ストイック過ぎる伝説のボディビルダー「マッスル北村」!!
皆さんは「マッスル北村」というボディビルダーを覚えていますでしょうか?80年代から90年代にかけて、ボディビルの世界では知らない人はいないほどの有名人であり、数々の伝説的エピソードの持ち主でもあります。また、タレントとしてテレビ出演などもしていました。そんな北村ですが、2000年8月に39歳の若さで亡くなっています。この記事では、生前の北村にまつわる伝説の数々を振り返ってみたいと思います。
こちらがマッスル北村の雄姿。
「マッスル北村」基本データ
1960年10月6日生まれ
2000年8月3日死去(39歳没)
身長173cm、体重115kg(最大時)
<主な大会成績>
1985年:IFBB ミスターアジア90kg以下級(ライトヘビー級)優勝
1990年:WABBA 世界選手権4位
1999年:WABBA 太平洋世界選手権 総合優勝
1999年:NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ(ヘビー級)3位
<出演番組>
たけし・逸見の平成教育委員会、さんまのナンでもダービーなど
2000年8月3日死去(39歳没)
身長173cm、体重115kg(最大時)
<主な大会成績>
1985年:IFBB ミスターアジア90kg以下級(ライトヘビー級)優勝
1990年:WABBA 世界選手権4位
1999年:WABBA 太平洋世界選手権 総合優勝
1999年:NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ(ヘビー級)3位
<出演番組>
たけし・逸見の平成教育委員会、さんまのナンでもダービーなど
マッスル北村が残した伝説の数々!!
ボディビルのために大学を2回中退。
マッスル北村は元からボディビルを志していたわけではなく、高校時代は自転車やボクシングに熱中していました。しかし、実際にプロとして活躍する選手たちと自分の実力差を目の当たりにし、挫折。その結果大学進学を選択することとなり、2浪の末東京大学理科II類に合格しました。そして入学した東大でボディビルの世界を知り、その魅力にはまっていくこととなります。
via ja.wikipedia.org
当初身長173cmで体重55kgという体型だった北村ですが、ボディビルにはまる余り大学の講義に全く出席しなくなり、その結果わずか10ヶ月で40㎏もの驚異的な増量に成功。その頃には大学への興味は失われており、退学届を提出しました。
そんな北村ですが、東大を中退したことにより父親との確執が深まることとなりました。そして自分自身の将来を見つめ直した結果、医療の道を志そうと思うようになり、東京医科歯科大学医学部を再受験して合格。医師として再スタートを切ろうとしたものの、やはりボディビルの魅力を断ち切ることが出来ず、こちらも中退。ボディビル一筋で生きていく覚悟を固めました。
異常なトレーニング量
ボディビル一筋で生きていくことを決めた北村。そんな彼のトレーニングは常軌を逸したものでした。鍛える部位に関わらず、常に高重量のダンベルなどを使用し徹底的に筋肉を追い込み、しかも通常であれば3セットほどで終わらせるところを20~30セットもこなしていました。その結果、筋肉の断絶などの怪我に見舞われることがあったものの、治り次第再び過酷なトレーニングを再開。部位に関わらず徹底的な筋肥大を目指していました。また、その異常なまでの筋肥大により、ドーピングを疑われたことすらあります。
異常な減量
また、コンテスト出場前にボディビルダーが行う減量に関しても常軌を逸していました。通常のボディビルダーであれば皮下脂肪を極力落として見栄えの良い筋肉を目指すところを、北村の場合は徹底的に脂肪を落とす戦略を取ったため、その結果体内の電解質が不足し、低血糖症により倒れてしまう状況が頻繁に発生。救急車で病院に搬送されたケースが何回もあるとのことです。