EAST END×YURI(イーストエンド・プラス・ユリ)とは
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1994年2月、東京パフォーマンスドールの市井由理の友人だったEAST ENDが、市井の新宿シアターアプルで行われたライブにゲスト出演。観ていたファイルレコード社長・佐藤善雄の鶴の一声で「EAST END×YURI」を結成。
メンバー紹介
GAKU - MC担当 - (EAST END)
YOGGY - DJ担当 - (EAST END)
ROCK-Tee - DJ担当 - (EAST END)
YURI - (市井 由理) - ラップ担当
YOGGY - DJ担当 - (EAST END)
ROCK-Tee - DJ担当 - (EAST END)
YURI - (市井 由理) - ラップ担当
一世を風靡した代表作!
DA.YO.NE
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EAST END×YURIの代名詞と言えばやっぱりこの曲!「DA.YO.NE」は1994年8月にリリースされた彼らのデビューミニアルバム『denim-ed soul』からのファーストシングルで、実は発売当初のセールスは不調でした。しかしタワーレコード札幌店とNORTH WAVEの強力なプッシュにより、まずは北海道でブレイク。その後も地方から段々と人気に火が付いていき、95年に入るとついに日本中を巻き込む社会現象となりました。
同曲は日本人制作によるヒップホップCD初のミリオンセラーを記録し、彼らの活躍により日本のヒップホップシーンは大きく注目されることとなりました。EAST END×YURIがヒップホップを聴くキッカケになったという日本人も多いのではないでしょうか。日本のメジャーシーンにおいてラップやヒップホップ文化をより身近なものにした彼らの功績はとてつもなく大きい!
同曲は日本人制作によるヒップホップCD初のミリオンセラーを記録し、彼らの活躍により日本のヒップホップシーンは大きく注目されることとなりました。EAST END×YURIがヒップホップを聴くキッカケになったという日本人も多いのではないでしょうか。日本のメジャーシーンにおいてラップやヒップホップ文化をより身近なものにした彼らの功績はとてつもなく大きい!
「英語以外のラップによるCD売上記録」としてギネスブックに掲載された[1]。
DA.YO.NEのローカル版も登場!
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「DA.YO.NE」の大ヒットを受け、地方の方言バージョンも多数リリースされました。北海道弁の「DA.BE.SA(だべさ)」や東北弁の「DA.CHA.NE(だっちゃね)」、名古屋弁の「DA.GA.NE(だがね)」、広島弁の「HO.JA.NE(ほじゃね)」、博多弁の「SO.TA.I(そうたい)」など。中でも大阪弁バージョンの「SO.YA.NA(そやな)」にはお笑い芸人の今田耕司さん、東野幸治さん、吉本興業所属の女優・武内由紀子さんが参加し話題となりましたね。
MAICCA〜まいっか
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大活躍のEAST END×YURIでしたが、この頃よりROCK-Teeさんが方向性の違いによりEAST ENDを脱退。1995年2月にリリースされたセカンドシングル「MAICCA -まいっか-」からはEAST END×YURIも3人体制となりました。同曲は自身最大の売り上げを記録し、「DA.YO.NE」に続きミリオンセラーを達成。デビュー曲から2作連続のミリオンセラーは、オリコンチャート史上初の快挙として記録されています。また同年の大晦日には「DA.YO.NE」で「第46回NHK紅白歌合戦」への初出場も果たしました。
紅白ヴァージョンは2番の歌詞が原曲とは全く異なり、最後はYURIがGAKUに「受信料払ったほうがいいよ」と語る内容になっている。
いい感じ やな感じ
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1995年4月にリリースされたEAST END×YURI3枚目のシングル「いい感じ やな感じ」は、デビューから3曲連続のミリオンとはならなかったもののオリコンチャート自己最高位タイとなる3位を記録した彼らの代表曲の1つ。しかし同曲がEAST END×YURIとしてオリコンチャートのトップ10入りを果たした最後の作品となりました。当時大人気だった資生堂のヘアケア製品「ティセラ」のCMソングとしてもお馴染みで、3人が出演したティセラのCMも印象的でしたよね。
その後、1996年5月にリリースされた6枚目のシングル「日曜の朝の早起き」を最後にEAST END×YURIとしてのユニット活動は消滅しました。
その後、1996年5月にリリースされた6枚目のシングル「日曜の朝の早起き」を最後にEAST END×YURIとしてのユニット活動は消滅しました。