なぜBOØWYは伝説であり続けるのか、80年代を席巻したスーパーバンド!
2016年6月3日 更新

なぜBOØWYは伝説であり続けるのか、80年代を席巻したスーパーバンド!

私たち世代で「BOØWY」を知らない人はいないでしょう。伝説となったスーパーロックバンドBOØWYは、80年代をまさに疾走したバンドでした。そんな彼らの歩みと解散の経緯などをまとめました。

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日本のロックシーンは「BOØWY以前」「BOØWY以後」と区分される

BOØWY

まさに80年代を疾走!

まさに80年代を疾走!

1981年結成、1987年解散。
メディアなどで稀に「BO"Φ"WY」などと誤記されることがあるが、正しいグループ名は、3文字目がギリシャ文字の「Φ」(ファイ)ではなく「Ø」(ストローク符号を付したO)。
「誰にも似ない」「何処にも属さない」

「誰にも似ない」「何処にも属さない」

1981年、群馬県高崎市出身の氷室京介、布袋寅泰、松井恒松を中心に結成される。初ライブ後に高橋まことが加入し、1982年にデビュー。当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動。
シャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンド、ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に使用したり、今日のロックシーンでは当たり前となった逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアル等が多くの支持を集め、5thアルバム『BEAT EMOTION』と6thアルバム『PSYCHOPATH』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録。
シングルでも1987年に「MARIONETTE」が初登場1位を記録し、名実共にトップバンドへ。
絶頂の最中にあった1987年12月24日に解散を宣言。この突然の出来事は世間に大きな衝撃を与えた。翌年1988年4月4日、5日に東京ドームで行った『LAST GIGS』にてバンド活動に終止符を打つ。
翌月にリリースされた『“LAST GIGS”』は、ライブ・アルバムとしては異例とも言える150万枚のセールスを記録。
その音楽性、「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドスタイル、メディアをほとんど利用しない強気な姿勢、斬新なビジュアル、絶頂期での解散、後に起こるバンドブームの火付け役となり、全国に数多くのロックキッズを産むなど、BOØWYボウイが及ぼした影響は絶大とされる。
音楽雑誌等ではしばしば「BOØWYボウイ以前」「BOØWYボウイ以後」と表記され、フォロワーと呼ばれるバンドやミュージシャンも数多く登場している。

BOØWYの伝説

結成

結成

氷室はBOØWYボウイ結成以前に別のバンドのボーカルとしてデビューしたが音楽性の違いから脱退。音楽諦め、帰郷する決意をする。
が、最後のつもりで立ち寄った日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブを観て一念発起。群馬時代のライバルだった布袋のもとへ連絡を入れ、六本木アマンドの前で再会。
同郷のライバル同士ではあったが、当時2人の間にそれほど面識はなかった為、布袋は氷室からの連絡を受けた際に「地元で有名な不良少年の氷室が怖くて誘いを断りきれなかった」とネタにしていた。
松井は織田哲郎&9th IMAGEのベーシストとして既にデビューしていたが、旧友である氷室が新しいバンドを結成しようとしていることを知って氷室と布袋に合流。
高橋は初ライブを観賞しており、終演後は楽屋にも訪れている。その時のことを「怖そうな氷室、デカい布袋、寡黙な松井。とにかくおっかない連中だなという印象だった」と懐述している。
布袋いわく氷室は高校時代、極道のイメージが強くて帝王のような存在として広く知られていたが、歌は上手く歌唱力はプロ級だったと語っている。
メディア露出について

メディア露出について

音楽番組としては『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)、『いきなり!フライデーナイト』(フジテレビ)、『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ)、名古屋のローカル番組『5時SATマガジン』(中京テレビ)などに数回出演。
日本テレビの番組『メリー・クリスマス・ショー』で吉川晃司とビートルズの「ヘルプ!」をカバー。その他ではオープニングの「カム・トゥゲザー(同じくビートルズの曲)」、出演者のほとんどが参加したロッケストラ名義で「夜をぶっとばせ(ローリング・ストーンズの曲)」、「テレグラム・サム(T.REXの曲)」、エンディングの「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」にも参加。
バラエティ番組である『いきなり!フライデーナイト』にしばしば出演したのは、司会の山田邦子が、ライブハウス時代からのBOØWYボウイファンであり、氷室によれば山田が「楽曲をよく理解してくれていたから」だという。
氷室が「俺のオヤジ、邦子ちゃんの大ファンなんです」とカミングアウトすることもあった。
音楽雑誌に掲載された記事も少ない。「B・BLUE」がヒットした直後からインタビュー等のオファーが殺到するが、それらのほとんどを拒否。数少ないインタビュー記事は、ブレイクする以前から懇意にしていたライターや、自分たちの音楽をよく理解してくれていたライターの雑誌に限定されていた。
またこの姿勢はマネージメントスタッフも同様であり、BOØWYボウイを本当に聴きたい観客の席が減ってしまうという理由から、ライブは基本的にメディア用の招待席が用意されていなかった。その為、著名な音楽評論家が関係者入口で門前払いにされたり、レコード会社の重役がファンに揉みくちゃにされながらライブを観るといった珍事が続発したという。
メンバーの経歴

