2016年12月12日 更新

アメリカ横断ウルトラクイズ、福留功男アナの「ニューヨークへ行きたいか~‼」に始まる壮絶なクイズバトルの歴史。

日本テレビの大型クイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」毎年見てた方も多かったのではないでしょうか。主に1977~92年、毎年10月~12月にかけて特番が組まれた視聴者参加型のクイズ番組、毎週の放送がとても待ち遠しかったものです。壮絶なクイズバトルで無情にも脱落し罰ゲームをうけた人、最後まで勝ち残って栄光とスケールの大きな賞品を手にしたクイズ王。福留功男アナ、福澤朗アナらの名司会も番組を大いに盛り上げてくれましたよね。そんなアメリカ横断ウルトラクイズ歴代のクイズ王や罰ゲーム、豪華すぎた優勝賞品を振り返ってみましょう。

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アメリカ横断ウルトラクイズといえば「みんなー!ニューヨークへ行きたいかぁー!?」(福留功男)

「みんなー!!ニューヨークへ行きたいかぁー!!?」(福留功男)
「勝てば天国、負ければ地獄!知力、体力、時の運!早く来い来い木曜日!」(高島忠夫・石川牧子アナ)

などの名フレーズが頭に浮かんできますね。

何よりも、優勝賞品が海外旅行だった当時のクイズ番組にあって、そもそもアメリカ大陸を横断しながら戦うクイズ番組という設定が壮大なスケールで、子供心に(つまりクイズの正解などは全く分からないままに)毎週楽しみにしていたのを憶えています。
みんなっ、ニューヨークへ行きたいか~!!

みんなっ、ニューヨークへ行きたいか~!!

ニューヨークに行きたかったな~っ。

でも放送期間が1977~92年、参加資格を持たないうちに終了してしまいましたね。
結局後楽園(東京ドーム)にすら行かなかった訳です・・・
実にスケール感の漂う「アメリカ横断ウルトラクイズ」のBGM。
毎週楽しみに観ていました、不思議と番組途中からはだいたい応援する人が決まってくるんですよね。

アメリカ横断ウルトラクイズのテーマ曲 - YouTube

ニューヨークへ行きたいか~!

「アメリカ横断ウルトラクイズ」はクイズ界最高峰のイメージがありました

クイズ解答者がこんなにカッコよく思えたクイズ番組は、他になかったような気がします。

「知力、体力、時の運!」

「アメリカ横断ウルトラクイズ」日本テレビで全17回開催...

「アメリカ横断ウルトラクイズ」日本テレビで全17回開催・放送されました

1977年(昭和52年)、『木曜スペシャル』枠で日本テレビ開局25周年記念番組として放送。
翌年からレギュラー化し、年に1回制作、毎年10月下旬から12月上旬頃に放送されました。
1992年(平成4年)の第16回を最後に終了したものの、1998年(平成10年)日本テレビ開局45年記念番組『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』(以降「“今世紀最後”」と記す)として一度限りの復活を果たしました。

なんと世界で最も制作費のかかったクイズ番組

世界で最も制作費のかかったクイズ番組

世界で最も制作費のかかったクイズ番組

日本各地から集まった挑戦者たちが「知力、体力、時の運」を合言葉に広大なアメリカ大陸を横断しながら1,000問以上に及ぶクイズに挑戦し、ニューヨークを目指すという番組。
いくつもの「チェックポイント」では趣向を凝らしたクイズが待ち受けており、勝ち抜ければ次のチェックポイントに進み、敗れると現地で厳しい罰ゲームを受けて日本へ強制送還。
数々のチェックポイントを勝ち抜き、ニューヨークには各回2名(第11回だけ3名)が進出して決勝戦が行われ優勝者「日本一のクイズ王」を決定しました。
他のクイズ番組とは異なり、18歳以上(第11回までは45歳以下・第12回から第16回までは50歳以下・“今世紀最後”は上限なし)でパスポートを所持していれば、オーディションなしで誰でも番組に参加可能。
ギネスブックには「世界で最も制作費のかかったクイズ番組」として記載。

あまりに突拍子もないスケール感に第1回はドタキャンが続出

「海外旅行をしながらクイズが同時進行し、優勝者を決定する」という度肝を抜く展開で話題を集めた。しかしあまりにも突拍子もない企画という事もあり、第1回は参加者も疑心暗鬼となりドタキャンが続出。参加人数はたったの404名であった。
応募総数4,188名に対し実際の参加者が404名という、かなりのドタキャン率だったようです。

