海老一染之助・染太郎
「ミスターお正月」とも呼ばれたおめでたいコンビ
染之助・染太郎の芸歴
1946年12月、新宿末広亭で「海老一勝太郎・小福」の名で初舞台。
1949年、「海老一染之助・染太郎」に改名。
1960年5月、旧ソ連文化省より招聘を受け旧ソビエトにて公演・初の海外公演。
1965年2月、米国ABCテレビ出演。
1988年10月、フジテレビ「笑っていいとも!」にレギュラー出演(1989年3月まで)。
1989年3月、CDシングル「おめでとうございます!!」をリリース。
2002年2月、兄の染太郎が他界。以後、染之助がピンで活動。
多彩な曲芸で魅せます
染之助・染太郎 太神楽 - YouTube
海外での公演の様子
ハリウッド・パレスの染乃助・染太郎 - YouTube
おめでたいセリフの数々
「ありがとうございまーす!!」
「いつもより余計に回しております!!」
「喜んでやっております」
「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じなの」
「オープン・ザ・傘」
「これを見た人、今後ますますご発展」
「土瓶を回して落とすと損をします、これがほんとの土瓶損クルーソー」
「土瓶の蓋を取るとき、身が落ちることもあります、身も蓋もない」
「胸がドビンドビン」
二人のエピソード
芸風が芸風であったために、通夜・葬儀に来てほしくないタレントNo.1に選ばれたことがある。しかし、2人の恩人にあたる人物が他界した時には、故人の妻の頼みもあり芸を披露した。
「ミスターお正月 お正月と言ったら誰?」というアンケートで、1位をとったことがある。
「スターどっきり(秘)報告」でやくざの宴会に呼ばれて芸をし、やくざが絡んで怖がらせたところでドッキリというシナリオだったが、弟・染之助が絡まれて兄・染太郎が突如激怒し、やくざ役を怒鳴りつけた。予想外の展開に、ネタばらし役の芸人も怯えながら登場する羽目となった。
舞台での兄弟の掛け合いは見事なものだったが、実生活では兄弟仲が悪く、楽屋で喧嘩になることもあったという。ひとつには2人の芸の役割による確執もあるとされている。
「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名。
お正月のテレビ番組に欠かせない出演者だったが、兄の染太郎が2002年に亡くなり、その後は弟の染之助がピンで活動。