長崎屋といえば”サン サン サンバード♪長崎屋~のサンバード♪♪”手軽な衣料品が揃っていました。
2016年11月24日 更新

長崎屋といえば”サン サン サンバード♪長崎屋~のサンバード♪♪”手軽な衣料品が揃っていました。

「サン サン サンバード♪長崎屋~のサンバード♪♪」でおなじみの長崎屋。デパート百貨店と比べると、普段着を買いに行った記憶を持っている人が多いかもしれません。衣料品に強みをもち、かつて栄華を誇った長崎屋もいまはドン・キホーテの傘下。そんな長崎屋の歩みをまとめます。

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「サン サン サンバード♪長崎屋~のサンバード♪♪」なんて、歌、憶えている方も多いのでは。
かつては衣料品に強みを持っていたスーパー、長崎屋の店内で流れていたテーマソングですね。

現在では、その多くの店舗がドン・キホーテに様変わりした、スーパー長崎屋についてのまとめです。

サンバード長崎屋の開業

サンバード長崎屋

サンバード長崎屋

衣料品を主力商品とするスーパーマーケットチェーン。
現在は、大手ディスカウントストアチェーン「ドン・キホーテ」の連結子会社。
1946年、創業者の岩田孝八が神奈川県平塚市の平塚駅近くに「おあしす」というかき氷店を開いたのが始まりとされています。
1948年、株式会社長崎屋布団店を設立して布団と洋品売場を併設した長崎屋布団店を開店しました。
戦後のモノ不足の統制時代としては豊富な品揃えで実用的な衣料雑貨を低価格で販売して売り上げを伸ばし、1949年(昭和24年)に隣接する店舗を買収して増床したのを皮切りに何度も拡張を繰り返したほか、1950年(昭和25年)12月15日に町田店を開店して多店化に乗り出し、1953年(昭和28年)9月1日に東横百貨店平塚店跡地にあった東映の映画館を買収して平塚西店として開店するなど早くから店舗展開を進めて行った。
創業から数年で蒲団・綿製品をはじめ、洋品雑貨や食品も取り揃えるなど早くからアメリカのチェーンストアの経営理論を取り入れて衣料品中心のチェーンストアを全国展開した。

モノ不足だった戦後の統制下に、豊富な品揃えと実用的な衣料雑貨を低価格で販売

平塚の長崎屋跡地

平塚の長崎屋跡地

平塚名物、七夕まつりでは中心に位置した長崎屋。
ちなみに現在はパチンコ店になっています。
1967年には東証一部への上場を果たし、流通業界準大手に成長。
優れた衣料品バイヤーの活躍が特徴で、スーパーが「安物売り」と見下されていた1960~70年代でも、デパート百貨店としか取引しないような老舗メーカーや問屋と取引していました。

1969年には、プライベートブランド(PB)「サンバード」の肌着を発売

独自の商品テストを行うなど消費者の立場から厳しい評価を行うことで知られていた雑誌暮しの手帖から肌着専門メーカー大手のグンゼと並んで最も高い評価を受けるなど衣料品に関して高い評価を獲得し、衣料品に関してスーパー業界内ではずば抜けた力を持ち、名門スーパーとしての評価をされていた。
実際、私たちの世代では母親に連れられて長崎屋に肌着や普段着を買いに行った記憶を持っている人が多いかもしれません。

長崎屋のサンバード

「サン・サン・サンバード」
作詞:伊藤アキラ 作曲:小林亜星
衣料品に圧倒的な強みを持つスーパーとして認知される一方では、食料品販売を不得手とする特徴があり、食料品販売は長年地元の地場スーパーにテナントとして出店してもらう形式を取り、長崎屋自身では運営を行わない方針を取っていました。

そして、後にスーパーに求められ始めた「ワンストップショッピング」への対応は後手に回ることとなります。

ここまでの長崎屋の歩み

1946年 平塚駅近くにかき氷店「おあしす」を開店。
1948年 「おあしす」を本店として株式会社長崎屋布団店設立。
1950年 町田店を開店。(チェーン1号店)
1952年 株式会社長崎屋に商号変更。
1961年 長崎屋チェーン10店舗達成(平塚東・平塚西・鎌倉・町田・清水・川越・八王子・横浜・青梅・立川)。
1963年 東北地方(仙台市)に進出。長崎屋チェーン、20店舖達成。東証二部上場。
1964年 京都に出店。関東地盤のスーパーとして初めて関西に進出。
1967年 東証一部上場。北海道地区(札幌市)に初出店。
1969年 CIロゴマーク変更(サンバードのロゴが誕生)
     東光ストア(現在の東急ストア)と提携。
     肌着・靴下・ランジェリー・セーターなどのプライベートブランド「サンバード」発売。

出店攻勢&業務提携で攻めた1970年代、風向きが変わり始めた1980年代

かつて衣料品バイヤーが強みだった長崎屋でしたが、その多くが定年すると後任の担当者の育成が順調にいかなかったことや、「バイヤー頼み」になっていたことが裏目となってイトーヨーカ堂などの同業他社に比べて情報システムを整備して販売情報などから商品の売上を予測するPOSシステム化への取組みが遅れることになりました。

結果、衣料品の仕入れにおける強みは徐々に喪失していくことになったのです。

また、食品分野への出遅れを挽回するために全国各地のスーパーと合弁で地区毎にサンドールという名称の食品スーパーを設立して対応したり、テナントとして東急ストアやカスミ、いなげや、京成ストアなどを導入するなど食品スーパーとの提携戦略を展開していきました。
サンドール

サンドール

地場のスーパーと合弁で立ち上げていきました。

サンバード長崎屋/Keirin/日清食品・味好(ミーハオ) CM 1988年

ここまでの歩み

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