芦屋雁之助のプロフィール
via www.amazon.co.jp
まずは芦屋雁之助さんのプロフィールからご紹介します。
本名:西部清(にしべきよし)
生年月日:1931年5月29日
没年月日:2004年4月7日
出身地:京都府京都市
デビューのきっかけ:染物屋を営む家に産まれながら、芸事が好きで芸人として活動し一座を組んで巡業も始めた父について回り、芸を磨きました。
一時は漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をして師匠と共に漫才や芝居の舞台に立っています。
その後、18歳の時に弟の秀郎さんと当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎さんに弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名を貰いました。
ただし、勝手に享号の芦の屋を芦屋に改名して、師匠から破門されています…。
(後に活躍が認められて、破門は解かれています)
本名:西部清(にしべきよし)
生年月日:1931年5月29日
没年月日:2004年4月7日
出身地:京都府京都市
デビューのきっかけ:染物屋を営む家に産まれながら、芸事が好きで芸人として活動し一座を組んで巡業も始めた父について回り、芸を磨きました。
一時は漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をして師匠と共に漫才や芝居の舞台に立っています。
その後、18歳の時に弟の秀郎さんと当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎さんに弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名を貰いました。
ただし、勝手に享号の芦の屋を芦屋に改名して、師匠から破門されています…。
(後に活躍が認められて、破門は解かれています)
少ししょんぼり……!?な清さん。
— ハムさん。 (@hamu_taisyo) October 7, 2022
#裸の大将放浪記
#山下清
#芦屋雁之助 pic.twitter.com/OJUBYLf3rx
その後は若手漫才の有望株として将来を渇望されますが、演劇家の勧めであっさりと漫才をやめて兄弟で喜劇役者に転身しています!
そのフットワークの軽さが、大成功の一因となっているのでしょう。
1959年には『劇団・笑いの王国』に参加し、主軸として劇団を支えました。
同年3月には、公開コメディー番組『番頭はんと丁稚どん』(毎日放送)で、強面で女性言葉を話す薬屋の番頭を好演し、そのギャップが大人気となっています。
1964年には弟の芦屋小雁さんらとともに劇団「喜劇座」を旗揚げしました。
そこで座付き作家であった藤本義一さんから、風貌が画家の山下清さんに似ている事を指摘され、それをヒントに藤本儀一さんが舞台劇『裸の大将放浪記』を書き上げています。
そして、舞台劇『裸の大将放浪記』の初演は評判となったのでした。
はまり役だと思いましたが、元々風貌が似ていたことで納得です。
裸の大将は、ドラマより舞台が元祖だったのですね~。
そのフットワークの軽さが、大成功の一因となっているのでしょう。
1959年には『劇団・笑いの王国』に参加し、主軸として劇団を支えました。
同年3月には、公開コメディー番組『番頭はんと丁稚どん』(毎日放送)で、強面で女性言葉を話す薬屋の番頭を好演し、そのギャップが大人気となっています。
1964年には弟の芦屋小雁さんらとともに劇団「喜劇座」を旗揚げしました。
そこで座付き作家であった藤本義一さんから、風貌が画家の山下清さんに似ている事を指摘され、それをヒントに藤本儀一さんが舞台劇『裸の大将放浪記』を書き上げています。
そして、舞台劇『裸の大将放浪記』の初演は評判となったのでした。
はまり役だと思いましたが、元々風貌が似ていたことで納得です。
裸の大将は、ドラマより舞台が元祖だったのですね~。
《裸の大将・放浪記》第1話゛☆【原田美枝子・芦屋雁之助】
via www.youtube.com
そして1980年、かつて舞台で評判だった山下清をドラマで演ずることになり、これが芦屋雁之助さんの代表作となりました。
「裸の大将放浪記」は関西テレビ製作でフジテレビ系列で放送された日曜日21時枠「花王名人劇場」のちに「花王ファミリー劇場」で、放送されています。
1980年から1997年まで、17年間に渡ってシリーズ化されました。
裸の大将を観ると、面白かった記憶と共に「あ~明日から学校だ」というちょっと憂鬱な記憶がセットで思い出されます。
サザエさんやちびまる子ちゃんのように、日曜日が終わるもの悲しさと共にドラマの思い出が蘇る人も少なくないのではないでしょうか。
「裸の大将放浪記」は関西テレビ製作でフジテレビ系列で放送された日曜日21時枠「花王名人劇場」のちに「花王ファミリー劇場」で、放送されています。
1980年から1997年まで、17年間に渡ってシリーズ化されました。
裸の大将を観ると、面白かった記憶と共に「あ~明日から学校だ」というちょっと憂鬱な記憶がセットで思い出されます。
サザエさんやちびまる子ちゃんのように、日曜日が終わるもの悲しさと共にドラマの思い出が蘇る人も少なくないのではないでしょうか。
娘よ (Daughter) - 芦屋雁之助 (Gannosuke Ashiya) 1984 ENG SUBS
via www.youtube.com
俳優として大活躍だった芦屋雁之助さんですが、1984年に発売した「娘よ」は150万枚(オリコンでは80万枚)を超える大ヒットとなり、第35回紅白歌合戦に初出場しました。
関西テレビや全国放送のドラマにも数多く出演をこなし、同年『佐渡島他吉の生涯』と『裸の大将放浪記』で第10回菊田一夫演劇賞を受賞しています。
1981年には映画「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」にも出演を果たしました。
NHK連続テレビ小説にも1980年 - 1981年の「虹を織る」
1982年 - 1983年「よーいドン」
1999年 - 2000年「あすか」
など3作品に出演しています。
関西テレビや全国放送のドラマにも数多く出演をこなし、同年『佐渡島他吉の生涯』と『裸の大将放浪記』で第10回菊田一夫演劇賞を受賞しています。
1981年には映画「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」にも出演を果たしました。
NHK連続テレビ小説にも1980年 - 1981年の「虹を織る」
1982年 - 1983年「よーいドン」
1999年 - 2000年「あすか」
など3作品に出演しています。
芦屋雁之助の晩年
via www.amazon.co.jp
映画にドラマに引っ張りだこで活躍した芦屋雁之助さんでしたが、持病の糖尿病が悪化した1994年以降は静養しながら、テレビや舞台出演を継続しています。
1997年にはシリーズ化していた「裸の大将放浪記」が完結しました。
そして2004年4月7日、鬱血性心不全のため逝去します。
享年72歳。
もっともっと長生きして、俳優を続けて欲しかったです。
裸の大将では、おむすびを食べるシーンが多かったなど、糖尿病の芦屋雁之助さんには健康第一に出来ない理由もあったようです。
持病は大食漢が原因とも言われていましたが、役作りのためには体重を減らす訳にもいかなかったとも生前、語っていました。
全てを賭けてお茶の間を楽しまさせてくれた、芦屋雁之助さんに心から感謝したいです。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
1997年にはシリーズ化していた「裸の大将放浪記」が完結しました。
そして2004年4月7日、鬱血性心不全のため逝去します。
享年72歳。
もっともっと長生きして、俳優を続けて欲しかったです。
裸の大将では、おむすびを食べるシーンが多かったなど、糖尿病の芦屋雁之助さんには健康第一に出来ない理由もあったようです。
持病は大食漢が原因とも言われていましたが、役作りのためには体重を減らす訳にもいかなかったとも生前、語っていました。
全てを賭けてお茶の間を楽しまさせてくれた、芦屋雁之助さんに心から感謝したいです。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
13 件
仕事人 ☠ 2023/10/29 07:54
「仕切人」で髪結いの丁髷を切り悪者がザンバラ頭になるのが怖くて
初回と2話くらいで見るのをやめました