『進め!電波少年』伝説番組のMCは松本明子と松村邦洋。
『進め!電波少年』(すすめ でんぱしょうねん)は、1992年(平成4年)7月5日から1998年(平成10年)1月4日まで、日本テレビ系列で毎週日曜 22:30 - に放送された日本テレビ制作のバラエティ番組である。
via girlschannel.net
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アポなし、突撃、ヒッチハイク、さまざまな無茶に挑戦したテレビ史上類を見ない伝説的バラエティ番組として幅広く認知されている。マフィア、暴力団、スラム街までも番組の題材にし、生命に関わる危険なロケも多かった。企画によっては警視庁や都庁サイドからも抗議や抑圧があり、それこそ現在では到底、制作不可能な番組である。
松村邦洋×村山富市元首相、首相になる前に眉毛を切ってあげたい
【電波少年】村山元首相を刃物で...ありえない;´Д` - YouTube
【3分32秒】2分過ぎあたりからジョリっとやっちゃいます。
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当時、日本社会党の委員長を務めていた村山富市の眉毛を切ろうと、松村がハサミ持参で社会党本部に乗り込んだ。突然の申し出に最初は難色を示すが、松村の必死の願いに最終的には笑顔で対応。見事成功し、数本の眉毛にハサミを入れるも切り落とした眉毛をなくしてしまう。このアポ無しロケの成功により、政治に対してナンセンスなこと(「大臣の椅子に座りたい」、「豪華な会議室で電波少年の会議がしたい」など)に挑戦していくこととなる。
松本明子×アラファト議長『てんとう虫のサンバ』とデェットしたい!
てんとう虫のサンバの替え歌で、『アラファト(と)私が夢の国ぃ~♪』のダジャレデュエットを目指した松本明子。(1995年)
紛争地域ガザ地区へ実際に入り、アラファト議長へ面会を申し出るが当然却下される。しかし、粘り続けてる松本に何故か?面会の許可が下りることになった。
紛争地域ガザ地区へ実際に入り、アラファト議長へ面会を申し出るが当然却下される。しかし、粘り続けてる松本に何故か?面会の許可が下りることになった。
松本明子 電波少年での今だから話せる舞台裏 - YouTube
【7分44秒】ラジオ番組のため音声のみ
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アポなし突撃にあやうく銃殺されそうな雰囲気もあったなか、「兵士から『Are you Student?』と聞かれ『Yes、Yes…』とトボケたりして」(当時のスタッフ)、面会成功。
デュエットはかなわなかったが、目の前で「てんとう虫…」を披露。
議長に抱きしめてもらったのだった。
アラファト死後、芸能人において唯一の接触者である松本の元にはマスコミからの取材が殺到した。土屋は行かせたもののまさか本当に会えるとは思っておらず、松本から「会えた」と言われたときも信用しなかったという。土屋はこのロケで手ごたえをつかみ、「アポ無しで海外に行ったらだいたい会えるもんだと思った」とのこと。
体を張った二人のMC松本・松村ではあったが、永田町周辺ではブラックリストに載っていたとされている。
松村邦洋×マンデラ元大統領『ヨッ大統領憎いねぇコノー』と言ってあげたい
松村が海外の大統領に会いに行き、「ヨッ大統領憎いねコノ~!」と言ってあげる企画。会えないで終わることもあったが、南アフリカのマンデラ大統領や、アメリカのジミー・カーター元大統領などには対面することに成功した。
via www.ntvshop.jp
「南アフリカの飛行場で待っていると『いよっ! 大棟梁(大統領ではないので注意)。 ニクイね、この~』と叫ぶ僕に近づいてきました。SPが銃をかまえようとするとそれを制し、大きな手で握手してくださいました」。松村にとっては、「決して忘れることのできない 瞬間でした」という。