田原俊彦プロフィール
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田原 俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 - )は、日本のアイドル歌手、俳優、タレント。
神奈川県横須賀市出生、山梨県甲府市出身。[1]。フォーミュラミュージックエンタテインメント所属。
愛称はトシちゃん。妻は元モデルの向井田彩子。長女はタレントの田原可南子。
トシちゃんこと、田原俊彦は、1980年代から90年代初頭にかけてジャニーズ発のアイドルとして一世を風靡しました。同世代の近藤真彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」を結成。郷ひろみが抜けた後、不振に陥っていたジャニーズ事務所の復権を支えるとともに、80年代のアイドルシーンを牽引する存在となりました。
知る人ぞ知るブレイク前の活動
田原俊彦が、ジャニーズ事務所の門を叩いたのは1976年の夏のことでした。母子家庭で貧しい生活を送っていた田原は履歴書を送るも返事のなかったジャニーズ事務所に直接押しかけジャニー喜多川社長との直談判の末、入門を許されました。
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「3年B組金八先生」でブレイク
1979年、学園ドラマ『3年B組金八先生』に中学生役で出演、このドラマをきっかけに田原は大ブレイクを果たすことになります。共演の近藤真彦、野村義男は当時15歳と実際の中学生でしたが、田原だけはすでに高校を卒業していたため、事務所側の意向から当時は1歳若く年齢を詐称していました。
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自己満 田原俊彦 3年B組金八 第11回【お正月にコンサートを観に行く】の巻 OR-015
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たのきんトリオ
『金八先生』で共演した近藤真彦と野村義男と、共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博しました。たのきんトリオは正式なグループではなく、グループでレコードを発売するといった活動はありませんでした。「たのきん」の名称は、田原の「田(た)」、野村の「野(の)」、近藤の「近(きん)」に由来しています。
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「たのきん」としてレコードデビューした訳ではありませんが、当時の低迷期を迎えていたジャニーズ事務所の空気を一新、彼らの成功を通じてその後のジャニーズ事務所は再び急成長を果たしたと言っても過言でははありません。 彼らのヒットの後、シブがき隊や少年隊などが次々とデビューし、芸能界にジャニーズを中心とした男性アイドルの牙城を築きますが、その先駆的立場を担ったとも言えます。
たのきん全力投球!
たのきん全力投球!は1980年から1983年に、TBS系列局で放送されたたのきん主演のバラエティ番組です。主演の三人のほかに、松田聖子、松本伊代、堀ちえみなどの同世代の女性アイドルたちも毎回ゲスト出演していました。
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歌手としてトップアイドルに
1980年、たのきんトリオの先陣を切って「哀愁でいと」で歌手デビューを果たすと、その後もヒット曲を重ねて歌って踊れるアイドルとして、80年代の男性アイドル界を牽引していきます。同世代の松田聖子らとも賞レースを繰り広げ、日本のポップスシーンをおおいに盛り上げました。