4つの最優秀新人賞!?
NHK紅白歌合戦が二部構成になり、日本レコード大賞と放送時間が重なるようになったのは前年のこと。それに加え、この年からは第一部(日本レコード大賞と重なる時間帯)も採点対象となり、出場歌手の調整に問題が生じるようになりました。
その対抗策として日本レコード大賞サイドが考え出した案が、各賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」に分けるという二部門構成。その結果、この年は、4種類の最優秀新人賞が設けられ、4組が受賞することとなりました。
創設された4つの最優秀新人賞は、次の通り。
・最優秀 "ポップス" 新人賞
・最優秀 "ロック" 新人賞
・最優秀 "歌謡曲" 新人賞
・最優秀 "演歌" 新人賞
その対抗策として日本レコード大賞サイドが考え出した案が、各賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」に分けるという二部門構成。その結果、この年は、4種類の最優秀新人賞が設けられ、4組が受賞することとなりました。
創設された4つの最優秀新人賞は、次の通り。
・最優秀 "ポップス" 新人賞
・最優秀 "ロック" 新人賞
・最優秀 "歌謡曲" 新人賞
・最優秀 "演歌" 新人賞
お祭り忍者 / 忍者
リリース:1990年8月22日
作詞:原六朗・荒木とよひさ
作曲:原六朗・馬飼野康二
編曲:鷺巣詩郎
忍者の前身は、中村繁之のバックダンサーとして1985年に結成した俗称 "シゲダン"。その後グループ名が "少年忍者" に変わり、メンバーの入れ替えを経て、1990年 "忍者" として歌手デビューを果たします。
本曲『お祭り忍者』はデビュー曲で、なんと2種類のシングル「水雲SINGLE」と「陽炎SINGLE」を制作。A面はいずれも『お祭り忍者』で、「水雲SINGLE」のB面が『See You Again…!』、「陽炎SINGLE」のB面が『無頼』でした。いずれのシングルも大ヒットし、オリコンシングルチャートで「水雲SINGLE」は最高位3位、「陽炎SINGLE」は最高位10位を記録しています。これらを合算すれば、最高位は1位だったのではないかと見られています。
日本レコード大賞では、最優秀ポップス新人賞を受賞。日本歌謡大賞、FNS歌謡祭でも最優秀新人賞を受賞しました。
忍者は1997年に活動休止(事実上の解散)。メンバーのうち、柳沢超、正木慎也は現在も芸能活動を続けています。また、2023年には、志賀泰伸が性被害を告白し、話題になりました。
作詞:原六朗・荒木とよひさ
作曲:原六朗・馬飼野康二
編曲:鷺巣詩郎
忍者の前身は、中村繁之のバックダンサーとして1985年に結成した俗称 "シゲダン"。その後グループ名が "少年忍者" に変わり、メンバーの入れ替えを経て、1990年 "忍者" として歌手デビューを果たします。
本曲『お祭り忍者』はデビュー曲で、なんと2種類のシングル「水雲SINGLE」と「陽炎SINGLE」を制作。A面はいずれも『お祭り忍者』で、「水雲SINGLE」のB面が『See You Again…!』、「陽炎SINGLE」のB面が『無頼』でした。いずれのシングルも大ヒットし、オリコンシングルチャートで「水雲SINGLE」は最高位3位、「陽炎SINGLE」は最高位10位を記録しています。これらを合算すれば、最高位は1位だったのではないかと見られています。
日本レコード大賞では、最優秀ポップス新人賞を受賞。日本歌謡大賞、FNS歌謡祭でも最優秀新人賞を受賞しました。
忍者は1997年に活動休止(事実上の解散)。メンバーのうち、柳沢超、正木慎也は現在も芸能活動を続けています。また、2023年には、志賀泰伸が性被害を告白し、話題になりました。
お祭り忍者 / 忍者
お祭り忍者
via www.youtube.com
さよなら人類 / たま
リリース:1990年5月5日
作詞:柳原幼一郎
作曲:柳原幼一郎
編曲:たま、高浪敬太郎
たまは、1984年に結成した4人組フォークロックバンドで、1990年にメジャーデビュー。デビュー曲は『さよなら人類/らんちう』の両A面シングルで、オリコンシングルチャートでいきなりナンバーワンを獲得し、年間チャートでも4位を記録しました。本曲『さよなら人類』は、日本レコード大賞で最優秀ロック新人賞を受賞しています。
本曲は、宝酒造「純アレフ」のCMソングにも起用され、お茶の間でもおなじみの曲となります。たまの爆発的な人気は、"たま現象"と呼ばれ、1990年の『現代用語の基礎知識』にも収録されるほどでした。石川の出で立ちが特徴的で、坊主頭に、ランニングシャツ、半ズボンの姿は、テレビドラマ『裸の大将放浪記』で芦屋雁之助が演じた山下清そのものでした。
その後は、1995年に柳原が脱退し、3人体制になり、2003年に解散。元メンバーはいずれも、主にミュージシャンとして芸能活動を続けています。
作詞:柳原幼一郎
作曲:柳原幼一郎
編曲:たま、高浪敬太郎
