この記事の目次
突出した美貌と不幸な私生活で魔性の女と言われた『藤あや子』
via www.suruga-ya.jp
演歌歌手というよりも、銀座の高級クラブにいるママといった雰囲気。
色白でぽっちゃりとした唇が色っぽく、怪しい三白眼がひときわ目立つ秋田美人。
色白でぽっちゃりとした唇が色っぽく、怪しい三白眼がひときわ目立つ秋田美人。
1989年、芸名を『藤あや子』に変更し再デビューし人気歌手に。
1989年9月21日、藤あや子に芸名を変え、「おんな」(作詞: 荒川利夫、作曲: 叶弦大)で再デビュー。
藤あや子 - こころ酒 - YouTube
1992年、「こころ酒」が大ヒットし、第25回日本有線大賞を受賞。
また同年の第43回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。
同曲から1994年(平成6年)発売の「女泣川(おなきがわ)」まで3作連続オリコンシングルチャートTOP10入りを記録した(女性演歌歌手として平成初の記録。その後、水森かおりが記録更新)。
1994年、「花のワルツ」で2度目の日本有線大賞を受賞。
また同年の第43回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。
同曲から1994年(平成6年)発売の「女泣川(おなきがわ)」まで3作連続オリコンシングルチャートTOP10入りを記録した(女性演歌歌手として平成初の記録。その後、水森かおりが記録更新)。
1994年、「花のワルツ」で2度目の日本有線大賞を受賞。
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演歌歌手として異例のセクシー写真集も発売。
1995年、朝日出版社から写真集『藤あや子-上田義彦写真集』を発売。
当時34歳の艶やかなカラダをセミヌードで披露し話題となった。
撮影は、写真家の上田義彦。
当時34歳の艶やかなカラダをセミヌードで披露し話題となった。
撮影は、写真家の上田義彦。
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結婚・離婚・不倫とスキャンダラスな私生活
20歳であった1981年、2歳年上の男性と結婚し、同年に女児を出産した。
しかし、翌年離婚。離婚した元夫は自殺してしまう。
藤あや子は離婚後の1987年に歌手としてデビューした。
また、演歌歌手として脂が乗っていたころに、不倫関係の相手が自殺。
藤に振られたショックから自殺したたのではないかと週刊誌に書かれていた。
いずれも藤に非がある根拠や事実はなかったが、その美貌と妖艶な雰囲気から『魔性の女』のレッテルは貼られてしまった。
しかし、翌年離婚。離婚した元夫は自殺してしまう。
藤あや子は離婚後の1987年に歌手としてデビューした。
また、演歌歌手として脂が乗っていたころに、不倫関係の相手が自殺。
藤に振られたショックから自殺したたのではないかと週刊誌に書かれていた。
いずれも藤に非がある根拠や事実はなかったが、その美貌と妖艶な雰囲気から『魔性の女』のレッテルは貼られてしまった。
木村一八と交際・破局
8歳年下の俳優、木村一八と舞台での共演をきっかけに仲を深め、2003年頃に交際。
当時、藤あや子が41歳、木村一八は33歳。
互いの家を行き来し、食事を共にするなど親密交際が伝えられ、木村も会見の席などで「結婚を前提に交際しています」と堂々と宣言していた。
しかし、結婚することなく破局を迎えた。
当時、藤あや子が41歳、木村一八は33歳。
互いの家を行き来し、食事を共にするなど親密交際が伝えられ、木村も会見の席などで「結婚を前提に交際しています」と堂々と宣言していた。
しかし、結婚することなく破局を迎えた。
via itsumo.boo.jp
藤あや子の人柄・エピソード
歌唱時の妖艶な雰囲気とは裏腹に気さくでさっぱりとした性格である。
バラエティ番組に出演した際も、明石家さんまやタモリと軽快なトークを繰り広げた。
バラエティ番組に出演した際も、明石家さんまやタモリと軽快なトークを繰り広げた。
藤あや子 × タモリ ほんっとありえない!娘の私生活に激怒した丸秘エピソードとは?!
2013年7月3日、『笑っていいとも!』で“テレフォンショッキング”に登場。藤あや子は「娘が彼氏と誕生日にランチを食べた時に、割り勘だった」とプライベートを明かして「誕生日ですよ、しかもランチで。娘に『そんな彼とは別れろ!』って言いました。頭に来ました!」と声を荒げた。
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バラエティトーク番組に出演中に「着物メーカーのキャラクターをつとめることも多いが、プライベートでは専らジャージ姿で過ごしている」とぶっちゃけた。しかも家用のジャージとお出かけ用のジャージがあるといってその場で披露した。
娘は2007年1月15日に結婚したが、その際に提出した婚姻届の証人欄には王貞治と野田秀樹に署名をもらった。王とは行きつけの寿司店でよく顔を合わせる飲み仲間であり、その縁から証人となったという。長女は翌2008年5月、藤にとっては初孫となる女児を出産した。
娘は2007年1月15日に結婚したが、その際に提出した婚姻届の証人欄には王貞治と野田秀樹に署名をもらった。王とは行きつけの寿司店でよく顔を合わせる飲み仲間であり、その縁から証人となったという。長女は翌2008年5月、藤にとっては初孫となる女児を出産した。
親友の藤あや子(左)と坂本冬美(右)
意外にも抜けている性格で仕事の移動で飛行機に乗った際に着陸した後、ベルトを外した時に誤って私服のズボンのベルトも外し、そのまま歩いて降りようとした事がある。その時に一緒に搭乗していた坂本冬美が慌てて、バッグで隠したというが、本人は全く気づかなかったという。
女性演歌歌手としては珍しく、自ら作詞・作曲も行う。その際は、小野彩(このさい)というペンネームを使っており、自身の作詞・作曲の作品も多い。
かなりのロック好きで、ボン・ジョヴィやエアロスミスの日本公演では度々藤あや子の目撃情報が音楽雑誌等に寄せられることもあり、音楽評論家で元BURRN!誌編集長の酒井康との対談で「自分の葬式には是非スティーヴン・タイラーに『アヴェ・マリア』を歌ってほしい!」と発言したこともある。
かなりのロック好きで、ボン・ジョヴィやエアロスミスの日本公演では度々藤あや子の目撃情報が音楽雑誌等に寄せられることもあり、音楽評論家で元BURRN!誌編集長の酒井康との対談で「自分の葬式には是非スティーヴン・タイラーに『アヴェ・マリア』を歌ってほしい!」と発言したこともある。
1985年には、テレビ番組 『勝ち抜き歌謡天国』(NHK)に出演して優勝。
1987年6月21日、CBSソニーから村勢真奈美の芸名で、「ふたり川」でテビューした。
バーニングプロダクション所属。