「びっくり日本新記録」懐かしくも斬新な企画でお茶の間は盛り上がりましたね!
パパパッ パパパッ パパパッ パパパッ パ~パパ~ッ♪
って、これでは伝わらないですよね。
びっくり日本新記録、大好きな番組でした。
って、これでは伝わらないですよね。
びっくり日本新記録、大好きな番組でした。
びっくり日本新記録番宣+ - YouTube
via www.youtube.com
びっくり日本新記録とは
『びっくり日本新記録』(びっくりにほんしんきろく)は、日本テレビ系列局ほかで放送された読売テレビ製作の視聴者参加型スポーツアトラクションバラエティ番組。
製作局の読売テレビでは1975年10月5日から1985年10月6日まで(途中休止していた時期あり)、毎週日曜 19:00 - 19:30 (JST) に放送。
via blogs.c.yimg.jp
毎回参加者たちが風変わりな競技で記録を競いあっていた番組である。
前期(1975年10月5日 - 1978年3月26日)ではIVSテレビ制作が制作(なお、テリー伊藤こと伊藤輝夫が、初めてADとしてついた番組)。前期はスタジオ放送であり、後に屋外ロケの収録となった。
またこの時期のみ、司会の橋本てつや(現・橋本テツヤ)による「ナポレオンもビックリ!不可能を可能に変える30分!」という前口上が有った。
中期・後期(1978年10月1日 - 1979年3月25日、1979年8月5日 - 最終回)にはオフィス・トゥー・ワンが制作。
テリー伊藤のADデビュー作だったのですね~。
挑戦者が志生野温夫の実況(アフレコ)のもと、競技するのが番組のメインであった(初代司会者橋本テツヤは、ロケ現場にも出かけ、実況も行っていた)。
優勝者には番組が公認した日本記録公認証と豪華賞品が贈られ、表彰式ではアシスタント役の女優が、花のレイとキスをプレゼントし、最後に男性司会者が「おめでとう!!日本一(荒川強啓のみ「やったぜ日本一、おめでとう!!」)」と叫び、その競技のハイライトシーンとナレーションで締めくくる形であった。
なお志生野は、時々収録に参加し、顔を出して自己紹介もしていた。
中期以降のエンディングは毎回、エンディングテーマが流れると同時に、「記録…それはいつも儚い。一つの記録は一瞬ののちに破られる運命を自ら持っている。それでも人々は記録に挑む。限りない可能性とロマンをいつも追い続ける。それが人間なのである。次の記録を作るのは、あなたかも知れない」のナレーションで締めくくられ、その間は挑戦者達が記録ならずといったシーンがスローモーションで流れていた。
最後に、認定された日本記録のテロップが「日本新記録」と表示される(ただし、次週引き続き競技が放送される場合には「本日の最高記録」と表示された。また、以前にも登場した競技で前回とタイ記録だった場合に「日本タイ記録」と表示されたこともある)。
なお、大野しげひさが司会を務めていた頃のオープニングでは、「日本一、なんとすばらしいことだろう。しかし、あなたにもそのチャンスはある。さあ、人間のロマンと可能性に挑戦しよう!」というナレーションをバックに後述のテーマ曲が流れていた。
初期は記憶力など知的能力を争う内容も多かったが、中期以降は肉体能力を争う方向に特化していった。
via i.ytimg.com
ハンググライダーで高い所から飛んで、その飛んだ距離を競う企画『鳥人間コンテスト』は、本番組終了後は特番として独立し、毎年制作される長寿番組となった。
なお、大会の回数は本番組の企画として放送された回から通算してカウントされており、2006年には30回を数えるに至っている。
「鳥人間コンテスト」もこの番組から生まれた企画だったんです。
鳥人間コンテスト!飛行距離の限界に挑み、そして鳥になった! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1977年から現在まで日本テレビで続いている長寿番組「鳥人間コンテスト」。その前身は同局の「日本新記録」の一コーナーでした。番組当初の記録や限界を超えようとするバードマン達の努力をお伝えします!意外な著名人も番組に参加していますよ。
「レギュラー挑戦者」としてこの人も
via pbs.twimg.com
チャレンジボーイとして、轟二郎が本名の「三浦康一」を名乗り参加していた。
ただし、「スターが挑戦!」の時には「轟二郎」として参加した。1984年にチャレンジボーイを引退した。
「逆立ち相撲」で日本一に輝いたこともある。