第1回の成功で第2回以降は参加者数がうなぎ上りに

参加者数はうなぎ上りだった一方、視聴率としては1987年以降は次第に低下していったようです。
※下表はwikipediaから参照しております
第1回(1977年) 視聴率約25% 参加者404人
第2回(1978年) 23.9% 700人
第3回(1979年) 23.9% 1,362人
第4回(1980年) 29.9% 2,707人
第5回(1981年) 27.2% 6,473人
第6回(1982年) 27.2% 7,332人
第7回(1983年) 34.5% 10,203人
第8回(1984年) 23.1% 11,048人
第9回(1985年) 22.2% 11,754人
第10回(1986年) 26.8% 17,162人
第11回(1987年) 20.4% 18,017人
第12回(1988年) 17.9% 20,774人
第13回(1989年) 16.6% 24,115人
第14回(1990年) 15.0% 26,735人
第15回(1991年) 18.1% 28,523人
第16回(1992年) 14.6% 26,121人
「今世紀最後」(1998年) 21.2% 50,453人


他のクイズ番組とは異なり、18歳以上(第11回までは45歳以下・第12回から第16回までは50歳以下・“今世紀最後”は上限なし)でパスポートを所持していれば、オーディションなしで誰でも番組に参加可能であった(高校生は不可。高専生は4年生から可。他にも細かい規定があった)。
1992年時点で18歳だった私は一度は東京ドームに足を運んでみたいと思いつつ、ついぞ参加することがありませんでした。

多くの人が同じような思いを抱いたであろう、そんな「アメリカ横断ウルトラクイズ」歴代の優勝者や豪華すぎた優勝賞品、罰ゲームなどについて振り返っていきましょう。

「アメリカ横断ウルトラクイズ」歴代の優勝者/準優勝者について

「アメリカ横断ウルトラクイズ」優勝者は番組内で「クイズ王」と称されました

出場者はみな素人のはずなのに、毎週の放送を重ねるごとに応援したくなるプレイヤーが決まってきましたよね。
応援してた人が敗北すると、また別の人を応援する。
まるで高校野球のような熱いドラマが、毎年繰り広げられていたものです。
第13回クイズ王(優勝者)  長戸勇人(1989年)

第13回クイズ王(優勝者)  長戸勇人(1989年)

福留から「20世紀最強のチャンピオン」と呼ばれた男、長戸勇人。
第9チェックポイントのショットオーバーで行われた「地獄のお叫びクイズ」での「秋利帰れー!!」はいまも印象に残るフレーズです。

「アメリカ横断ウルトラクイズ」優勝賞品について

優勝賞品はインパクト重視で、優勝賞品発表時の言葉から発せられるイメージと実物を見た瞬間のギャップが一つの見せ場となっていた。
価値は100万円相当のものから無料同然のものまで年によってまちまちであり、実体も風変わりなものばかりであった。
これは番組放送期間を含む1971年から1996年まで、オープン懸賞の上限が100万円に制限されていたことに加え、番組では東京からニューヨークまでの旅費も景品相当と解釈されていたためである。
しかしながら比較的まともな賞品が進呈されたこともあり、「世界一周旅行」など日常では経験できないような賞品が用意されたり、優勝したニューヨークに家族を呼び寄せ高級ホテルに宿泊する権利が賞品となったこともある。なお、本クイズの優勝者に与えられるのは賞品のみで賞金は一切出なかった。
以下、歴代の優勝者と準優勝者、そしてスケールの大きな優勝賞品を紹介していきましょう。
※wikipedia参照

第1回(1977年)

日本テレビ開局25周年記念番組という形の特別番組として開催。そのため「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。
当初は1週のみの放送予定であったが、放送時間が不足したために2週連続に拡大された。スタジオでは観客に対して賞金付きクイズ王予想が行われた。

クイズ王(優勝者) 松尾清三

松尾清三

松尾清三

京都府出身、当時38歳。
立命館大学出身、材木店経営。優勝時の年齢が歴代最年長。
関西地区収録のクイズ番組を中心に参加し、数多くの優勝歴も持っていた。クイズ本番前に歌い出したり口笛を吹くといったマイペースぶりを見せており、フェニックス以降2位通過で決勝へ進出。

準優勝者 藤原滋子

藤原滋子

藤原滋子

愛知県出身、当時27歳。
クイズ番組優勝歴を多数持っていた実力者。グァムで敗者復活。
本土上陸後はフェニックス以外は全てトップ通過で決勝へ進出。

優勝賞品 ラスベガスの土地1エーカー

ラスベガスの土地1エーカー

ラスベガスの土地1エーカー

砂漠のど真ん中・1226坪分。

第2回(1978年)

『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。準決勝のクイズ形式がボストンの地元紙アクトン・ミニットマンに掲載されるなど、アメリカでも話題になった。
今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになった。また、第1問に初めて自由の女神関連問題が出題された。成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移された。本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ合衆国南部を経由するルートであったのに対し、今大会ではアメリカ北部を経由するルートとなった。

クイズ王(優勝者) 北川宣浩

北川宣浩

北川宣浩

東京都出身、当時24歳。
東京都立大学出身。それまで勤めていた建築会社を辞めての初参加。
サイパンで敗者復活を果たし、ハワイ以降はリノ(2位通過)と準決勝を除いてトップ通過の連続で決勝へ進出。共に後楽園予選を通過した妹は成田で敗退しているが、国際電話連想クイズで兄をサポート。
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