安生洋二と言えば、ユニークなキャラクターで知られ、グレーシー道場の道場破りと新日本プロレスの対抗戦のエピソードからミスター200%男で有名になりました。しかし、もともとはUWF戦士としてグレーシー道場へ道場破りへ殴り込むなど本格派の格闘家であったのです。
ANJOU YOUJI entrance UWF International - YouTube
安生洋二のテーマ「JAMES BROWN IS DEAD」!
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安生洋二とは
安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日 - )は、日本の男性元プロレスラー・プロ格闘家、現GLORYスポークスマン。東京都杉並区出身。
幼稚園の年少の時より小学校4年生の頃までニュージーランドで過ごす。中学生の頃に初代タイガーマスクを見て魅了されるが、本格的にプロレスに興味を持ったのは旧UWFでの高田延彦の試合を見てからで、埼玉県立和光高等学校卒業後、UWFに入門、しかし高田に正式に認められるまでは少し時間がかかった。高田は安生を辞めさせるつもりでキツいスパーリングを行ったのだが、安生はその強さに尊敬の念を覚えた。
1985年7月8日、広島県立体育館での星名治戦でデビュー。同年末、第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに参戦。
1987年、新日本プロレスのヤングライオン杯に出場。
1988年の新生UWFの設立に参加。
第一次UWFのリングでデビューをするもUWFの活動停止に伴って、当面の主戦場は新日本プロレスでした。その後旗揚げされる新生UWFに参加します。ちなみに、帰国子女なので英語は堪能です。
ヤングライオン時代の橋本真也 VS 安生洋二 戦(1987年) - YouTube
第3回ヤングライオン杯・公式戦 橋本真也 VS 安生洋二【1987年3月11日岡山】 "戦う渡辺徹?"の熱戦が今甦る!! 若き日のアン・ジョー司令長官にも注目!!
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グレーシー柔術の道場破りで一躍有名に
UWFインターナショナルに所属していた1994年12月7日、ロサンゼルスのヒクソン・グレイシー柔術アカデミーへ道場破りに行き、ヒクソン・グレイシーに挑戦。非公式試合ながら多くのヒクソンの弟子たちが見守る中、なすすべなく倒されパウンドを浴び、チョークスリーパーで失神させられた。
その1か月ほど前「ヒクソンには200%勝てる」と公言し、前夜も朝方まで忘年会で浴びるほどに酒を飲むなどの余裕を見せていた挙句の敗北であった。この行動は、ヒクソンと対戦交渉を進めていたUWFインター側が、なかなか結論を出さないヒクソンを挑発するために行った外交交渉の意味合いがあった。その使者(刺客)として送り込んだのが、当時道場でも一番の実力者とされた安生であったという。
良くも悪くも、結果的にこの事件によりUWFインターは業界で大きな注目を集め、3年後にPRIDE(ヒクソンvs高田延彦戦)が企画されるきっかけにもなった。
安生がMr.200%と呼ばれるようになったきっかけとなる出来事でした。
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グレーシーに完敗、トラウマに
グレイシー道場破りの失敗は安生本人にとって格闘家人生のトラウマとなり、後に「面と向かって高田さんの前に立てなくなった。自殺も考えた」と語っている。
一方で「あれから自分の言葉で語れるようになった。それまではUWFの理念に則ったことしか言えなかった。自分の素を自然にその場のノリで出せるようになった」と語り後の200%キャラクターなどへの転身には良いキッカケだったのかもしれないと振り返った。
安生洋二というプロレスラーの方向性が大きく変わりました。
ゴールデンカップスを結成、新日本との対抗戦へ
1995年からは、新日本プロレスとの対抗戦に出場。高田延彦に次ぐUWFインターNo.2として長州力、蝶野正洋、佐々木健介といった大物と対戦した。
長州、佐々木には完敗したが(特に「10・9」の長州戦に関しては、この試合が決まるや「210%勝てる」と発言したが、試合はバックドロップ→リキラリアット→サソリ固めの連携でわずか4分05秒で敗れ、実況の辻義就アナから「問題になりません!」などと言われるほどの負けっぷりであった)、伝説の「10・9」から数日後のUインター主催の蝶野戦ではメインイベントで変形足4の字固め(通称:グランドクロス200)で大金星といえる勝利を飾る。
試合後、控室で「(頭を指差しながら)ここの差だね。“天才は天才を知る”と言いますが…」と発言した。約2ヵ月後に行われた再戦(新日本主催)では蝶野にバタフライロックで敗れている。また、「UWFは垣原とかに任せて、プロレス界は僕が背負って立ちます」と宣言するなど、そのビッグマウスぶりが話題になる。その後はMr.200%を名乗り高山善廣、山本健一(現・山本喧一)と「ゴールデン・カップス」を結成する。
ちなみに1995年10月9日の東京ドームにおける安生戦での長州の試合後のコメントが、かの「キレてないですよ」(正確には「キレちゃいないよ」)である。一方の安生は長州戦後、「今日はあんまり無理はしなかった」「次回できるもんなら無理してみますよ」「これで僕も心を入れ替えて、謙虚な男に生まれ変わりますよ!」「謙虚イズベスト!」などとふざけたコメントを残し、記者達を爆笑させた。
新日本プロレスのリングに上がっていたこの頃の安生選手が一番輝いていました!
長州力「キレてないですよ」 - YouTube
有名な名セリフは安生戦の後に生まれました!
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1996年1月4日、新日本の東京ドーム大会で実現した冬木弘道との試合では、冬木のわきがが臭いとの公言どおり、デオドラントスプレーを持参しリングインし、ボディーチェックの際に「腋にスプレーしろ」と強要するものの逆に口にガムテープをぐるぐる巻きにされた上、ラリアートを浴び敗戦。
また、同年夏まで続いた冬木軍対ゴールデン・カップスの抗争は、ガムテープ以外にも、パンティー、生卵、生きたタコ等が凶器として使用されるハチャメチャなものだった。後に冬木とはタッグを結成。
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ゴールデンカップス高山善廣とタッグ
【UWF VS NJPW】yoji anjo&yoshihiro takayama VS kazuo yamazaki&takashi izuka - YouTube
1996/03/01 UWFインターナショナル 日本武道館 UWFインターナショナル VS 新日本プロレス 安生洋二 高山善廣 VS 山崎一夫 飯塚孝之
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