ポケットビスケッツとは
ポケットビスケッツ(POCKET BISCUITS)は、日本テレビ系の当時の看板バラエティ番組、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生した音楽ユニット。通称ポケビ[1]。中国語表記は、口袋餅乾。
ウッチャンナンチャンの内村光良(TERU)、タレントの千秋(CHIAKI)、キャイ〜ンのウド鈴木(UDO)の3人組から成り、1995年から2000年まで活動。現在は活動休止中である。主な発表曲に、それぞれ100万枚以上の売上を記録した『YELLOW YELLOW HAPPY』、『Red Angel』、オリコン週間チャートで1位を獲得した『POWER』などがある。同番組から後発されたブラックビスケッツと共に、番組が生んだ2大ユニット[2]、2大スター[3]などと呼ばれた。
結成まで
結1995年10月20日、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』(以下、ウリナリ)の前身番組『 ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』 で始まった「スーパースター誕生」という企画に活動の端を発する。当初は「ポケットビスケッツ」という存在は企画の予定に入っておらず、高山理衣をアジアへ売り出すことが主なテーマであり、テル(内村)と千秋は、南原清隆扮する音楽プロデューサー・南々見一也が利用する居酒屋の店長と看板娘という設定の脇役だった[7]。
その後企画が進み、オクトアーツEMIから「3人組の女性ユニット」という条件でデビューの話がもたらされた[7]。高山以外の2名について、千秋も含む番組企画参加者3名を対象にオーディションが行われたが、南々見の事務所社長・白石恵(国生さゆり)と高山の事務所社長・滋花実(室井滋)が指名され、千秋は選に漏れた。私的にも歌手になることを目標としていた千秋はこの結果に泣き出し、これを庇ったテルが咄嗟に「第2のマモー・ミモー作ってやるダニ[注 1]」と叫んだことから、もうひとつの音楽ユニットを作ることが決まった[8]。テルの台詞は全くのアドリブであり、番組の企画総合演出を担当した土屋敏男は「あのやりとりがなかったら、ポケビは存在しなかった」と語っている[8]。
via msp.c.yimg.jp
メンバー
via msp.c.yimg.jp
via msp.c.yimg.jp
via msp.c.yimg.jp
人気ユニットに
人気の背景について、プロデューサーの土屋敏男は、「ポケビがここまで大きくなったのは、チアキの『ポケビを存続させたい』というダイレクトな気持ちが、視聴者に伝わった結果じゃないでしょうか」と述べている[8]
スポーツニッポンの特集記事では、「形はちょっと変わっていたが、それでも夢をかなえた千秋に感情移入する視聴者の応援に加え、ポケビはいつも解散の危機にさらされながら活動を続けていたことが周囲の共感を呼んだ」としている
今だからこそ聞きたい名曲5選
今なおカラオケでも歌われるポケビの名曲たち
via msp.c.yimg.jp
週間オリコンチャートでは1度もトップ3に入ることはなかったが、ロングヒットを続けミリオンセラーを達成し、ポケットビスケッツの最大のヒット曲となった。
via msp.c.yimg.jp
ポケットビスケッツ - Yellow Yellow Happy - YouTube
サビ部分のCHIAKIのステップはマネする小学生多数
via www.youtube.com
via msp.c.yimg.jp
内村光良(ウッチャンナンチャン)
プロデューサー、リーダー、キーボード担当