中山儀助さん(中山雅史さん父)
まるごとワイドと言ったら、ゴン父こと中山儀助さんもいるだろと言う人はかなりのマニア。 pic.twitter.com/fGocs4DKPA
— とんけ (@Tonke_Suruga) December 20, 2017
1993年にFIFAワールドカップアジア最終予選のドーハーの悲劇で息子、中山雅史さん(ゴン中山)が有名になったことをきっかけに有名になります。「ゴン父」というサインを書いていた姿が印象に残っています。
雅史さんのことを「小僧」と呼び、飾らない人柄が人気になりましたね。この頃は町議会議員も務めていたので元々地元では有名人だったのでしょう。
一時は「静岡○ごとワイド」というローカル情報番組で、 『儀助さんぽ道』というレギュラーコーナーを持っているほどでした。1995年に議員を勇退され、その後はメディア出演も減りましたが、2011年には秘密のケンミンSHOW内のドラマ、「辞令は突然に...」second season ~奥様はさすらいの女子アナ編~にも出演しました。
宮沢光子さん(宮沢りえさん母)
りえさんは11歳で子役デビューし、10代のころから「ふんどしカレンダー」、「ヘアヌード写真集」など世間を驚かすことも多かったですが、すごいプロデュース力だと思います。
親密すぎる親子ともいわれていましたが、その関係は長く続くことはありませんでした。光子さんは2014年に65歳の若さで亡くなっているのですが、りえさんは光子さんを悪く言うことは決してなかったそうです。
安達有里さん(安達祐実さん母)
安達有里さんはかなりファンキーなところもあるお母さんですね。祐実さんが幼稚園の頃、仕事現場のADに淡い恋心を抱いていたのですが、ある日家に帰るとそのADさんが家に。有里さんに「今日から新しいお父さんだよ」と言われたというのは有名なエピソードではないでしょうか。
そして有里さんは2006年から表舞台にも出てきます。2006年に48歳でヘアヌード写真集を発売。さらにその2年後に全身美容整形をして2冊目のヌード写真集を販売。2009年には「タブー」という官能ムービーも発売しています。
祐実さんが20歳を過ぎてからとはいえ、実の母がヌードになるというのはかなり衝撃的ですよね。
松本隆博さん(松本人志さん兄)
2003年には松下電器産業(パナソニック)とヒューマンアカデミーの合弁会社ヒューマックスを設立し、取締役になります。
システム開発事業が主な仕事でしたが、フォークギターの教則DVDを発売したり、路上ライブを経て、2007年頃からはライブハウスでライブを行うように。
2007年には「大阪エヴェッサ応援歌」「尼崎なオカン♪」というCDも発売しています。家族のことを歌った楽曲が多いですね。
そして同じ2007年には「松本の兄」という本も出版し、話題になりました。この年から芸能活動を行うようになったんですね。その後も、本やCDをリリースされています。
2009年に退職され、「妊娠したいを応援するサイトVEAUTY」の顧問アドバイザー、ニート・フリーター対策の活動、厚生労働省わかものハローワーク広報大使、NPO法人「赤ちゃんファミリー応援隊」理事など幅広い活動をされています。
松本伊代姉(松本伊代さん姉)
この曲を発売した当初はテレビなどにも頻繁に出演されていましたが、その後は引退されたようです。そもそも本名ではなく「松本伊代姉」の名前ですし、本格的に芸能界デビューするつもりではなかったのかな、と思います。
「松本みみ」という名前でダンスのインストラクターや司会業をされているそうですよ。
その後、松本伊代姉さんを見ることはないのですが、時々伊代さんのSNSに登場しています。いまでも姉妹仲が良く、妹と間違えられるほどお若いそうです。
上田啓介さん(上田晋也さん兄)
昨日はパチゲットテレビの放送でした!直前告知…寝落ちしてしまった…😭
— カブトムシゆかり🐜 (@KBT_Yukari) July 2, 2017
上田兄こと上田啓介さん、miZhoさん、とっても楽しい収録だったのです✌︎('ω'✌︎ )
次回7月8日25:25〜KKT熊本県民テレビでの放送もよろしくです✨#パチゲットテレビ pic.twitter.com/C8p3GOhutT
全国ネットにも時々登場しますが、上田さんより明るい感じのお兄さんで、テレビに向いている感じがしますよね。
本業は映像制作プロダクション「株式会社イメージ・クリエイティブ・センターポエム」の代表取締役をされている実業家です。