映画『シンドラーのリスト』
「シンドラーのリスト」はオーストリアの作家トーマス・キニーリーの原作をもとに、脚本の構想を含めて 7年の歳月と25億円をかけて制作された。最初の脚本は原作者であるトーマス・キニーリー自身が執筆したが、 それはスピルバーグが満足できる出来ではなかった。
1982年に原作の映画化権を手に入れたスピルバーグは、その後10年近く構想を練り企画を温めた後、この映画の制作に着手したという
映画が公開された、1993年。「シンドラーのリスト」は“ホロコーストを商売にした!”との評価もあった。
映画「シンドラーのリスト」劇場予告 - YouTube
映画「シンドラーのリスト」劇場予告 "一つの生命を救う者が世界を救える―。
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第二次世界大戦時にナチスドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描く。
Schindler's list - YouTube
映画『シンドラーのリスト』テーマ曲
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音楽担当のジョン・ウィリアムズは、フィルムを観て自分には荷が重すぎると感じ、スピルバーグに「この作品には自分よりもっと適任の作曲者がいると思う」と進言したが「知ってますよ、でもその人たちはみんなすでに故人なんです」と返された。
彼はこの作品でアカデミー作曲賞、英国アカデミー賞 作曲賞を受賞した。
制作スタッフ
製作 : スティーヴン・スピルバーグ
ジェラルド・R・モーレン
ブランコ・ラスティグ
監督 : スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮 : キャスリーン・ケネディ
原作 : トーマス・キニーリー
脚本 : スティーヴン・ザイリアン
撮影 : ヤヌス・カミンスキー
音楽 : ジョン・ウィリアムス
美術 : アラン・スタルスキ
編集 : マイケル・カーン
メインキャスト
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アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人虐殺
ヒトラーはアーリア人種を人類の文化の創始者、ユダヤ人は文化の破壊者と位置づけし、 その「人種理論」を先鋭化していった。
そしてユダヤ人への攻撃を強めて行き、1935年には 「ドイツの市民はアーリア人でなければならない。」としたニュルンベルク法を施行する。
1938年11月、一ユダヤ青年によるパリのドイツ大使館員殺害により、ドイツ国内でユダヤ人91人が惨殺される 「水晶の夜」と呼ばれる事件が起こった。 これを契機にナチスのユダヤ人に対する残虐行為が増してゆき、ゲシュタポによる「ユダヤ人全滅作戦」の実行へと至るのだ。
ニーチェの思想や、ダーウィンの進化論はこの間違った人種思想を正当化、強化するために使われたのだ。
このヒトラーの思想が、映画『シンドラーのリスト』の悲劇を生みました。
ストーリー
39年、ポーランド南部の都市クラクフにドイツ軍が侵攻した。ドイツ人実業家のオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、一旗揚げようとこの街にやって来た。彼は金にものを言わせて巧みに軍の幹部たちに取り入り、ユダヤ人の所有していた工場を払い下げてもらう。ユダヤ人会計士のイツァーク・シュテルン(ベン・キングズレイ)をパートナーに選んだシンドラーは、軍用ホーロー容器の事業を始める。
第66回アカデミー賞では12部門にノミネート、そのうち作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、美術賞、作曲賞の7部門で受賞した。
監督のスティーヴン・スピルバーグは、それまで手掛けた『太陽の帝国』や『カラーパープル』など深刻なテーマの作品は評価されず、本作において念願のアカデミー最優秀作品賞・監督賞受賞を果たした。