2021年4月22日 更新
【訃報】吉本新喜劇で活躍したチャーリー浜さん死去。「じゃあ~りませんか」「ごめんくさい」など
吉本新喜劇で長年活躍を続けてきたお笑いタレント・喜劇俳優のチャーリー浜(本名:西岡正雄、にしおか まさお)さんが18日、呼吸不全および誤嚥性肺炎のため大阪市内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。
【訃報】吉本新喜劇で活躍したチャーリー浜さん死去。「じゃあ~りませんか」「ごめんくさい」など
吉本新喜劇で長年活躍を続けてきたお笑いタレント・喜劇俳優のチャーリー浜(本名:西岡正雄、にしおか まさお)さんが18日、呼吸不全および誤嚥性肺炎のため大阪市内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。78歳でした。
第一報はこちらです!
チャーリーさんは1942年、大阪府大阪市浪速区出身。1962年に吉本興業に入社し、昭和前期を代表する漫才師・横山エンタツの次男である花紀京の下で修業を重ねました。その結果、吉本新喜劇における「キザなヤクザ」といったキザな役どころや、関西弁とは一線を画す「じゃあ~りませんか」といった独特な台詞回しで人気を博し、90年代には「じゃあ~りませんか」が全国的に大ブレイク、1991年の「新語・流行語大賞」の年間大賞を獲得しました。さらに翌1992年には「上方お笑い大賞」にて金賞を受賞。その後も吉本の大御所として活動を継続していましたが、昨年7月に体調を崩してからは療養生活を行っており、このたびの訃報となりました。
訃報から一夜明け、同業者から続々と追悼の声が!
このたびの訃報に関し、所属していた吉本興業からは「皆様には、故人生前に賜りましたご厚誼に深く感謝しますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と、チャーリーさんに対する感謝のコメントが発表され、また同業のお笑い芸人やファンからも追悼のコメントが続々と寄せられています。
吉本興業の後輩にあたる東野幸治は、自身のツイッターにて「お悔やみ申し上げます」と、吉本の大先輩であり目標であったであろうチャーリーさんの冥福を祈りました。また、生前親交があった阪神タイガースの元監督・岡田彰布もコメントを発表し、「よくゴルフも一緒にラウンドして、本当にテレビで見たままというか、裏表がない人やったと思います」と、故人の人柄を偲んでいました。
「じゃあ~りませんか」だけじゃない!チャーリー浜がお笑い界に遺した功績とは?
90年代前半に「じゃあ~りませんか」が爆発的にヒットしたため、時には一発屋扱いをされることもあるチャーリーさんですが、長い芸歴の中で実に多くのエピソードや功績を残しています。ここでは、その中からいくつかピックアップして振り返ってみましょう。
元々は「大村崑」のそっくりさんとして売り出された!
吉本興業に入社する前の1960年、チャーリーさんは昭和30年代の上方喜劇ブームを牽引した脚本家・花登筐が主催していた「笑いの王国」の門を叩いており、その際は「オロナミンC」の看板があまりにも有名な俳優・大村崑のそっくりさんということで売り出されました。そこで前述の花紀京と出会い、共に吉本興業へと移籍することとなります。
吉本の東京進出を機に、チャーリー浜と改名!
主に「キザ」役で頭角を現し、吉本の人気芸人へと成長していったチャーリーさん。当時は「浜裕二」という芸名を名乗っていたのですが、1989年に吉本が東京へと進出した際に改名し、「チャーリー浜」と名乗り始めました。この芸名は、当時ヒットしていたアメリカのドラマ「チャーリーズ・エンジェル」にちなんだもので、後に「チャーリーズ・エンジェル」が映画化された際には「チャーリー浜ズ・エンジェル」を名乗り、映画の宣伝を買って出ています。
「じゃあ~りませんか」が1991年の流行語に!
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