たまは、1984年に結成した4人組フォークロックバンドで、1990年にメジャーデビュー。デビュー曲は『さよなら人類/らんちう』の両A面シングルで、オリコンシングルチャートでいきなりナンバーワンを獲得し、年間チャートでも4位を記録しました。本曲『さよなら人類』は、日本レコード大賞で最優秀ロック新人賞を受賞しています。
本曲は、宝酒造「純アレフ」のCMソングにも起用され、お茶の間でもおなじみの曲となります。たまの爆発的な人気は、"たま現象"と呼ばれ、1990年の『現代用語の基礎知識』にも収録されるほどでした。石川の出で立ちが特徴的で、坊主頭に、ランニングシャツ、半ズボンの姿は、テレビドラマ『裸の大将放浪記』で芦屋雁之助が演じた山下清そのものでした。
その後は、1995年に柳原が脱退し、3人体制になり、2003年に解散。元メンバーはいずれも、主にミュージシャンとして芸能活動を続けています。
さよなら人類 / たま
たま さよなら人類
via www.youtube.com
愛されてセレナーデ / ヤン・スギョン
リリース:1990年1月18日
作詞:荒木とよひさ
作曲:三木たかし
編曲:若草恵
ヤン・スギョンは、韓国出身の女性歌手で、漢字表記は梁秀敬。1988年に韓国でデビューし、1990年に日本進出を果たします。本曲『愛されてセレナーデ』は、田村正和主演のテレビドラマ『過ぎし日のセレナーデ』の主題歌としてヒットし、日本レコード大賞の最優秀歌謡曲新人賞を受賞しました。
その後も、日本テレビ「知ってるつもり?!」のエンディングテーマや、ドラマ『検事・若浦葉子』の主題歌などを歌い、引き続き日本で活躍。1999年に活動を休止し、その後は家族を相次いで失う悲運に見舞われますが、2016年に音楽活動を再開し、現在に至ります。
作詞:荒木とよひさ
作曲:三木たかし
編曲:若草恵
ヤン・スギョンは、韓国出身の女性歌手で、漢字表記は梁秀敬。1988年に韓国でデビューし、1990年に日本進出を果たします。本曲『愛されてセレナーデ』は、田村正和主演のテレビドラマ『過ぎし日のセレナーデ』の主題歌としてヒットし、日本レコード大賞の最優秀歌謡曲新人賞を受賞しました。
その後も、日本テレビ「知ってるつもり?!」のエンディングテーマや、ドラマ『検事・若浦葉子』の主題歌などを歌い、引き続き日本で活躍。1999年に活動を休止し、その後は家族を相次いで失う悲運に見舞われますが、2016年に音楽活動を再開し、現在に至ります。
彼女は父親、妹、夫を順に亡くし、つらい時期を過ごしたという。夫の死後、夫の借金約2億ウォン(約2000万円)を代わりに返済しなければならないという裁判所の判決を受けたりもした。
ヤン・スギョンは「少し大変な時期があった。洞窟まで行って、ここが終わりかと思ったらまた終わりがあって、またあって。10年目だった。私みたいに誰かにつらい思いをしてほしくないと思った。誰にも私のようなつらさを味わってほしくなかった」とこれまでの苦労を明かした。
愛されてセレナーデ / ヤン・スギョン
Aisarete Serenade
via www.youtube.com
一円玉の旅がらす / 晴山さおり
リリース:1990年3月21日
作詞:荒木とよひさ
作曲:弦哲也
編曲:池多孝春
晴山さおりは、1988年、NHKのど自慢にて歌謡曲の部のグランドチャンピオンを受賞。1990年、NHK「みんなのうた」で、『一円玉の旅がらす』を歌い、演歌歌手としてデビューを果たします。
本曲のリリース時は、前年に消費税が導入されて、ちょうど一円玉の存在価値が高かった頃で、本曲は老若男女に親しまれました。オリコンシングルチャートでは、最高位15位を記録しています。年の瀬の賞レースではなんと、日本レコード大賞最優秀演歌新人賞を筆頭に、日本有線大賞、全日本有線放送大賞、日本歌謡大賞でも最優秀新人賞を受賞。多くの新人賞を総ナメにしました。
その後は、1995年に秋元康プロデュースで「浜崎章子」に改名し再デビューするなど、音楽活動を継続していましたが、2006年を最後に一線から遠ざかっています。
作詞:荒木とよひさ
作曲:弦哲也
編曲:池多孝春
晴山さおりは、1988年、NHKのど自慢にて歌謡曲の部のグランドチャンピオンを受賞。1990年、NHK「みんなのうた」で、『一円玉の旅がらす』を歌い、演歌歌手としてデビューを果たします。
本曲のリリース時は、前年に消費税が導入されて、ちょうど一円玉の存在価値が高かった頃で、本曲は老若男女に親しまれました。オリコンシングルチャートでは、最高位15位を記録しています。年の瀬の賞レースではなんと、日本レコード大賞最優秀演歌新人賞を筆頭に、日本有線大賞、全日本有線放送大賞、日本歌謡大賞でも最優秀新人賞を受賞。多くの新人賞を総ナメにしました。
その後は、1995年に秋元康プロデュースで「浜崎章子」に改名し再デビューするなど、音楽活動を継続していましたが、2006年を最後に一線から遠ざかっています。
一円玉の旅がらす / 晴山さおり
―円玉の旅がらす、晴山さおり
via www.youtube.com
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