イジリー岡田プロフィール
本名 岡田 昇(おかだ のぼる)
生年月日 1964年9月23日(54歳)
出身地 東京都北区
事務所 ホリプロ
活動時期 1987年 -
生年月日 1964年9月23日(54歳)
出身地 東京都北区
事務所 ホリプロ
活動時期 1987年 -
デビュー
イジリー岡田の学生時代 pic.twitter.com/u9UYvUq9e1
— ミック (@m____gee) May 13, 2017
フジテレビ系列『発表!日本ものまね大賞』での敢闘賞獲得が認められ、ホリプロにスカウトされる。
高校時代の友人の奥山さんを相方に誘い、1987年にキッドカットを結成。
高校時代の友人の奥山さんを相方に誘い、1987年にキッドカットを結成。
コンビ時代
ホリプロお笑い部門第1号として、多くのバラエティ番組オーディション大会で優勝するなど、実績を残し順風満帆に思えたが、生放送に寝坊を繰り返すといった、
相方の遅刻癖がホリプロで問題になり、相方が解雇に追い込まれ、お笑いコンビは強制解散させられた。
わずか3年でコンビ解消。
相方の遅刻癖がホリプロで問題になり、相方が解雇に追い込まれ、お笑いコンビは強制解散させられた。
わずか3年でコンビ解消。
ピン芸人
相方の解雇により1990年からピン芸人として活動を始める。
コンビ時代から、ホリプロ所属のアイドルイベントで、前説や司会を担当していたことから、学習研究社(現・学研ホールディングス)の月刊誌『Momoco』において、デビュー直後のアイドルと対談するコーナー連載が決定する。
コンビ時代から、ホリプロ所属のアイドルイベントで、前説や司会を担当していたことから、学習研究社(現・学研ホールディングス)の月刊誌『Momoco』において、デビュー直後のアイドルと対談するコーナー連載が決定する。
アンコン商事
via www.youtube.com
アンコン商事(アンコン商事)は演劇ユニット『東京アンテナコンテナ』のメンバーで結成されているお笑いユニット。
アンコン商事社員(メンバー)
達磨川専務(イジリー岡田)
スネ部長(下平ヒロシ)
芋洗坂係長(小浦一優)
アンコン商事社員(メンバー)
達磨川専務(イジリー岡田)
スネ部長(下平ヒロシ)
芋洗坂係長(小浦一優)
芸名の由来
【マジか】イジリー岡田、実は下ネタが大嫌いだったhttps://t.co/JWIWkeCSnQ
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 23, 2016
業界入り当時にまわってきた仕事がたまたま下ネタ系だったため、毎週個室トイレで「頑張れ」と自分に言い聞かせ、本番に臨んでいたそう。 pic.twitter.com/FWxdKC5vCl
なんかヤラシー意味で付けたのかと思ったら、客いじりが上手いから『イジリー岡田』と付けたそうです。
後の連載のタイトルも『イジリー岡田のアイドルいじり』に決まる。
最初はあくまでペンネームのみであったが、当該コーナーの人気が上昇すると所属事務所もその気になり、「お前、明日から『イジリー岡田』だぞ。問題ないよな?」と上司から電話で一方的に通告されて正式の芸名が決定してしまう。
後にイジリーさんは「問題大ありですよ。そんな最低な名前、嫌に決まっているじゃないですか」と当時の事を語っていました。
因みに、NHKでは芸名が使えず、本名の岡田昇で出演することが多いとか。
後の連載のタイトルも『イジリー岡田のアイドルいじり』に決まる。
最初はあくまでペンネームのみであったが、当該コーナーの人気が上昇すると所属事務所もその気になり、「お前、明日から『イジリー岡田』だぞ。問題ないよな?」と上司から電話で一方的に通告されて正式の芸名が決定してしまう。
後にイジリーさんは「問題大ありですよ。そんな最低な名前、嫌に決まっているじゃないですか」と当時の事を語っていました。
因みに、NHKでは芸名が使えず、本名の岡田昇で出演することが多いとか。