財閥の御曹司然としている。


 さて追加する形で「世界が舞台の永遠青年 盛田昭夫語録」の逸話を紹介しよう。

 盛田の父親は、保守的でありながら新しい物を買い与えてくれる人物だった。そして母親も、伝統をふまえつつ新しい物に興味を示す人物であった。
そのため、家には、T型フォードやRCAの蓄音機、GEの洗濯機、ウェスティングハウスの冷蔵庫などがあり、当時としては珍しい西欧のものがあふれていた。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 当時としては珍しい西欧の電化製品に触れながら、盛田は機械いじりの好きな少年として育っていく。

 一方で盛田は造り酒屋の社長になるべく一種の英才教育を受けていた。
 事務所や醸造所を出入りするのはもちろんのこと、10歳の頃から重役会議にも出席していたというから驚きである。

学生時代

小説 盛田昭夫学校(上)

小説 盛田昭夫学校(上)

 学生時代の盛田はどうだったか? 最初にネタを明かしてしまおう。
電気いじりに熱中するあまり、学校の成績のほうは、落第すれすれだった。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 と、いうことだったらしい。
 そもそも盛田の電気好きがちょっと異常なレベルだった。中学時代には電子工学の最新情報が載っている雑誌を読みこなし、電蓄やらラジオ受信機やらを自力で完成させたというからちょっと想像しにくい。

 そんな盛田にとある試練が訪れる。今で言う受験である。
 当時、盛田は旧制愛知県第一中学校の生徒であった。そして志望校は旧制第八高等学校理科。

 成績がすれすれであった盛田だが、当時からすでに理想を貫く姿勢が備わっていたのかもしれない。
 盛田はこの受験を一度失敗し、浪人生活に入ってから成功することになる。
 この経験から彼は、強く確かな決意をもって臨めば、何事も成し遂げることができるのだということを学ぶ。

 このときは流石に好きな電気いじりも我慢していたらしいから、その決意の強さが並々ならぬものであったことがわかる。

戦争

21世紀へ

21世紀へ

八高でも興味の持てない学科が多く、ここでも落第しそうになったりするが、好きな物理にだけは熱中し、物理の服部学順先生からは可愛がられた。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 ここまでお読みの方なら察していただけるだろう、盛田は画期的な人間ではあったが、天才的、エリート的かと言われるとそういった雰囲気は無かったようである。
 ことごとく全てに才能を示すマルチなタイプ――ではなく、好きなものは好き、きらいなものはきらいということで放っておく人間味あるタイプである印象があるがどうだろうか。

 さてそんな性質だからかどうか、盛田は高校に続き大学でも浅田常三郎教授に好まれていたようである。
 のだが、ここで戦争が始まってしまう。

 戦争との関わり方は文字通り千差万別である。
「はだしのゲン」のように幼少期に関わっているパターンもあれば、水木しげるや升田幸三、中田功のように実際に徴兵されて戦地に赴いている人も当然いる。
 前回取り上げた本田宗一郎は、徴兵こそされていないものの研究に影響を受けたというパターンの人物だった。
 このうち、盛田は3つ目のパターンだった。即ち徴兵こそされなかったものの大学生活に影響が出たのである。

 具体的にどのような影響がでたか?
大学に入ったものの、戦争が激化、盛田が在籍していた浅田常三郎教授の研究室は海軍の研究施設に編入されてしまう。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 時代は盛田の意志とは関係無しに盛田の周囲で戦争を展開していったらしい。
 ここで盛田はなにをしていたかと言うと、教授の手伝いで海軍航空技術廠で勤務していたようである。
 そしてそこで、海軍士官からとある情報を得る。

 どうも海軍には委託学生制度というものがあって、これに合格すると海軍に就職することができるのだという。
 就職といってもやることは学生の時と同じで、つまりやることが同じながら海軍の人間であるという肩書を得ることができるのだ。逆に言えば徴兵されないということである。これは重要なことであった。
盛田は、迷った末に、これに志願し、大学2年のときに海軍に入っている。とは言っても、以前と同様に大学の研究室に行き、研究を続ける毎日であることは変わりがなかった。ただ、徴兵され前線へ送られる心配はなくなったのだ。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 大学卒業後、盛田はそのまま海軍航空技術廠の所属となって勤務する。
 そしてとある研究会に派遣された時、運命的とも言える出会いを果たすのであった。


