デヴィ夫人の1992年アスペン暴行事件と収監生活|米コロラド州で実刑判決
1992年1月2日、アメリカ・コロラド州アスペンのスキーパーティーにて、当時ニューヨーク在住であったデヴィ夫人(当時デヴィ・スカルノ)は、フィリピン第4代大統領セルヒオ・オスメニャの孫娘をシャンパングラスで殴打し、被害者は顔に37針を縫う重傷を負った。傷害罪で逮捕されたデヴィ夫人には、禁固60日と罰金700ドルの実刑判決が下され、実際に34日間収監された。
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収監中の生活については、テレビ番組で「別荘のような個室」での優雅な暮らしが放送された。デヴィ夫人本人も「刑務所の生活は学生寮のようで楽しかった」と述べている。裁判はコロラド州の裁判所で行われ、控訴や特別な特赦の報告はない。
この事件は米ニューヨーク・タイムズをはじめとする海外メディアでも報じられている。
事件と服役を経て、デヴィ夫人は生活の拠点を日本に移し、本格的に活動を開始した。現在もアメリカ・ニューヨークに自宅を所有している。
この事件は米ニューヨーク・タイムズをはじめとする海外メディアでも報じられている。
事件と服役を経て、デヴィ夫人は生活の拠点を日本に移し、本格的に活動を開始した。現在もアメリカ・ニューヨークに自宅を所有している。
デヴィ夫人が週刊誌を提訴|名誉毀損訴訟と週刊文春へ高額賠償請求
デヴィ夫人は日本国内で名誉毀損に関する訴訟を起している。
2014年、週刊誌『女性自身』(光文社)に「故淡路恵子さんの棺から着物を引き出そうとした」とする記事が掲載されたことを受け、デヴィ夫人は同誌に対し「事実ではない」として訴訟を提起した。この裁判で東京地裁は「記事は虚偽」と認め、光文社に対して110万円の損害賠償を命じた。また同じ内容を記した『週刊ポスト』(小学館)にも訴え、90万円の賠償が命じられている。
2014年、週刊誌『女性自身』(光文社)に「故淡路恵子さんの棺から着物を引き出そうとした」とする記事が掲載されたことを受け、デヴィ夫人は同誌に対し「事実ではない」として訴訟を提起した。この裁判で東京地裁は「記事は虚偽」と認め、光文社に対して110万円の損害賠償を命じた。また同じ内容を記した『週刊ポスト』(小学館)にも訴え、90万円の賠償が命じられている。
2024年2月、慈善団体「アミチエジャポン」の資金持ち逃げ疑惑を報じた『週刊文春』の記事に対して、名誉毀損および信用毀損を理由にデヴィ夫人は同誌と関係者を刑事告訴。続いて2024年6月には同件で東京地裁に民事提訴を行い、謝罪広告の掲載とそれぞれ6,600万円の損害賠償を求めている 。高額な請求額だが、現時点では裁判継続中であり、確定判決には至っていない。
デヴィ夫人の過去のトラブルと芸能界スキャンダルまとめ
2009年 北朝鮮ミサイル発言による右翼団体抗議と植木鉢投擲事件
平成21年(2009年)、デヴィ夫人は北朝鮮のミサイル発射に関する自身の発言が原因で、右翼団体から抗議を受けた。東京都渋谷区の自宅前に街宣車が押し寄せ、拡声器を用いた抗議活動が行われたことに対し、デヴィ夫人は自宅2階から植木鉢を街宣車に向かって投げ付けた。この行為により警察官が現場に駆け付け、状況の確認と安全確保にあたった。報道によれば、負傷者は出ておらず、器物損壊などの法的処分には至っていない。事件後、当該発言や対応をめぐってネット上や一部メディアで議論が起きた。
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1996年 松田聖子のヌード写真集撮影中止とデヴィ夫人の批判
1996年、デヴィ夫人は松田聖子のフランスでのヌード写真集撮影に関わるカメラマンの紹介およびコーディネートを担当した。しかし、何らかのトラブルにより撮影は中止となり、松田聖子は計画を変更して全米進出を目指しアメリカへ渡った。当時、デヴィ夫人は松田聖子について「3流タレント」「愛人と遊んでいる」などと批判的な発言を公にし、両者の関係に軋轢が生じたことが報じられている。これらの発言は当時の芸能界やメディアで話題となり、松田聖子のイメージにも影響を与えた。
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せんだみつおの「第三夫人」発言と名誉毀損問題
2000年代初頭、テレビ番組の収録中、タレントのせんだみつおが「デヴィ・スカルノの本名は? 第三夫人?」と発言し、デヴィ夫人を挑発する形となった。デヴィ夫人はこの発言に激怒し、「あなた、許しませんよ」と厳しく抗議した。実際に、デヴィ夫人はインドネシアのスカルノ元大統領の第三夫人であるが、テレビの場での軽率な言及が名誉感情を害したとして、名誉毀損にあたる旨の発言も行っていた。法的手続きには至らなかったものの、このやり取りは放送後に話題となり、一部で報道・記録されている。
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2011年 酒井政利氏との「ホモセクハラ」批判騒動
2011年頃、音楽プロデューサーの酒井政利氏がコラムやメディア上でデヴィ夫人の人物像について言及したことを受け、デヴィ夫人は自身のブログ等でこれに強く反論した。デヴィ夫人は「ホモセクハラ裁判」と称される文脈の中で、かつて男性演歌歌手が酒井氏からの性的なアプローチを受けたとする告発を引き合いに出し、同氏に対して次のように述べた。
「あなたはホモの噂を否定していますが、なぜでしょうか?」「新宿二丁目でカツラをかぶり、若い男性と手をつないで歩いていたという話まで届いている」「人を批判する前に、ホモ特有のジェラシーむき出しはやめてください」など、極めて直接的な言葉で非難した。
この発言は、名誉毀損や差別的表現と捉えられかねないものであったが、当時は法的訴訟には発展しておらず、社会的議論の対象となることは限定的であった。酒井政利氏側から公的な反論声明は出されていない。酒井政利氏は、2021年7月16日に85歳で亡くなった。
「あなたはホモの噂を否定していますが、なぜでしょうか?」「新宿二丁目でカツラをかぶり、若い男性と手をつないで歩いていたという話まで届いている」「人を批判する前に、ホモ特有のジェラシーむき出しはやめてください」など、極めて直接的な言葉で非難した。
この発言は、名誉毀損や差別的表現と捉えられかねないものであったが、当時は法的訴訟には発展しておらず、社会的議論の対象となることは限定的であった。酒井政利氏側から公的な反論声明は出されていない。酒井政利氏は、2021年7月16日に85歳で亡くなった。