国産車のレベルを引き上げたトヨタ・ソアラ
2017年5月9日 更新

国産車のレベルを引き上げたトヨタ・ソアラ

1980年代から90年代にかけて、憧れのクルマとして燦然と輝いていたトヨタ・ソアラ。高級感とスポーティさを兼ね備えた外観、豪華で先進的な装備だけでなく、日本で初めて、「魂」から造られた高級クーペでした。

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日本にようやく誕生したパーソナルクーペ

1981年2月に発売されたトヨタ・ソアラは、非常に画期的なクルマでした。それまでも、日本にはクラウンやセドリックのような“高級車”は存在していましたが、真の意味での“高級”に値するクルマは無かった、といっても過言ではありません。

これを言い始めると、「高級車とは何か」という定義付けになってくるのですが、クラウンやセドリックの上級グレードは、言葉は悪いですが、サイズが大きく、装備が豪華で、価格が高いだけのクルマでした。タクシー用グレードやライトバンは、その半面ともいえる位置付けになります。
前期型 2800GT エクストラ

前期型 2800GT エクストラ

専用のクーペボディに最先端技術を満載して登場した初代ソアラ。これまでにないジャンルのクルマなので、上級グレードだけでなく、下級グレードまで幅広く人気があった。
via 撮影 篠田恵三
日本ではクーペというと4気筒2000ccくらいの、GTカーやスポーツカーに近いイメージが強いですが、欧米では4人が乗れる2ドアボディのクーペは高級なものと位置付けられ、特に高級ブランドになるほど、本当のお金持ちがプライベートで乗るクルマとされています。

たとえば、メルセデス・ベンツのSECやロールス・ロイスのコーニッシュ、キャデラックのエルドラドなど、欧米の名だたる高級車ブランドでは、その最上位モデルとして2ドアクーペを擁してきました。これらのブランドでは、セダンはパブリックなもの、クーペはプライベートなものとされ、贅を尽くしたクーペの方が、セダンの最上級グレードよりも高価格に設定されています。クラウンやセドリックにも2ドアクーペはありましたが、ソアラは世界に通用する本格的な高級クーペとして開発されました。
メルセデスベンツの600SEC(写真は1993年発売)

メルセデスベンツの600SEC(写真は1993年発売)

メルセデスベンツの600SEC(写真は1993年発売)。Sクラスをベースにした4人乗り・2ドアクーペ。同社では、富裕層向けに常に高級クーペをラインナップしている。

【画像提供:カーセンサーnet】

専用ボディに秘めた高性能と先進技術

ソアラは、従来のトヨタ車とは走行性能を根本から改め、高品質なつくりと最新装備で魅了しました。エンジンは全車直列6気筒の2800ccおよび2000ccとされ、直列4気筒エンジンは設定されません。トップグレードに搭載される2800ccの5M-GEUエンジンは、SOHCの5M-EUエンジンをベースにDOHC化したもので、出力170PS、24.0kg/mのトルク(グロス値)を発揮。当時ではかなりの高性能エンジンとなりました。

さらに、エンジンの燃料噴射や点火時期などをコンピュータ制御するTCCS、電子制御オートマチックのECT、コンピュータ制御サスペンションのTEMS、世界初の自動車情報表示システムといわれるエレクトロマルチビジョンなど、当時のコンピュータ技術を駆使した最先端技術を搭載。ソアラは、80年代のトヨタをリードするクルマとして一斉を風靡し、多くの大人の憧れの存在となりました。
トヨタ・ソアラ(初代後期型)

トヨタ・ソアラ(初代後期型)

初代ソアラは1983年にマイナーチェンジを実施。フロントグリルが横桟基調のものになった。
また、「太陽にほえろ!」「Gメン'75」「ザ・ハングマン」といったドラマで、主役級の役者が使用して活躍します。派手なカーアクションで活躍するソアラに、多くの少年たちが釘付けになりました。

初代ソアラは、1981年に直列6気筒SOHCの2000ccターボ(145PS、21.5kg/m)が追加され、1985年には2800ccが3000ccエンジンに変更されるなど、改良を重ねてきました。そして1986年1月、当時の国産車にしてはやや長い5年のモデルスパンで2代目に進化しました。

トヨタ 2800GTソアラ CM (1981)

初代ソアラのCM。「未体験ゾーンへ。」というコピーが、ソアラの高性能を物語る。

性能を大幅に向上させて国産車の頂点に

1986年に登場した2代目ソアラは、基本的なデザインコンセプトは初代を踏襲していますが、各部に曲面が採り入れられて洗練されました。キャッチコピーの「世界にひとつ、日本にソアラ。」は、ソアラの崇高さをより印象づけました(ちなみに、初代・2代目ソアラは国内専用車でした)。

引き続きトヨタの看板車種と位置付けられ、クラウンやマーク2の同性能エンジンを搭載するモデルよりも、価格帯はやや高くなっていました。それでも当時はバブル経済に入ったころで、初代よりもたくさん売れる結果となりました。
5ナンバー枠いっぱいに造られた2代目ソアラ。

5ナンバー枠いっぱいに造られた2代目ソアラ。

オーソドックスなデザインだが、節々から美しさが感じられる。

【画像提供:カーセンサーnet】
直列6気筒3000ccのDOHCエンジンは、新開発された7M-GTEUを搭載。ターボチャージャーと空冷インタークーラーを装着し、当時の国産車では最強の230PS、33.0kg/m(ネット値)を発揮しました。サスペンションには4輪ダブルウィッシュボーン式を採用。これはその後のトヨタFR車では主流の形式ですが、実はトヨタ2000GT以来の採用でした。さらに最上級グレードの3.0GTリミテッドには、オプションで金属バネを使わない電子制御式エアサスペンションを世界初搭載しました。
落ち着いた見た目のリアデザイン。

落ち着いた見た目のリアデザイン。

【画像提供:カーセンサーnet】
デジタル表示のスピードメーターをさらに進化させた、スペ...

デジタル表示のスピードメーターをさらに進化させた、スペースビジョンメーターが、ソアラの先進性を象徴していた。

【画像提供:カーセンサーnet】

国産車の成長に期待をかけた白洲二郎

これらの走行性能の向上には、戦後日本の独立に貢献し、大のクルマ好きとしても知られる白洲次郎の貢献が大きい、と言われております。白洲は自身で初代ソアラを所有し、豊田章一郎社長(当時)宛に意見をしました。しかも、研究開発の参考にするように、と自身が所有するポルシェ911をトヨタに寄贈しました。

その成果もあって、2代目ソアラは、ドイツのアウトバーンを走ってもドイツ車に引けを取らない走行性能を獲得しました。しかし、白洲二郎は2代目ソアラの発売を待たずに亡くなってしまいました。販売台数だけでなく、性能面でも欧米に比肩する現在の日本車を目にしたら、白洲も喜んだのではないでしょうか。
2代目に追加設定されたエアロキャビン。屋根とリアウィン...

2代目に追加設定されたエアロキャビン。屋根とリアウィンドウ部分が開閉した。

【画像提供:カーセンサーnet】
装備面では、車速感応型パワーステアリング、4輪ABS、スペースビジョンメーター、マルチコントロールパネル(エアコン・ラジオ・カセットを1枚の液晶タッチパネルで操作可能)といった先進装備を搭載。他の追随を許さない、真の高級車となりました。

一方でモデル後期となる1988年には日産(セドリック・グロリア)シーマが登場。1989年にはトヨタセルシオ、1990年には3ナンバー専用ボディの三菱ディアマンテが発売されるなど、高級車を取り巻く環境は大きく変わり始めていました。
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