 民間の電子技術者としてとある研究分科会のメンバーであった、井深大との出会いであった。

再会

 井深と盛田の間柄、どのような関係だったかについては諸説あることだろうと思う。
 ざんねんながら手元には井深側の資料が無い。よって盛田側の資料からこのことを推測するしかないのだが、
盛田は、井深の人柄と技術者としての見識の深さに惹かれるようになり、親しく話すようになっていた。井深のほうも、物怖じせずハキハキと話す盛田をすっかり気にいったのだ。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 とある。
 一応イーブンな関係であったようにも書かれているが、個人的には盛田が井深に積極的アプローチをかけていったのではないかと推理している。


 さて、せっかく出会った2人だったが終戦とそれに関連するごたごたでお互いの居場所がわからなくなってしまう。

 盛田家に戦争における人的な被害は薄かったらしい。
 父親は健在で働いており、弟たちも軍隊から無傷で帰ってきていた。盛田は大学を卒業したばかりの24歳。急いで家業を継ぐ必要もあるまいということで、盛田は東京工業大学の講師として働くことに決めた。
 そんな、上京の準備を進めていたある日のことである。盛田は新聞のあるコラムで意外な人物の消息を知ることとなる。
「元早大理工科講師井深大氏が日本橋白木屋の三階に東京通信研究所の看板を掲げ、一般受信機の改造、または付加装置により短波受信機を普及させようと乗り出した……」
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 盛田は興奮した、と書いてある。
 早速井深に手紙を書いた。そして返事も届いた。井深からの返事には、
「ぜひ会社を見てほしい。経営は極めて苦しく、自分のポケットマネーから給料を支払っている状態で、資金源を探している」
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」

家業

世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録

世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録

 その後、ふたりは東京通信工業株式会社を設立し、それがSONYの前身であることは広く知られている話なので割愛しよう。

 最後にひとつだけエピソードを紹介しておく。

 話は少し遡り、盛田の大学入学前後の頃になる。
 なにやら話を読んでいると、盛田は高校理科に進学し、ついで大阪帝国大学理学部に進んでいる。

 造り酒屋の社長であった父親はどう思っていたのか?
息子を跡継ぎとして考えていた父親は、経済学部ではなく理学部に進んだことに失望はしたが、いずれは家業を継ぐものと考えていたので反対はしなかった。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 これはすこし甘かった、と言わざるを得ないのではなかろうか。
 かつては電子工学が好きで最新情報を読み込み自力で工作までしていた少年であり、それを断ってまで理科に進んだ意志の強い少年である。

 しかしそのまますんなりと会社をスタートさせたわけではない。
 盛田は父親に、家業は継がずに会社をやるということをきっぱりと伝えなければならなかった。
 ここでまたすごい人物が出て来る。そのまま引用してしまおう。
井深と盛田は、井深の義父であり元文部大臣だった前田多門とともに、盛田の父親に許しをもらうために愛知の盛田家を訪問する。弟の和昭が家業を継ぐと言ってくれたこともあり、案に相違して、父親は「お前のいちばん好きなことをやりなさい」と許してくれたのだった。
 こうして、盛田は井深と共同出資で東京通信工業を設立した。社長は前田多門、井深は専務、盛田は取締役で、時に井深38歳、盛田25歳であった。
出典 ソニー・マガジンズビジネスブック編「世界が舞台の永遠青年/盛田昭夫語録」
 この時点で、まだ父親は《いずれは家業を継ぐもの》と考えていたのだろうか。
 あるいは戦争があった時点で、ないし弟たちが無事に帰ってきた時点で、電子工学の申し子だった盛田のことを諦める気持ちがちょっとは存在していたのかもしれない。

 いずれにせよ元文部大臣が説得に来て、いや大臣だろうが困るものは困るとつっぱねることができる人間は世にそうそうはいなかっただろう。
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