セガの自虐的なCMで「湯川専務」は一躍脚光を浴びました
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そんな湯川専務が、タッキーこと滝沢秀明とともに売り込んだのが「ドリームキャスト」でした
国内で280万台を販売した「ドリームキャスト」
最大の特徴として、インターネット通信用のアナログモデムを標準搭載した点が挙げられる。最高通信速度は日本国内向け純正品の場合33.6Kbpsで、本体からの着脱が可能だった。2000年7月に100BASE-T(ソフト側では10BASE-Tとしか使われなかった)LANアダプタ・「ブロードバンドアダプタ」が通販専売品ながら発売された。なお、モデムを標準搭載した家庭用ゲーム機は1996年3月にバンダイから発売されたピピンアットマークに次いで本製品が2番目である。
「ドリームキャスト」の名称は候補を募り絞っていったもので特定の命名者はいない。dream(夢)をbroadcast(広く伝える)という願いを込めた造語である。当時はPointCast等のPush技術が未来の情報配信技術として紹介されており、これに影響されたものと推測される。
ユーザの間では「ドキャ」、「ムキャ」、「ドリャス」、「DC」、ロゴマークの渦巻きから「なると」など様々な略称が用いられたが、セガ自身が「dricas.com」というドメイン名を取得したこともありドリキャスが公式の略称となった。
発売時期の近いゲーム機には、前世代機セガサターンのライバル機のひとつであったNINTENDO64や、本機より後に発売され本機のライバル機となるPlayStation 2などが挙げられる。
さまざまな要因からPlayStationシリーズとのシェア争いに再び惨敗し、2001年1月にセガはドリームキャストを含む家庭用ゲーム機の製造とプラットフォームからの撤退を表明。ドリームキャストは事実上セガ最後のゲーム機となった。
引用:wikipedia
湯川専務が奮闘したセガ「ドリームキャスト」のCM全8話を振り返ります
第1話 「セガなんてダセェよなぁ」
ドリームキャスト 湯川専務・第1話「セガなんてダセェよなぁ」CM - YouTube
第1話あらすじ
厳しい現実を突きつけられた専務は、バー、バッティングセンターなどを一人で渡り歩く。しかし、頭の中では日中の子供たちの会話がこだまして、どんどん惨めになっていく。
挙句の果ては、前方から歩いてきたヤクザと肩がぶつかり絡まれる。帰宅時には傷だらけになり、玄関に倒れこんだ。この直後、子供の声で「立つんだ! 湯川専務!」とナレーションが入り、締められる。
第2話 「うなされる」
ドリームキャスト 湯川専務・第2話「うなされる」CM - YouTube
第2話あらすじ
しかし、突如子供たちの表情が一変し、笑い出す。そしてそれが全部、専務をからかうための嘘であったことを告げ、「帰ってプレステやろう」と言い歩き出す。
追いかけようとした専務だったが、突然足元が崩れ、谷底へ落ちる。どこかの岩にしがみついた瞬間、書斎で机にしがみついている専務が映る。
秘書らしき女性がそれに気付き専務に声をかけると専務は今までのが夢だったことに気が付いて締められる。オチで専務は爪を割ってしまっていた。
第3話 「ドリームキャスト完成」
ドリームキャスト 湯川専務・第3話「ドリームキャスト完成」CM - YouTube
第3話あらすじ
かつて「セガなんてだっせーよなー」と言っていた子供達からも「ドリームキャストってすっげーんだぜー!」という言葉を聞き、湯川はガッツポーズを決める。(その後も会議室や自宅でのガッツポーズシーンがある)。
オチはドリームキャスト発表会の鏡割りで割った欠片が湯川の額を直撃する。最後の子供の掛け声は「進め! 湯川専務」であった。
第4話 「CDデビュー」
ドリームキャスト 湯川専務・第4話「CDデビュー」CM - YouTube
第4話あらすじ
しかし湯川はドリームキャストの描画性能、インターネット接続、通信対戦についての宣伝が足りないと叱咤激励する。最後には「対策はあるのか!?」という湯川に対し、また子供の声で「あるって聞いたよ」と言う。
自虐CMの仕掛け人は秋元康。湯川氏はこれが初めてのCM出演ではなく、以前にロボピッチャやテレビおえかきのCMにも出演していました。