【訃報】「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょうね?」地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球さん死去。
2023年6月19日 更新

【訃報】「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょうね?」地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球さん死去。

夫婦漫才コンビ、春日三球・照代などで活躍した春日三球(かすが さんきゅう)さんが5月17日、東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。89歳でした。

341 view

【訃報】地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球さん死去。

夫婦漫才コンビ、春日三球・照代などで活躍した春日三球(かすが さんきゅう)さんが5月17日、東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。89歳でした。

第一報はこちらです!

春日さんは1933年10月21日、東京府東京市荒川区出身。昭和期の漫才コンビ、リーガル千太・万吉に弟子入りし、1958年にクリトモ一休とともに「クリトモ一休・三休」を結成。上品でテンポのいい芸風で人気を博したものの、一休が1963年に発生した列車脱線事故「三河島事故」で死去。1965年に妻の照代とともに「春日三球・照代」として再出発し、70年代には「地下鉄漫才」「新幹線ネタ」などで一世を風靡しました。しかし、1987年に妻の照代が死去。その後は漫談家としての活動の傍ら、ババシャツブームに乗った肌着の店などを経営するなどしていましたが、6年前に脳梗塞を発症。以後は自宅で介護を受けながら生活していたとのことです。

春日三球さん プロフィール

ミドル世代としては70年代後半の「地下鉄漫才」が印象的な春日三球さん。ここでは、春日さんの冥福を祈るとともに彼の芸歴を軽く振り返っておきましょう。

「クリトモ 一休・三休」を結成!

リーガル千太・万吉の門下として芸人としてのキャリアをスタートさせた春日さん。1957年に初舞台を踏み、翌1958年には寄席「栗友亭」にちなんだ芸名・クリトモ三休を名乗り、同時期に弟子入りしていたクリトモ一休とともに「クリトモ一休・三休」を結成しました。二人は当時の若手のホープとして期待されており、NHK漫才コンクールでも上位に入賞するなど頭角を現し、師匠の亭号「リーガル」を許される話も出ていました。しかし、1962年5月3日に「国鉄戦後五大事故」と言われる列車事故「三河島事故」が発生。一休が事故に巻き込まれ急死するという不幸に見舞われました。その後、1962年末に別の芸人と「第一球・三球」を結成するも、こちらは1964年にコンビを解消しています。

夫婦漫才「春日三球・照代」で一世を風靡!

相方の急死という不幸に見舞われた春日さんですが、1965年に妻の照代とともに夫婦漫才コンビ「春日三球・照代」を結成、再出発を図りました。当初はウクレレなどを使用した音曲漫才を展開するなど試行錯誤していたのですが、70年代半ばに入ると「地下鉄漫才」を考案、「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょうね。それを考えると夜も眠れない」などの台詞で一躍人気者となりました。以後も鉄道ネタ、タクシーやエスカレーターなどの乗り物ネタを展開し、70年代から80年代にかけて人気漫才コンビの一角を担っていました。しかし、1987年4月1日に照代がくも膜下出血のため急死。その後は漫談家として、旧知の仲である青空うれしと組んでの活動を行うなどしていました。

春日 三球 ・ 照代 『乗り物アラカルト』 2007/01/02 (1977/02/11)

なお、このたびの春日さんの訃報に対し、青空うれしは「素顔は地味で控えめな男だった」と故人の人柄を偲び、また1987年に妻が亡くなった際には「悲しみに暮れていた。元気づけようと海外旅行に誘った」と、当時のエピソードについて語っていました。

昭和という時代を代表するお笑い芸人であった春日さん。その功績はこれからも人々の記憶に残り続けていくことは間違いないでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。

関連記事

18 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【訃報】俳優・コメディアンの財津一郎さん死去。「キビシ〜ッ!」「〜してチョーダイ!」などの台詞で一世を風靡

【訃報】俳優・コメディアンの財津一郎さん死去。「キビシ〜ッ!」「〜してチョーダイ!」などの台詞で一世を風靡

俳優でコメディアンの財津一郎(ざいつ いちろう、本名:財津永栄)さんが14日、慢性心不全のため東京都内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。89歳でした。
隣人速報 | 219 view
【追悼】親友だった石原慎太郎と立川談志の毒づくいい関係。師匠への弔辞では「死んでもしゃべるヤツ」と死を悼んだ

【追悼】親友だった石原慎太郎と立川談志の毒づくいい関係。師匠への弔辞では「死んでもしゃべるヤツ」と死を悼んだ

2月1日に亡くなった石原慎太郎さんと、2011年に亡くなった立川談志さん。二人の“独特”とも言える交友関係を振り返ります。
隣人速報 | 6,761 view
【訃報】80年代漫才ブームの火付け役、プロデューサー・澤田隆治さん死去。「てなもんや三度笠」「花王名人劇場」など

【訃報】80年代漫才ブームの火付け役、プロデューサー・澤田隆治さん死去。「てなもんや三度笠」「花王名人劇場」など

昭和を代表するバラエティ・コメディ番組「てなもんや三度笠」「花王名人劇場」などを手掛け、80年代における漫才ブームの火付け役としても知られるプロデューサー・澤田隆治(さわだ たかはる)さんが16日、東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。
隣人速報 | 393 view
【訃報】吉本新喜劇で活躍したチャーリー浜さん死去。「じゃあ~りませんか」「ごめんくさい」など

【訃報】吉本新喜劇で活躍したチャーリー浜さん死去。「じゃあ~りませんか」「ごめんくさい」など

吉本新喜劇で長年活躍を続けてきたお笑いタレント・喜劇俳優のチャーリー浜(本名:西岡正雄、にしおか まさお)さんが18日、呼吸不全および誤嚥性肺炎のため大阪市内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。
隣人速報 | 2,482 view
【訃報】笑点で「チャラーン!こん平でーす!」の挨拶で人気を博した落語家・林家こん平さん死去。

【訃報】笑点で「チャラーン!こん平でーす!」の挨拶で人気を博した落語家・林家こん平さん死去。

笑点における「1、2、3、チャラーン!こん平でーす!」の挨拶で親しまれた落語家・林家こん平(本名:笠井光男/かさい みつお)さんが17日、誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことが明らかとなりました。
隣人速報 | 4,687 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト