人気テレビ番組の司会者として親しまれた大橋巨泉が7月12日に死去
「11PM」や「クイズダービー」などで活躍したタレント・司会者の大橋巨泉が、7月12日の午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。
via www.tbs.co.jp
2013年11月にステージ4の中咽頭がんを発症、以来3回のがん手術と4回の放射線治療を受けてきたが、昨年11月に発症した2度に渡る腸閉塞とその手術による衰弱、さらに今年4月には自宅療養中に体調が悪化して、一時的に意識を失い、緊急入院したという。入院先のスタッフの治療で3ヶ月間も耐えたが、12日に亡くなった。
大橋は2005年からがんの闘病を続けており、週刊現代で約20年間連載を続けていたコラム「今週の遺言」は、今年6月27日発売号で自らの意志をもって最終回を迎えた。
自身の病状について「衰えた」「何時まで生きられるかわからない」などと記していた。
大橋は2005年からがんの闘病を続けており、週刊現代で約20年間連載を続けていたコラム「今週の遺言」は、今年6月27日発売号で自らの意志をもって最終回を迎えた。
自身の病状について「衰えた」「何時まで生きられるかわからない」などと記していた。
via www.j-cast.com
大橋巨泉のコラムが終了!闘病での健康面が理由に! - Middle Edge(ミドルエッジ)
闘病生活を続けているタレントで元国会議員の大橋巨泉が、休載していた週刊現代のコラムを27日発売号で最終回とした。体調不良で今春から休載していた。大橋は「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と理由を説明している。
大橋は、ジャズ評論家、テレビ構成作家を経て、タレント・司会業に転身。
1960〜80年代には、「11PM」「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」「クイズダービー」「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ」などの多くの人気番組に数多くの司会を務めた。
1990年には56歳で「セミ・リタイア」を宣言し、季節に合わせてオーストラリアやニュージーランド、カナダなどの自宅で生活し、たまに日本に帰国し番組に出演するという生活を送ってきた。
1960〜80年代には、「11PM」「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」「クイズダービー」「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ」などの多くの人気番組に数多くの司会を務めた。
1990年には56歳で「セミ・リタイア」を宣言し、季節に合わせてオーストラリアやニュージーランド、カナダなどの自宅で生活し、たまに日本に帰国し番組に出演するという生活を送ってきた。
via mainichi.jp
今年の2月には、黒柳徹子が司会を務めるテレビ朝日系『徹子の部屋』の40周年記念ゲストとして、7月7日に83歳で亡くなった永六輔と共に出演。番組では、“ラジオの巨人”永と、“テレビの巨人”巨泉を「奇跡の初顔合わせ」として紹介された。
via blogs.c.yimg.jp
徹子の部屋 2月4日 ! 徹子の部屋 祝40周年!永六輔&大橋巨泉 - 160204
昭和のスターたちが揃い踏みした放送で話題になった。
via youtu.be
クイズダービーで飛び交った「はらたいらに3000点!」「篠沢教授に全部!!」「3択の女王竹下景子」などの名シーン。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「クイズダービー」でおなじみだった名シーンは「はらたいらに3000点!」「3択の女王竹下景子」「篠沢教授に全部!」「倍率ドン!さらに倍!」。出場者がどの解答者に賭けるか、まさに手に汗握る瞬間でした。大橋巨泉の番組センスが光った「クイズダービー」について。
せーの、HOWマッチ!『世界まるごとHOWマッチ』 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980年代を代表する司会者といえば、大橋巨泉でしょう。その巨泉の看板番組といえば、この番組。世界の色々なものの値段を当てていきます。世界各国からの問題を見て、そのお金の種類の多さに驚いたものでした。
妻の寿々子さんが寄せた手紙
毎日新聞は、妻の寿々子が寄せた手紙を掲載した。
手紙には、「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に”アッパレ!”をあげて下さい」と記載され、「皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す”わがまま”と言われ、痛い事や辛い事、待つ事、自分の意に染まない事は避けて通るという”我儘”でした。(中略)4月から3ヶ月間は死を覚悟し、すべてを受け入れ、一言も文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢してくれました」と死直前までの闘病生活について書かれていた。
また、永六輔さんの訃報は「ショックの大きさを考えて伝えませんでした」と大橋を気遣った妻の想いが綴られていた。
手紙には、「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に”アッパレ!”をあげて下さい」と記載され、「皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す”わがまま”と言われ、痛い事や辛い事、待つ事、自分の意に染まない事は避けて通るという”我儘”でした。(中略)4月から3ヶ月間は死を覚悟し、すべてを受け入れ、一言も文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢してくれました」と死直前までの闘病生活について書かれていた。
また、永六輔さんの訃報は「ショックの大きさを考えて伝えませんでした」と大橋を気遣った妻の想いが綴られていた。
via cdn.mainichi.jp
葬儀・告別式は親族のみで行い、後日「大橋巨泉を偲ぶ会」が開催される。
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