メンバーの経歴

氷室の芸名の由来は、漫画「ワル」の主人公から。初期は「狂介」という芸名だったが、京都の占い師に「『狂』という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の「京介」に改名した。改名後売れたため、以後もう占いをしないと決めたらしい。
松井の『恒松』の芸名は、本名の「恒」を活かしてフリクションの『恒松正敏』をヒントにしたもの。
高橋は読み方は同じだが、本名は『信』という漢字表記のため、厳密には芸名になる。
布袋は、メンバー4人の中で唯一本名を名乗っている。
氷室はバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていた事もあり、営業成績も優秀だったという。逆に、車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターへの出勤3日目には先輩を見切り1日中ゲームをして遊んでいたというエピソードも。
氷室と布袋はなかなか定まった仕事に就かず、両者とも当時同棲していた女性に半ば養ってもらいつつ、バンドの活動資金は主に松井と高橋のアルバイト代や、ファンから多めに徴収した打ち上げ代などで補っていたそうである。
布袋は、喫茶店のアルバイトの面接に行った際、「背が高すぎる」という理由で不採用になったことがある。他には、居酒屋でチューハイを1杯だけオーダーして別のテーブルの残飯を食べたり、夜中に酒屋の脇に積んであるビンを失敬し、翌日何食わぬ顔でそれを売りに行って小銭を稼ぐなどしていた。
松井は六本木のスクエアビル内にあったゲームセンターで働いていた際、店長に「髪立ててメイクしてバイトに来るのやめてくれない?」と言われたことがある。後に阿佐ヶ谷の「ミント」というカフェバーのマスターとなったが、店がバンドの連絡先も兼ねていたため、熱心なファンが通いつめ、売上が上がらず閉店してしまった。
高橋はマネキン運びのアルバイトをしており、正社員への推薦を貰うほど勤務態度も優秀だったという。また、地方へ遠征する際は、他メンバーに内緒でヘソクリを持っていた。内緒にしておかないと「酒を飲もう」「飯を食おう」と言われることになるからと、後のインタビューで語っていた。金額は、とりあえず車で帰京できる額だったという。
様々な逸話

様々な逸話

群馬時代に布袋が組んでいたバンド「BLUE FILM」のボーカリストは、後にBOØWYボウイのマネージャーとなった土屋浩である。BOØWYボウイ解散後は氷室、高橋と共にユイ音楽工房に残留し、近年では高橋が所属するアースルーフファクトリーの代表を務めていたが、2012年5月に他界。
ライヴハウス時代、佐賀県で3万人規模のコンサートがあるという話を聞き出演のために駆けつけたところ、それは村の夏祭りでギャラは村で収穫された野菜や酒だった。
高橋が他の5人と初めて「IMAGE DOWN」を演奏した際、演奏開始のカウントがあまりにも大声だった為、松井が笑い出してしまい、演奏が中断してしまった。
結成当初、布袋と松井はお互いを敬遠しており、あまり会話を交わすことがなかった。しかしとある地方でのライブ後にふたりで呑むことになり、その席で意気投合した。
高橋は氷室の免許更新に同伴して群馬に行った際、当時まだアマチュアだった BUCK-TICK のヤガミトールに焼肉をおごってもらう代わりに、彼の自宅でドラムを2時間叩いてみせたことがある。しかし当時は2人のレベルが違いすぎた為、ヤガミは「いつも使っているドラムセットなのに、何故こんなすごい音が出るのか全くわからなかった」という。
氷室はまったく酒が飲めず専らコーラ、たまに飲む時でもカルーア・ミルクのミルク多めである。
一方布袋は酒に強いため、ライブハウス時代に他バンドの打ち上げの席でBOØWYボウイを宣伝する広報係を担当していた。また高橋は新宿LOFTに、賞味期限が切れた酒を無料で入れておいて貰う「減らない魔法のボトル」を常にキープしていた。
「Marionette」のプロモーションビデオのアニメ・バージョンはガイナックスが制作した。当時ガイナックスの社長を務めていた岡田斗司夫は、後に自著の中で「当時は誰もがあれをやりたがった」と回想している。
『BEAT EMOTION』発売前にラジオで「次は売れる曲出します」と発言したが、その通りに売れた。
「氷室と布袋が不仲」という記事を掲載された際にも、氷室はライブのメンバー紹介で「彼とは楽屋を別にしてもらってます」とネタにしている。
初期メンバーの諸星(ギター)と深沢(サックス)の脱退理由は書籍によって「音楽性の違い」「今後の不安」「事務所からのMORAL制作スタッフである月光恵亮の提案(諸星・深沢の演奏力不足による解雇を提案)」など諸説書かれており、真相は不明である。
しかし、二人のラストライブで氷室が進行役をしたところによると、諸星は「もっと黒っぽい音楽(おそらくブラックミュージックのこと)をやりたくなったから」、深沢は「アクター(俳優)になりたいから」が脱退理由とのこと。深沢脱退が氷室の口から告げられた瞬間、会場内の女性ファンが悲鳴を上げた。
二人のラストライブで、深沢は自作詞の曲「NO.NY」とデヴィッド・ボウイの「Suffragette City」でボーカルを執っている。
深沢は現在も舞台を中心に映画にも出演する俳優として活動中(舞台でサックスを吹くことも)。
諸星はBOØWYボウイ脱退から約1年後に音楽業界より引退したが、1983年11月27日のライブのアンコールに特別出演し、「MIDNIGHT RUNNERS」を演奏した。
解散について

解散について

1986年12月16日の長野市民会館でのライブ後、ホテルのバーにてメンバー全員が解散について話し合った。
最初に解散を提案したのは布袋だった。それまでも「1位を取ったら解散」とメンバー間で話してはいたが、あくまでも冗談の範囲内だった。しかしながら『JUST A HERO』がメンバー全員にとって音楽的に満足のいく作品となり、『BEAT EMOTION』が初登場1位を記録し商業的にも成功を収めたことから、この時に初めて現実的な内容での話し合いが持たれた。
解散の真相には諸説あり。

なぜ解散だったのか

解散後の布袋と氷室

氷室は2016年、LAST GIGSを行ってライブ活動に終止符を打った

布袋はそのライブを観に行って「心震え、感動した」とコメント

まさに伝説のバンドでしたね!

BOOWY LAST GIGS B・BLUE - YouTube

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