2022年2月4日 更新
【追悼】親友だった石原慎太郎と立川談志の毒づくいい関係。師匠への弔辞では「死んでもしゃべるヤツ」と死を悼んだ
2月1日に亡くなった石原慎太郎さんと、2011年に亡くなった立川談志さん。二人の“独特”とも言える交友関係を振り返ります。
【訃報】東京都知事や小説家として活躍した石原慎太郎さん死去。
東京都知事、衆議院議員などを歴任した作家・石原慎太郎さんが1日、すい臓がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。89歳でした。
アントニオ猪木が追悼コメントを発表!
このたびの石原さんの訃報には、政界を中心に様々な人々がコメントを発表しており、元参議院議員のアントニオ猪木は「私が参院選に出馬した際に『以心伝心ジェット・シン』と言ったら、慎太郎さんはとても喜んでくれた」「安らかにお休みください」と石原さんを追悼。政治家として一時期行動を共にしていた先輩の死を悼みました。
岸田首相もコメントを発表。
親友だった「石原慎太郎」と「立川談志」。毒づくいい関係を振り返る。
このたびの石原さんの訃報から遡ること11年前、2011年11月21日に落語家の立川談志さんが咽頭がんのため75歳で死去しました。そのお別れ会が翌12月に執り行われ、石原さんはそこで弔辞を読み上げました。
お別れ会に出席した際の石原さん。
石原さんはお別れ会にて、立川さんについて「死んでもしゃべるようなヤツ」と、生前の饒舌ぶりを振り返り、「あの世で会えるから、それまで元気でいてくれ。あばよ」と、落語界の風雲児として知られた立川さんを悼みました。
毒舌が毒舌を呼ぶ、不思議な関係。
石原さんと立川さんは親交が深いことで知られており、立川さんが亡くなる数日前にも電話で「おい談志、おまえもそろそろくたばるんだろう。ざまみろ」と、毒を吐きながら会話したと言います。そんな石原さんに対し、立川さんは「ああ、ああ」という、言葉にならない返事をしたとのこと。石原さんはこのときの立川さんとの会話について「ほとんど無言だったが、僕の人生の中で非常に思い出に残る、極めて印象的な会話」と振り返っていました。
その一方で2007年には立川さんが、石原さんが東京都知事を続けていることに関して「彼は都知事以外にポジションがないんだろ。プライドを満たすところ、居場所なんだな。小説は大したことないし、総理にはなれないし。なんにもやるな、っていってるんだよ」と辛らつなコメントを発表。石原氏にとっては、痛いところを突かれる格好となりました。
このように、傍から見ると悪口を言い合っているようにも見える二人ですが、石原さんは前述の通り立川さんのお別れ会で弔辞を読み上げたほか、落語立川流の顧問を務めるなど極めて良好な関係でもありました。
なぜ二人はお互いに毒を吐いていたのか?二人が鬼籍に入った今、その真相はあの世に持っていかれる形となったものの、少なくともお互いについて「本音で語り合える関係」であったことは間違いないように思えます。毒舌はいわば愛情表現であり、それを互いに理解しているからこそ、長年にわたり“毒づくいい関係”を築くことが出来たのでしょう。二人の冥福を祈るとともに、我々もこのような生涯にわたる友人を見つけたいものです。
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